その③

文字数 2,196文字

 けれども犁祢は諦めが悪い。この状況でも藍野を倒すことを考えている。

「どうした、お前? 早くそのライターを捨てろ!」
「わ、わかったよ…」

 この時犁祢の左手は、床についている。もちろんライターも。だから普通なら、それをスライドさせてどこかに捨てる。だが犁祢は持ち上げて、そして藍野目掛けて投げたのだ。
 ライターが床に落ちる時、上手くスイッチの方から落ちた。そしてわずかだが電流が生じ、一瞬だけ火花が生じた。同時に爆発。周囲に溜まった高濃度の酸素に火がついたのだ。

「な、何!」

 この爆発に驚いた藍野は、一瞬遅れた。爆風に吹き飛ばされて転ぶ。一方の犁祢は、身を伏せていて無事だ。

「よし、予想通りだ!」

 一気に立ち上がって藍野の側に駆け付け、そして拳を振り下ろす。だが、受け止められる。

「もう動けるのか!」

 藍野は転びはしたが、全く怯んでいない様子。その証拠に、もう立ち上がろうとしている。

「馬鹿め! 爆発は予想外だったが、だからどうした?」

 そして犁祢を力任せに投げ飛ばす。

「っわわわ!」

 爆発で生じた煙の中に犁祢は投げ込まれた。

「そこで酸素の代わりに煙でも吸って死んでいろ…。次はお前だ!」

 心の方を睨んだ。

「やるつもりね……。なら…!」

 今度は心の方から仕掛ける。鋭いパンチを繰り出すと、それが藍野の顔に当たった。

「力は強い…! そういう神通力なのだろうな…。だが!」

 藍野もただ殴られているわけではない。学習しているのだ。その証拠に心が繰り出した次の一撃、藍野は紙一重で避けた。

(戦闘経験は豊富ではないらしい。だからこそのワンパターンな攻撃。それではいくら力量があっても無駄だ…)

 心のパンチを避けて逆にアッパーをくらわせた。

「きゃあ……!」

 もし心の耐久力が上がっていなかったら、これで意識が飛んでいただろう。何とか踏みとどまって堪える。

「しぶといな…。しかし! 次で終わりだ!」

 その攻撃を仕掛けようとしたその瞬間。藍野の後ろで声が聞こえたのだ。

「うりゃあああああおおおおおおおおおおおお!」

 犁祢だ。煙の中に放り込まれた彼だったが、一酸化炭素の中でも神通力で必要最低限の酸素を確保して、タイミングを待っていたのだ。

「コイツもしぶとい…!」

 藍野は振り返る。だが既に犁祢の一撃は、胸に迫っていた。

「おおおおおおおおおっ!」

 入った。犁祢の拳が、藍野の左胸に。

「ぐがばっ!」

 肋骨が数本砕け折れる一撃。そして間髪入れずに心も後ろから攻撃をする。

「いっけえええええ!」

 その一撃は、藍野の背中の右側に当たる。今度は背中側の骨が潰れる。

「今だ心! 力を入れろろろおおおおおお!」

 これ以上は入らないという考えは捨てる。無理矢理藍野の胸に拳をめり込ませ、奥へ奥へと突き進める。

「ぬおおおおお!」

 そして、二人の拳は同時に硬い何かに到達する。脈打つ筋肉の塊、心臓だ。

「これを突破すれば………終わりだあああ!」

 パーンと、何かが破裂する音が聞こえた。同時に犁祢と心の拳は、藍野の体の中でぶつかった。

「…………」

 無言で崩れ落ちる藍野の体。言葉も発せず、息もせず、そして力もこもっていない。

「や、やったのか?」

 伊集院は隣のビルで見ていたが、これは確実に犁祢たちの勝利だった。心臓を潰された藍野は、その一撃で命も潰れてしまったのだ。


「ふ、ふう……」

 犁祢と心は手を引っ込めると、藍野の死を確認する。その死に顔は、苦痛の表情ではなかった。満足しているような感じに思えるのだ。

「これはすごいや。コイツは最期の瞬間まで、東邦大会のボスとしての威厳を保とうとしていた!」

 犁祢はその死体に拍手を送る。一方の心は気絶している仲間の無事を確かめた。

「大丈夫だね…。まだ意識は戻ってないみたいだけど……でもすぐに目覚めるよね…」
「みんなの目が覚めるまで、待とう。僕は隆康たちの家の場所なんて知らないし」

 まずは伊集院を助けに、犁祢は隣のビルに飛んだ。

「お前たちはすごいな…。あの東邦大会の裏ボスを倒してしまうとは」
「でもこれでさ、もう縁君の容疑は晴れたでしょう?」
「そんなことよりも、もう東邦大会も終わりだろ。まだ一般構成員は残っていそうだが、これじゃあ以前ほどの力もないはずだ」

 伊集院に肩を貸し、犁祢はすぐに心たちのいるビルに戻る。藍野の死体は伊集院の神通力で腐らせて、朽ち果てさせて隠滅する。

「滅亡したも同然だけど、東邦大会の息のかかった人間はまだまだいると思う……。犁祢、どうするつもり?」

 心が心配そうに聞くが、犁祢は自信満々に、

「どうって、やるしかないでしょう? 僕らは正義の味方ではないけれど、でもアイツらは間違っていることはわかるよ。そんな奴らは野放しにはできないからね」

 彼らの一連の行いは、月明かりだけが知っている。彼らはそうやって、悪事が発覚しないようにしてきた。だが、犁祢の勝手な行動のせいで無関係な人が疑われたことから、これからはもっと洗練することになるだろう。

 この時、月夜は既に明けかけている。東のビル群の向こう側から、太陽が顔を出し始めていた。
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