その②

文字数 2,581文字

「良い人なんだけど、善人過ぎるんだよ! 縁君は!」

 もちろん今夜もその愚痴をこぼす。伊集院は相変わらず笑っている。

「でも、俺とは比べ物にならないな、ソイツ。だって俺の方が上だもん」

 根拠もないし誰にも求められてもいないことを隆康は言う。心は、

「そんなことになってったんだ……。気づかなかったわ。でもこっちも取材で忙しいから、ちょっと迷惑……」
「ちょっとで済むならいいじゃない! 縁君は何も間違っていないわ! 寧ろ隙あればサボろうという魂胆のあんたが間違っているのよ!」
「何ぃ!」

 菜穂子の言うことに犁祢は怒ろうとしたが、正論であるので止めた。

「さて愛倫? 今日は狩りにはいかないぞ? 見てみろ」

 伊集院の指差す先には、分厚い雲。それに覆われた空にはどこにも、月が見えない。今夜は天気の都合で月のない晩。

「何でか知らないが、寝場打市では月夜は犯罪率が上がるんだ。でもない場合はガクッと下がる。不思議なもんだな」
「みんな、月明かりが免罪符だと思っているんですよ。もしくは犯罪率自体は変化がなくても、月が光って明るければ、外出しても自分は大丈夫と思う輩がいて、その馬鹿どもが犯罪に遭う。あ、でも…今日私は夕食の魚を残しました」

 持論を述べたところで、今日やるべきことは一つ。特訓だ。沼田との遭遇は、犁祢たちに危機感を抱かせた。

「俺は隆康と組む。愛倫は菜穂子とな。犁祢は心とだ」

 この組み合わせには、誰も文句を言わない。実力が近い者同士でスパーリングだ。一見すると、男の犁祢に対して女の心が相手をするのは無茶ぶりのように思える。だが、実際に神通力を持つ犯罪者を打ち負かした犁祢の相手は、メンバーの中で一番高い。となると、相手のスペックを丸々コピーできる心しか相手が務まらないのだ。

「神通力は使うな!」

 このスパーリングには、一つだけ条件がある。それは今、伊集院が叫んだこと。神通力なしで、素の実力で勝負することだ。これには理由があり、神通力を使うのは最後の手段にしておきたいから、また神通力なしでの実力を磨かいておきたいからである。特例で心のみ、神通力の使用が許可されている。では、早速そのトレーニングを見てみよう。

「じゃあ犁祢、全力でね。変な心配はいらないから…」
「わかってるよ!」

 とは言っても、犁祢はすぐには動かない。相手の出方をうかがうのだ。

(心は神通力によって、僕よりもはるかに上の実力者になっている…。普通に掴みかかったら、逆に投げ技をくらう…)

 実際に最初のトレーニングでその事件は起きた。その時は犁祢も、沼田を倒して天狗になっていたので油断しており、心は一番弱いと思っていた。そして投げ技でぶん投げられて樹の幹にぶつけられ、その考えを悔い改めることになったのだ。
 対峙する心の方も、まだ動かない。それがかえって不気味であり、犁祢の心の中に焦りを生み出す。

(行くか!)

 突然、犁祢は動いた。相手が普通の人だったら、その動きを捉えることはできたとしても、反応できないだろう。だが心は違う。犁祢の繰り出す拳を一つ一つ、綺麗に避ける。

「そんなんじゃ、当たんないよ!」
「いいや、どうかな?」

 犁祢の拳の動きは、適当である。決まった一点を狙っているわけでも、繰り出す高さを決めているわけでもない。本当にランダム。多分、拳を握る本人ですら、次の一撃がどこに行くかを把握していない。

(でも、それでいい! どうせ自分よりも身体能力は上回っているんだ、だとしたらランダムな攻撃に託すしかない! それが戦略!)

 だがその目論見は、すぐに崩壊する。

「えい!」

 心はいきなりしゃがむと足を伸ばして、犁祢の足を払った。

「うわあぁ?」

 いきなりの出来事に犁祢は対応できない。転んだ。

「しまった! それがあったか! 忘れていたよ……」

 神通力を使っている心の発想は、犁祢と全く同じ。ランダムな攻撃をどうやって避けるか? 犁祢は攻撃自体をやめさせるしかないと思っていた。彼がそう思ったのなら当然、心も同じことを考えるのだ。

「ちょっと趣向を変えようよ! このままじゃどうやっても心から一本も取れやしない…」

 ここで犁祢、これ以上自分が不利にならないことを提案する。

「僕のパンチを、心は手のひらで止めてくれ。素早いパンチに対して素早く反応するんだ、いい?」
「大丈夫、できる……と思う」

 返事を確認した瞬間、犁祢は右ストレートを繰り出した。だがそれは、心の左手で止められる。次はキック。しかしこれも、右肘でガードされる。

「こんなんでいいの?」
「ああ。スポ根みたいじゃない?」
「どうだか………」

 だが悪くはないのだ。犁祢は機敏に動き、そしてそれを上回るスピードで心はガードする。犁祢よりも心の方が上だからこそ、成り立つ組み合い。逆では絶対に成立しない。

 数分も繰り返していると、犁祢も段々疲れてくる。同時に、飽きても来る。

「もうやめない? ちょっと詰まんない……」

 口にしたのは心が先だった。

「確かに。神通力を持つ犯罪者がここまで馬鹿正直に真面目に、戦ってくれるわけがないよね…」

 沼田の時を思い出していた。アイツは卑怯なことに、人質を取ろうとした。そもそも自分で招集したはずの野生動物のことを、身代わりとしか考えていない輩。まともなはずがない。

「私も自分の力試ししたいんだけど……」
「じゃあちょっと、街路樹と戯れるか…」

 ここはビルの上。近くにそれらがないので、犁祢は伊集院に断ってから降りようとした。

「全然! お前に負けるかよ!」
「いいや! 今のは有効だろ!」
「は? 意味わかんねえし? お前、馬鹿じゃない? そもそも本気出せば俺の方が強いから!」
「負け惜しみはみっともないな、腐った発想だ…」
「今日は調子が良くないだけだ。本当なら俺の方が、実力は上!」

 どうやら伊集院の方が一手上回ったのに、隆康は頑なにそれを認めようとしないのだ。だから二人はさらにヒートアップし、より激しく特訓……というよりも喧嘩を始めた。

「いいや。黙って行こう」

 犁祢は心と一緒に、壁を伝って地上に降りた。
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