第54話 欲に溺れるとはこのことなり

文字数 1,264文字

「なんじゃ! あれは!」
 柘植保重軍が紊(みだ)れたのは言うまでもない。宴など刹那の気休めにしかならぬ興などとは違って、二町先の川縁(かわべり)に見える女人の群れに兵たちは興を超え色めきたった。
「ど、どこから、現れたのじゃ?」
「天から降りてきたのか?」
 兵たちは川縁に一列に並んだ女人に釘付けになった。
「天女様のご一行じゃ」
 興奮して、すでに隊を離れる者もいる。
「いや、羽衣を纏っておらん。あれは現(うつつ)の女子(おなご)じゃ、若き女子(おなご)じゃ」
 女人は全部で四十八。皆、白い長襦袢を纏っていた。
 しかし、その長襦袢の奥には忍術修行を受けた美しく引き締まった裸体が、腰巻きも付けず薄い単衣に隠されている。そこに女たちを先導している衣茅の姿もあった。
「さあ、皆、着物を脱いで!」
 衣茅の号令で娘たちが全員一糸纏わぬ姿になった。衣茅も惜しげもなくその美しい裸体を白日に晒した。
 若き娘たちの白く透き通った肌と、陽を浴びて黒く照り返す恥毛に、兵たちは見惚れ我を忘れた。
「ほ、褒美じゃ。儂らに弁天様が褒美をくださったのじゃ!」
 突然舞い降りてきた若い女人に、兵たちは戦であることを忘れ、一斉に川に向かって走り出した。
 これを見て衣茅が次なる号令をかけた。
「よいか、皆、尻を突き出せ。尻を追わせよ。あの者共を川の中まで引き出すのじゃぞ」
「承知!」
 まだ初潮を終えたばかりの娘たちの尻は桃色に張っていた。衣茅の尻も薄い紅を塗ったように照り輝いていた。その艶かしい尻を川面に浮き立たせ、女たちは兵を誘惑する。
 これで動かぬ山はない。柘植保重軍の雑兵はじめ、隊の将兵までが娘たちの尻を追って川に飛び込む。娘たちは嬌声を上げて逃げ泳ぐ。その横泳ぎの上手いこと上手いこと。
「お許しくだされ、お侍様」
「待て、娘! 待て待て娘! 儂とこ来い!」
「嫌じゃ嫌じゃ。おらはきれいなまま嫁ぐだに」
「儂が手解きしてやろうぞ」
 軍規などあったものではない。
 娘たちの尻を追っかける兵たちはやがて川の中程で甲冑纏ったまま溺れ沈んでいく。あれよあれよと沈んでいく。
 これを見て衣茅は微笑んだ。
(欲に溺れるとはこのことなり)
 騒がしい兵たちに、柘植保重と日置大膳が気づいたのは陣幕内で物見からの伝令を受けていた時だった。信雄が伊勢国に入ったとの報せを受けて、峠口で駐屯させていた兵を動かそうと思った矢先だった。
 騒ぎの訳を聞いて大膳が唸った。
「なんだと! 女人に?」
 兵の中には男色もある。それは今も昔も変わらぬ。女人の餌に食いつかなかった兵は規律に従ったのではなく、女人に興がなかったのである。
 男色の兵にしてみればこの狂騒が愚かしく見えたことであろう。が、いまはそんなことを言っている場合ではない。
「御屋形様の守備兵が外にはほとんどおりませぬ。皆、川に行ってしまいました」
 大膳は大声を上げた。
「愚か者めが! 斯様な卑賤な罠にかかりよって!」
「如何いたしましょう」
「よい、儂が引き戻す」
 そう大膳が言って立ち上がったところに、陣幕内に何者かが飛び込んできた。


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