第35話 末代までの恥でござる
文字数 703文字
「ならぬ」
使者との約束を果たさんがため、久左衛門は何度も村重に説いたが、村重は受け入れなかった。しかし、久左衛門は必死に食い下がった。
「されど、この機を逃すと、有岡で艱難辛苦(かんなんしんく)耐えてきた愛しき者たちが浮かばれませぬ。だし様にももう逢えぬのですぞ。それでもよろしいのですか!」
そこに自分の妻子もあることを久左衛門は言外に含めた。
村重はただ一言、
「城は明け渡さぬ」
とだけ言って久左衛門を睨み据えた。
「今一度お考え直しくだされ!」
「用はそれだけか?」
村重が立ち上がろうとしたところ、久左衛門は村重の袴の裾を掴んだ。
「お待ちくだされ! あの城はもう持ちませぬ。信長に捕らえられた我らの妻子がどのような目に合うか、殿にもおわかりでしょう!」
村重は足元にすがりつく久左衛門を見つめた。沸き起こる不安と言葉をぐっと堪え飲み込んだ。
「殿が戦っておられる相手に人間の慈悲など一片もござらん。それはそれは酷(むご)い扱いを見せしめとして、我らの妻子に施すことでしょう。誰に対する見せしめかお分かりですな?」
村重は黙っている。
「自分に背いた荒木村重殿に対する見せしめでござる」
久左衛門は昂る感情を抑えれらなくなっていた。
「たとえ我らが腹を切ってでも、城から妻子だけは逃れさせ、子子孫孫絶やさぬようこの世に残して征くが武士(もののふ)の務め。妻子見捨てて戦うは武士(もののふ)の風上にも置けませぬぞ。末代までの恥でござる」
そこまで言ってしまった。かつて自分の方が上であった自尊心がいまの主君を軽るんずる結果になってしまった。一方、家臣に恥とまで言われ村重も黙ってはいられない。
「戯(たわ)けが!」