第6話 我らが甲賀者に負けるはずがなかろう!

文字数 1,121文字

 とりなすように小太郎が言った。
「畏れながら、本願寺からずっと追っておりました。間違いはござらぬかと」
「いつじゃ、出たのは?」
 服部正成の問いかけに小太郎は言った。
「一昨日、亥の刻。西門から西国街道を経て」
「ならばそれは信長ではない」
「なんと」
「信長は丑の刻。北門から出て一旦大和国へ向かっておる」
「まことか?」
 尋ねたのは百地丹波。
「わずかな手勢を引き連れ、町びとの旅装で」
 正成は服部家の伊賀忍者を信長に近しい従者の近辺に侍らせている。それ故、得られる情報は正確且つ極内密なものがあった。
「何ゆえに?」
「本願寺はまだ信長との戦を諦めておらぬ」
「和睦したのでは・・・」
「見せかけじゃ。信長の戦意を逸らす」
 丹波は正成の意図を察した。
「つまり、本願寺の夜襲から逃れるため?」
「左様。西国街道は本願寺の門徒が多すぎる。大和路を採ったのはそっちには藤政がおるからよ」
「順慶か」
 二人が言っているのは大和国郡山城主、筒井順慶(つついじゅんけい)。得度して仏門にはいる前、筒井順慶は藤政と名乗っていた。順慶は信長に臣従している。
「順慶を頼れば京へなんなく入れる。そこで利休に命じて茶会を開かせた。近江にまっすぐ帰れば影武者と鉢合わせるのでな。信長は先刻承知だったわけよ」
 正成の説に衣茅はさもありなんと心の中頷いた。あれは信長ではなかった。喉笛を裂いた顔に俗世の未練があまりに醜く残っていた。
 百地丹波が呟く。
「なるほど影武者であったか」
 正成は言う。
「信長の息子北畠信雄が先導しておる。それが小太郎の見た亥の刻。西門から西国街道へ向かった一行よ。掟に背いた囚われ人を影武者に当てておる」
 掟と聞いて小太郎の眉間に皺が寄る。
「まさか・・・」
「左様。甲賀じゃ。甲賀忍者の岩根三郎。杉谷善住坊が嫡男だった男。奴が影武者を仕立てておった」
 小太郎は迂闊だった自分の失態を恥じた。
「申し訳ござりません。謀られました」
 自若たる態度で正成は言った。
「それも先刻承知済みよ」
 小太郎が驚いたように顔を上げる。
「と申しますと?」
「お主には悪いが、向こうの罠にかかったと見せかけた方が、逸る信雄を引っ張り出せるのでな」
「服部様はご存知で?」
「許せ、小太郎」
 正成は笑う。
 先程から聞いていた衣茅が漏らす。
「つまり、信雄を潰す企てですか・・・」
 正成が頷く。
「左様。粗忽者の息子ならば打ち取れる。信長が動く前に兵力を削いでおくのよ」
 しかし衣茅はよぎる不安を口にする。
「ですが、向こうも忍びを召し抱えておりまする。知っていた上でさらに企ててきたら」
 すると丹波が押さえ込むように声を怒らせた。
「我らが甲賀者に負けるはずがなかろう!」
 上忍三家筆頭の言葉に衣茅は黙った。

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