第30話 断ち切られたのでござりますな

文字数 705文字

 天正7年(1579年)9月。村重は有岡城を脱出した。土砂降りの雨の日の未明、ごく僅かな近習らだけを従え、織田の包囲を易々と突破した。
 悪天候の中、包囲網の手薄な箇所を小猿たちが見極めていたため、物見も村重たちを見逃した。
 尼崎城に入った頃には雨も止み、雲間から薄陽が差していた。
「手柄じゃ。取っておけ」
 村重は小猿を捉まえて、褒美を渡した。米一俵である。
 小猿は馬上の村重を見上げ言った。
「何故(なにゆえ)置いていかれませなんだ?」
 有岡城には飢えた家臣たちとその家族がまだいる。だが、村重は城を出る際、残された貴重な米を運び出した。
「お主ら、捨てろと申したではないか」
「これも含めてのことでござる」
 小猿は米を受け取ろうとしなかった。
「空けた城に食い扶持はいらぬだろう」
「殿にはお情けはございませぬか」
「お主の申すことがわからん。捨てた時点で情けもいらぬではないか」
 妻子を残して城を出た時に村重は情けも置いてきた。後顧すれば、信長に勝てぬ。そう決断しろと言ったのは補弼役の小猿たちだ。
 しかし、何故か小猿は執拗に村重に迫る。
「我らには必要ござりませぬ。されど武門の棟梁にはそれなくば家臣は着いて来ませぬか?」
 すると吹っ切れたような顔で村重は言った。
「案ずるな。ここにもおるわ」
 尼崎城の家臣団のことを言っている。
「加えて、頼みのお主らもおるではないか。捨てた城に未練残しておったらこの戦の大儀を失うわ。違うか?」
 小猿はにんまり笑った。
「断ち切られたのでござりますな」
「そうせよと申したであろう、衣茅が」
「分かり申した。この褒美は衣茅に渡しまする」
「好きにせえ」
 村重は尊大な顔をして城内の奥に入った。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み