その③

文字数 3,786文字

「そんなことが、ねえ……」

 この日の夜、本来の予定であれば車のドライバーをターゲットにするために、道路に目を光らせるつもりだった。だが犁祢が、

「ターゲット候補がいるんだ」

 と告げると、

「どんなヤツだ、ソイツ?」
「泥棒さ」

 昼間の一件を、犁祢は根に持っていた。しかしそれは、友人が傷つけられたことに対してではない。

「泥棒は泥棒。他人の物を許可なく持って行ったからね…ていうか僕の趣味の一品なんだけど」
「それじゃあ、私情かよ?」

 隆康がツッコミを入れたが、

「でも犯罪者であることには変わりないのでしょう? でしたらルールの範疇ですよ。なので私は自分の番が来るまで我慢します」

 愛倫は、それも見逃すことのできない犯罪だと言った。

 犁祢は、今日のターゲットについて説明した。借金取りであり、実は既に匿名で電話を入れて、場所におびき出してあるのだ。

「しかし、夜までよく待てるな…。俺だったら速攻で神通力を使っているぜ…」
「伊集院…あんた、みんなで決めたルール守ってないの? ズルいじゃないのよ!」
「いいから! さあ早く行こう。僕もうずうずしてきたよ…!」

 また、ビルからビルへ飛び移る。神通力者なら、道路も一っ飛びで渡れる。人気のない路地に着くと犁祢が指を下に示し、

「あの二人さ。今日の獲物は」
「何か、悪そうな人ね……。私が借金したら、絶対に風俗に斡旋されちゃう……。ああ、男の人の目線が怖いわ…」

 心なりの感想を述べる。他のメンバーも一通り第一印象を話したが、全員が

「人相が悪い」

 と言った。

「んで、どう料理すんのよ?」

 菜穂子が言うと、

「いつも通りだよ。知ってる菜穂子? 人間ってば、苦しんだ時の表情が一番絵になるんだ。生にすがり、もがく仕草が何と言っても……いや、言い表せないよ!」

 犁祢は、人の苦しむ姿を望む人間だ。本当は錬耶が暴行されている場面も見たかったぐらいである。

「見張っているが、蛾も一匹飛んでこないぜ? さあ、行けよ!」
「オーケー!」

 犁祢は、十数階はあろうビルの上から飛んだ。そして上手く着地した。痛みは感じないし、怪我もない。神通力者なら当たり前のことだ。

「うお、何だお前!」

 開幕、怒号が飛んで来る。

「一つ聞きたいんですが、泥棒って悪いことですよね?」
「誰が泥棒だぁ? 舐めてんのかてめえ!」
「もしかして、電話、お前か? 金、持ってんだろうな? ああ?」

 二人組なのをいいことに、威勢のいいセリフを吐く。しかし犁祢は、

「それじゃあ駄目でしょう?」

 といきなり言った。

「何だと?」
「声と容姿に任せて恫喝ですか…? でもやはり、人を傷つけるのには暴力が一番望ましい!」
「やんのか、お前?」

 この時、借金取りの二人には、犁祢がちっぽけな存在に見えていた。無理もない。対して筋肉が発達しているわけでもない人物しか、目の前にいないのだから。

「おい鈴木(すずき)、わからせろ!」
「あいよ、佐藤(さとう)の兄貴!」

 鈴木という人物が、メリケンサックを指にはめて拳を作り、殴りかかる。だが犁祢はそれをひらりと避ける。

「んだ、何避けてんだてめえ!」

 それがさらに鈴木を逆上させてしまう。

「仕方ないですね……。では!」

 犁祢は、神通力を使った。その瞬間、

「……ぐ!」

 鈴木は立っていられずひざまずいた。そして首に手を回して苦しみだした。

「おい鈴木、何やってんだ?こんなガキ早くやっちまえ!」
「あ、あに……き……っ! く、くるし……」
「お、おい。大丈夫か?」

 だが、平気でないのは一目瞭然。

「鈴木! てめえ、何をした!」

 佐藤が犁祢に掴みかかる。だがその伸ばしてきた手を叩いてかわすと犁祢は、

「生物にとって、一番身近な毒物だけど必要不可欠なものってなんでしょう?」

 と、クイズを出すのだった。

「知るか!」
「答えは酸素です。人間は酸素濃度ゼロパーセントの空気中で呼吸をすると、体の酸素が外に逃げてしまう。すると呼吸が反射的に生じるわけですが、その空気中での呼吸はさらに酸素を外に出すことになってしまう。つまりは悪循環…。酸素濃度の低い場所で、たかが一回! 呼吸をすると、それが死につながるんですよ!」

 楽しそうに解説を入れる。それが恐怖心を煽るのか佐藤は、

「な、な、何だお前は!」

 セリフに反して、後ろに下がった。

「そして! その苦しむ姿こそ! 一番美しい! でもそれは儚さも一緒。花火が上がって咲いた後すぐに消えてしまうように、その顔を見せた人はすぐに死んでしまうのです…!」

 犁祢が鈴木の手首を掴んで脈拍を測ったが、既にない。もう、死んでしまっているのだ。

「お、おい? 鈴木? 大丈夫だろ?」

 返事は返ってくることはない。

「コイツ…!」

 だが佐藤は、ここで冷静に物事を考えた。

(今、鈴木の仇を討つのはマズい! コイツ、ただ者ではなさそうだ…! だからここは引いて、仲間を呼べば…!)

 反転し、走り出そうとした。が、足も体も言うことを聞かず、佐藤は地面に崩れた。筋肉はけいれんをはじめ、呼吸が辛くなる。

「では? 酸素を与えすぎるとどうなるのでしょう? 先ほど言いました通り、酸素ってのは生物にとって毒でもあるんですよ? 百パーセントの純粋酸素が安全なわけがありません。活性酸素っていうのがあってですね、体の臓器に運ばれると化学反応を起こしてしまい、細胞を傷つけるんですよ。そして細胞が死んでいくのです。今のあなたがそうでしょう? とは言っても、聞こえてます?」

 佐藤の反応は薄い。もうおそらく、意識が飛びそうなのだ。

「つまりは、死ぬんです。酸素はなさ過ぎてもあり過ぎても駄目。そう考えると、空気中の酸素濃度って上手くできてますよね?」

 犁祢の神通力。それは空気中の酸素濃度を自在に操ることだ。ゼロから百まで、思うがまま。ある一か所から酸素を完全に奪うことができれば、逆にある一か所に酸素を与えすぎることもできる。言わば酸欠と酸素中毒を意図的に引き起こせる神通力。
 恐ろしい力である。何しろ突然、自分の口の周りが吸っても吐いてもいけない空気と化すのだ。たった一回の呼吸が、死を招く。そして実際に、鈴木は酸欠で、佐藤は酸素中毒で死んだ。

「あれれえ? もう終わりですか。残念ですね。もっと苦しむ様を見たいと思ったのですがね…! でも生き返らせることは不可能ですし?」

 この神通力で操れるのは、空気中の酸素濃度のみである。だから体内の酸素濃度をいじることはできず、呼吸をしない相手には通じないのだが、そもそもの大原則として人間をはじめ多くの生物は、酸素を体に取り込むために呼吸をしなければならない。

「全く、怖い神通力だぜ。何度見ても近づきたいと思えねえな」

 伊集院がそう呟いた。犁祢の神通力の範囲はそんなに広くないので、ビルの上は安全だ。逆に言えば、今犁祢の近くに行くことは危険極まりない。もっとも犁祢自身には、最適な酸素濃度が約束されている。

「自分は絶対安全に、相手だけを傷つけることが可能! それが犁祢の神通力だぜ! こう言うのは悔しいが、俺たちに一番向いてる神通力だ!」

 隆康からの評価も高い。

 ことが済むと犁祢は神通力を解いて、ビルの上まで壁を蹴って駆け上がった。

「面白かったでしょう?」
「ああ。最高だな。威勢だけいい無抵抗の人間が死んでいくのは!」

 感想を述べると隆康は、すぐに帰ってしまった。

「アイツ、自分勝手な……。明日晴れたら自分の番なのに、準備はいいのか?」
「いいんじゃないの? 放っておきなさいよ。私も帰りたいわ」
「菜穂子、何で?」
「自分磨きよ! 幼馴染だか何だかわからないブスに縁君は譲れないわよ!」

 菜穂子も自分の家に向かって、ビルからビルを渡る。

「今日は終いにしましょうか? ちょうど心地よい風も吹いてますし、でも今日の夜ご飯は美味しくなかったんですが…」
「そうだな。よし、解散だ!」

 伊集院が叫ぶと、みんな自宅を目指して帰路に就く。犁祢も今日生じたストレスをその日の内に発散できたので満足だった。


 家に帰ると、家族は全員寝ている。犁祢もお利口なことに、就寝していることになっているのだ。
 窓からこっそり自分の部屋に入ると、すぐにパジャマに着替えてベッドに潜る。

(いやあ、今日は良かった! やっぱり見てるんじゃなくて自分でやらないと!)

 鈴木と佐藤が死ぬ様を思い出しながら、眠る。それが犁祢にとって一番の幸せなのだ。


 だが、この日の獲物はもっと慎重に選ぶべきだった。犁祢はろくな下調べもせず借金取りを泥棒と判断して殺したわけなのだが、事実そうであったとしても、この時手を出してはいけない領域に足を突っ込んでいたのだ。
 そんなこと、六人は知る由もない。それにあの二人を殺したことで事態が大きく動くのは、もう少し後になってから。今の段階で気がつくわけがない。

 その日は、ゆっくりと犁祢たちを待っている…。
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