第38話 一人残らず、根絶やしにせよ!
文字数 1,029文字
「なんだとぉ!」
和睦条件を突き返してきた村重に信長は猛り狂った。
「村重は上様のことを、戯け者、悪鬼と蔑んだとのこと」
「許すまじ」
滝川一益は甲賀忍者を物見に送り、和睦交渉の様子をいち早く報告させていた。使者が帰還したのはその後だった。
「なお、荒木久左衛門、その後行方知れず」
これも甲賀忍者に探らせていた。有岡城の名代荒木久左衛門は村重への説得に失敗した後、尼崎の河尻泊から小舟で西方へ消えたと。
「城は?」
「は、我が方が完全に制圧してござりまする」
「人質は?」
「すべて縄にかけました」
「猿の送ったあの者は?」
「は、土牢にて救出」
「まだ生きておったか。しぶとい奴じゃ」
「されど片端になっておりました」
「足無くとも、軍師として使えよう」
「御意」
そして、一益は下知を仰ぐ。
「上様、人質総勢六百有余、いかがいたしましょう?」
信長は佩刀を鞘から抜き、一益の眼前にちらつかせて吐き捨てた。
「一人残らず、根絶やしにせよ!」
天正7年(1579年)12月13日。まず、上﨟たち122人が有岡城から引き摺り出され、尼崎七松まで連行された。そこで美麗な着物を纏ったまま張り付けにされた。張り付け台に縛られた彼女たちの泣き喚く声が天にも響かんばかりに谺(こだま)して、尼崎城の村重の耳にも届いた。
「始まるようですな」
小猿が冷静に呟く。村重は目を閉じて苦渋の表情のまま動かない。
この後さらに、女官388人、若い郎等124人が家屋に押し込められ周囲から火を放たれ逃げ場をなくし、家屋に燃え移った火炎に巻かれ512人の焼け爛れた断末魔の雄叫びが曇天の冬空に響いた。
この処刑も尼崎城から眺められるよう執り行われた。村重は目を閉じ耳を塞ぎ、これを遮断した。
そしていよいよ12月16日には、村重の側室だしをはじめとする村重一族、女、子ども30余人の処刑が行われた。一族は大八車に縛りつけられ、泣き叫ぶなか、京を引き回わされ、六条河原において斬首された。
この様子を見ていた六角氏家臣立入宗継(たてりむねつぐ)は彼が認めた見聞録『立入左京亮入道隆佐記』に「かやうのおそろしきご成敗は、仏之御代より此方のはじめ也」と悲嘆に暮れて綴っている。
ところがもう一人、この惨殺を民に混じって見ていた女山伏の捉え方は違った。
(女子(おなご)であろうと我が身処し方は己で知らねばならぬ。戦えぬのなら、自害すべきだったのだ)
くの一忍者衣茅である。
(されど命を道具に扱う信長には因果応報が降る)