その②

文字数 2,504文字

 小戸(おおべ)(ひのえ)という警部がいる。彼はこの寝場打市で育った、奇跡の正義漢だ。

「警部、今日も殺人事件ですよ」

 部下に言われ、現場に急行する。鑑識たちと共にその死体の待つ場所に来た。

「ガイシャは、男か?」
「通報した女性によりますと、彼女を襲おうとしたようです。しかし……」

 言いにくそうな口ぶりだったが、丙は部下に言わせた。

「少年…ですかね? 突然現れて、この男性を襲った後、飛んで逃げて行ったって言うんですよ……。全く信じられませんよ、幻覚でしょうか?」
「……かもな」

 だが、丙はこの事件の異常性を理解していた。

(あのボロボロになったナイフと思しき遺品。それにこの被害者、外傷がまるでない…。手を怪我しているみたいだが、それは致命傷になり得ない。司法解剖に回すが、多分……窒息死だろう…)

 実は彼は、これに似た怪事件と数度遭遇している。この前の被害者も、首に索条痕がなかった。だが解剖の結果、死因は窒息死。爪も見てみたが、被害者以外の皮膚片などはない。明らかに他殺だが、凶器がわからない。
 そしてその現場にも、落ちていた。錆びてボロボロになった包丁が。

(これが物語るのは、一体何だ? 犯人はどうやって殺しをしている?)

 この疑問に答えてくれる人物や物証は何も無い。だからこの日も収穫がないまま、署に戻ることになった。

「警部、少し疲れてませんか?」

 気の配れる部下は、そう言ってコーヒーを丙に淹れた。

「大丈夫だ。それと例のヤクザ、まだ口を割らないんだって?」
「でも、警部となら話してもいいって言ってるらしいですよ?」

 取調室に行くと、その暴力団構成員は大人しく座っている。

「あ、警部!」
「俺が代わろう」

 丙はマグカップを机に置くと、取調室に入った。

「君が、松平(まつだいら)…。合っているよな?」
「そうだぜ」

 つい先日のことだ。松平という男が自首してきたのだ。本人によると、暴力団の一員として悪事を働いたらしい。犯人隠避だという。だがそれ以上は何も語ろうとしない。

「やっと話のわかる人が出てきて、助かった。ふうう~。もう疲れたぜ。あの婦警、なんにもわかんねえんだから。安心しな、もう黙秘権なんて言わねえから。あんたならわかるはずだ」
「俺もわかるかどうかは、わからんぞ?」
「いいや、わかるさ。絶対に」

 まず、丙は疑問をぶつける。

「君の下の名前は、何て言う?」

 この松平という男、身分証の類を一切持っていなかった。捜査の結果は、住民票や戸籍にすらたどり着けていないのだ。

「知らん」
「おいおい、知らないわけないだろ? 自分の名前だぞ?」
「じゃあ覚えてない、でいいや。俺は松平。そう呼んでくれればそれで十分」

 その後もしつこく聞いたが、嘘は吐いていない様子。

(と言うことは、本気で、「名前がない」と言っている…?)

 年齢について聞いても、

「十五プラス十二で…二十七だ」

 という、不自然な返事が返ってくる。

「…わかった」

 丙のこの発言には、松平の言っていることを理解したということと、これ以上聞いてもらちが明かないことも理解したこと、二つの意味が込められていた。

「では…何故暴力団の君が突然警察署にやって来て自首なんかする? 幹部の替え玉にでもされたかい?」
「違うぜ。俺、わかるんだよ…。東邦(とうほう)大会(たいかい)は近いうちに壊滅するんだ」
「何?」

 東邦大会とは、松平の所属する指定暴力団。この寝場打市を根城とし、何の後ろ盾がないにも関わらず勢力を伸ばしている反社会的勢力だ。

「詳しい話は言えないな。未来が変わっちまうからよ…」
「未来が? どのように?」
「それは知らねえ。でも、何が起きるか……具体的なことを誰かに言うと、予知した通りの未来じゃなくなる。さじ加減も微妙な範囲なんだ。それは俺が一番わかっていること」

 この時点で、ほとんどの人は松平の話についていけなくなるだろう。だが丙は違う。

「…そうか。それがお前の神通力(じんつうりき)………か?」

 その言葉を待ってましたと言わんばかりに、松平は指をパチンと鳴らし、

「だから話が早くて助かるんだぜ! お前の息子さんも、神通力者だろう? 俺らなりの調べはついてんのよ」

 その会話が理解できない婦警は、

「何ですか警部、じんつうりきじゃというのは…?」
「にわかには信じられん話だが、この世には超能力のようなものがある。神通力もその内の一つだ」
「正確には、超能力とはちょっと違うぜ。別に念じたものが動かせるとか、そういうのはできない。でも、神に通ずる力と書いて神通力だ。何か一つだけ、できることがある」
「それがお前の場合、未来予知ということか…」

 松平は頷いた。


 丙が松平の話を理解できたのには、わけがあるのだ。

「縁、もう一度やってみせてごらん」

 彼の息子は、普通の人には持っていない力があった。息子は小さな子供の時点で、火のないところに煙を立たせることが可能だった。
 それを疑問に思った彼は、徹底的に調べることにした。そしてたどり着いた結論、それが神通力者なのである。

「神通力者は、普通の人とは一線を画す身体能力を持っている。同じ年齢の人であっても、通常の人は神通力者にはまず勝てないだろう。そして、固有の能力を持つ。それは神通力者によって様々である…」

 古い文献には、それしか載っていなかった。だが息子のことを見ていると、信じる以外の道はなかった。


「松平、お前の話はちょっと怪しいが……俺は信じよう。そこでだ、東邦大会は今、何をしている? どういうところと黒い付き合いがあるのか、それを知りたい」
「いいぜ。でも、今日は勘弁だ。少しずつ、時間をかけて留置場に留まらないと、壊滅の時に居合わせてしまうからな。期限ぎりぎりまで粘らせてもらおう。いや、切れてしまうのなら起訴してくれて構わないぜ?」

 この日の取調べは、これで終わった。
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