第44話 それだけはならぬ

文字数 838文字


「それで城を捨てておめおめと戻ったと申すか!」
 北畠信雄は平伏する滝川雄利の頭を上から踏みつけた。
 信雄の父信長も怒りの感情を持て余した際、同様に家臣を殴りつけたり蹴倒したりしたが、この時の信雄も雄利を打擲し足蹴にした。血は争えぬ。
「も、申し訳ござりませぬ」
 平身低頭雄利は詫びるしかない。衣茅たちに眠らされ敵の夜襲に一矢も報えず、城を焼かれるだけ焼かれ、無残に逃げ帰ったのだから。
 それでも信雄は容赦ない。
「恥を知れ!」
 再度、雄利の頭を踏みつけた。板床に顔を押しつぶされる雄利。
(ぐうぅっっ)
 このような恥辱を主君から拝した場合、不忠者なら謀反、忠臣ならば腹を召すであろう。
 雄利の場合、まだ後者であった。彼もかくなるうえはと思ったが、不図、脳裏にあの時の下山甲斐の切腹未遂が浮かんだ。
 信雄の罵声が上から降りてくる。
「愚か者めが! 下忍にまんまと嵌められよって! 最初から丸山城に誘い込む敵方の策であったのだろう」
(そうであったか・・・あれは偽りだったというのか)
 雄利は悔やんだ。確かに初めは自分も下山甲斐を訝しんだ。ところがあの切腹である。あれに偽りはないと信じた。自分が止めなければ甲斐は間違いなく腹を一文字に掻っ捌いた。そうさせておけばよかったのだろうか?
 思案の末、雄利は覚悟を決めた。
「この不始末、いくら詫びようが申し訳がたちませぬ。かくなるは我が身命を持って」
 雄利が居住まいを正し短刀を抜こうとしたところ、今度は雄利の横面を信雄は殴りつけた。
「安易な! 許さんぞ!」
 転げた雄利の瞳に憐みが浮かぶ。
(腹も切らせてもらえぬのか)
 首を撥ねられると思った雄利は切に懇願する。
「武士の情けにござります。殿、せめて末期の始末は己で・・・」
 しかし、信雄は厳然と言った。
「父上から家老に配されたお前が腹を切ればどうなる?」
(どうなる? どうにもなるものか。信長様にとって儂は虫けらも同然じゃ)
 だが、信雄の意図は違った。
「この敗北が父上に知れる。それだけはならぬ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み