第56話 皆、逃げよ!

文字数 1,009文字


「こしゃくな!」
 大膳は手裏剣を刀で薙(な)ぎ払う。しかし片目をやられていた男色兵は手裏剣を鼻梁に受けた。悶絶して倒れる男色兵。
 大膳は小太郎に向けて言った。
「正々堂々と勝負せい! 一騎討ちなら忍び如きに負ける儂ではないわ!」
 小太郎は笑った。大膳と組み合う気などさらさらなかった。殺し合いに剣術など如何程の意味があろうか。小太郎はまたも咥えた筒に口内に隠してあった吹矢を舌で装填した。
 小太郎が大膳と男色兵を引きつけているその隙に、植田光次が柘植保重の首を狙う。こちらは一騎打ちの様相を見せていた。
「儂が成敗してくれようぞ、裏切り者」
 光次は伊賀惣国一揆十一箇条に則り、裏切り者を討伐する。
「よう言うた。兄者の敵(かたき)じゃ。返り討ちにしてくれるわ」
 謂(いわ)れ無き冤罪で兄を誅殺された恨みを、保重はいまここで植田光次に晴らさんとする。
 果し合いを告げた後、二人の刀がぶつかり合い火花が散った。
 
 その頃、中出川の中腹では、多くの溺死者を川底に沈め、それでもまだ群がってくる兵たちを尻目に、衣茅ら四十八のくノ一とくノ一の卵たちは川面に艶かしい裸体を浮かべ挑発を繰り返していた。
(そろそろ、よかろうか)
 衣茅は欲情掻き立てられた兵の数のあまりの多さに少し怖くなり、退散の頃合いを測っていた。
 さらに衣茅の不安を煽るように、甲冑を脱ぎ捨て褌一丁で川に飛び込む者が出始めるのを見て、ついに決断する。
「水遁! 皆、逃げよ!」
 水面下に身を隠し、水遁の術で逃げ切る算段だった。そうした訓練は伊賀忍者皆積んである。
 と、その時である。何者かが衣茅の足首を掴んだ。
(っ!)
 溺れ沈みかけている武者に足を掴まれたのだ。衣茅の体が武者と共に沈んでいく。
(離せ! 離さぬか!)
 水面下そう叫び、武者の手から足を引っこ抜こうとするが、溺れる武者も必死である。決して衣茅の足を離さない。
 川底には溺死寸前の落武者たちが亡者と生者の間を彷徨い群がっている。そこへ引き摺り込まれればひとたまりもない。生きて這い上がれない。
(だ、誰か!)
 そう衣茅が心で叫んだ時、また何者かが水中現れた。
 その者は恐ろしいスピードで衣茅のところまで泳いできて、咥えていた忍刀で武者の腕を、肘から一刀両断した。
 水中下、放たれた衣茅の顔の横を切断された腕が赤い血糸を引いて流れていく。
 衣茅が呟く。
(こ、小猿!)
 伊賀忍術十一名人、下柘植小猿に衣茅は救われた。
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