第8話 忍びは仲間にも本心をめったと明かさぬ

文字数 1,193文字

 路々信長の一行を護衛するかのように、旅人や農夫に変装した甲賀の忍びや地侍が二重にも三重にも信長を取り囲んでいた。そこに衣茅たちが飛び込んでいけばたちまち手裏剣の群れの餌食になるか、農具に見せた武器で斬殺されたことであろう。
(おとりの影武者は信長の次男北畠信雄の奇策じゃ。こっちに掛かったと見せかけた方が相手を引っ張り出せる)
 それは百地丹波や服部正成が言った信長の兵力を削ぐ思惑と一致する。
(服部様は儂がこう動くこともわかっておっただろう)
(さきほどは知らぬと・・・)
(よいか衣茅、忍びは仲間にも本心をめったと明かさぬものじゃ。知らぬふりして互いに懐を探り合う。これが戦国の世で生き抜く極意じゃ。たとえ仕官しておる上役といえど一番奥の心は黙しておくものよ)
 前を往く師に衣茅は自分にもどこまで本心を明かしてくれているのか察しかねた。もしや師は信長方に付いていて自分たちをも謀っているのでは・・・? そんな疑念さえ湧き起こった。
(心得ました)
(衣茅よ、近々大戦(おおいくさ)が始まる。この伊賀を巡って儂らは信長と対峙せねばならんであろう。その時頼りになるのは将軍でも援軍でも兵器でもない。忍びの技だけじゃ)
 伊賀は室町以降、大きな支配勢力を持たず、清和源氏の末裔仁木氏が守護を務めていた。しかし仁木氏の力も大きくはなく、忍者や地侍たちの自治でこの国を治めていた。伊賀者たちにとってこの土地は謂わば支配者から独立した自分たちの国だったのである。
 衣茅は言った。
(されど、信長の軍は大軍で鉄砲も火薬も数多(あまた)持つと聞きます。先の三河長篠の合戦では徳川との連合軍で3万8千もの大軍を率い、火縄を巧みに操って無敵とされた武田の騎馬隊を散々に打ちのめしたとのこと。もし信長が伊賀に攻め入ったら、我らに一分でも勝機はありましょうや)
 小太郎は一瞬畔で立ち止まり、後を振り向いて衣茅の顔を覗き込んだ。
(三河で戦こうたら勝ち目はない。がしかし、ここは伊賀じゃ。儂らよりこの土地を知るものはおらん。火縄は平原でしか役に立たん。馬は夜駆けは無理じゃ。儂らにも勝ち目はある)
(左様でこざいましょうか・・・)
 衣茅はさっきの農夫へ視線をやった。この者がもし火縄を隠し持っていて、畝から自分たちを狙撃したならば蝉の声などで符牒を交わし合ったとて防げるものではない。現に、影武者を仕立てた甲賀忍者岩根三郎の父は火縄の名手で信長をあわや仕留めるかという功勲を上げるところであったが、それは彼が忍びとして優秀だったからではない。最新の兵器を使いこなせたからである。
 衣茅は不安になった。例え北畠信雄を倒したとしても、その背後にいる織田信長が本気でここを攻めるならば、自分たちの忍術でこの国を守れるのだろうかと。それを蝉の声で口にすることも憚られ、衣茅は師が言ったとおり、上役にも一番奥の心は黙しておくことにした。

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