その②

文字数 4,001文字

 それは金曜日の月夜のことだ。

「緊張してしまうな。明日は文化祭だ」
「伊集院は何か出し物でも?」
「店番をしなければいけない。今日のために検便も出したし、焼きそばの完璧な焼き方も学んだ。食材費が回収できるぐらいには、売れればいいんだが…」
「腐敗焼きそばなんて、誰が食うんだよ!」
「腐ってんのは隆康、お前の脳みそだけだ」
「んだと!」

 二人が口喧嘩を始めそうだったので、犁祢は放っておくことにした。そして女子三人組の方の会話に混じる。

「愛倫は何か、するの?」
「いいえ、特には」
「じゃあ私と代わってよ。写真部のコーナー多分退屈だから大丈夫でしょ!」
「駄目だよ菜穂子…。ちゃんと出ないと。美優志が怒るよ?」

 そんな会話をしながら、今日のターゲットを探す。

「で、誰なんだよ?」
「そうだね……。この辺で有名な学校荒らしはどうかな?」

 犁祢の提案する犯罪者は、谷野(たにの)(ちかい)。学校専門の泥棒である。数年前から盗みを働いている。一見すると大した悪事に聞こえないかもしれない。しかし、職員室に忍び込んで個人情報を盗み取り、高く売るのだ。これは非常に悪質。

「しかも、先月の谷野の犯罪を知ってる? 文化祭前の学校に忍び込んでさ、展示物の破壊までしてるんだよ? もちろん金目の物は全部かっさらっていくんだ」
「そんな、馬鹿丸出しの泥棒がいるんだ……。でも文化祭前日の今夜にはぴったりだね」

 決まった。今日は谷野を手にかける。

 犁祢たちは学校の近くに移動した。もし明日の文化祭を谷野が嗅ぎつければ、ここの近くに来るはず。
 そしてその読みは当たった。怪しい人物が一人、学校に近づいている。敷地内に入れるわけにはいかないので、ここで菜穂子が先制攻撃を仕掛ける。

「誰だ?」

 谷野の足元で、氷柱が割れた。

「行かせないわ! 邪魔なのはあなたよ!」

 ここで周囲をキョロキョロと見渡す。

「おいお前、一人か? まさかそんなわけないよな?」
「あら? そういう意味?」
「実は犯罪者の間でも、噂になっている。「まるで犯罪者専門の掃除屋がいるみたいだ」ってな? それがお前、いや、お前たちか…」

 その顔を向けた方向には、犁祢たちが隠れている。鋭い勘だ。仕方なく犁祢たちは物陰から出て来た。

「でも、一人で僕たちと戦うわけ? まさか勝てるとでも?」
「一人? フフフ、俺の神通力までは知らないらしいな…」
「何?」

 谷野は手と手を合わせた。そしてその両手が離れた時、その姿が二重に見える。犁祢は目を疑って、擦った。しかし次の瞬間、谷野の姿は二つ。全く同じ人物が、二人。

「何だ今のは?」
「細胞分裂でもしたのか?」
「間違ってはいないな。俺の神通力、それは……増殖できるのさ!」

 さらにもう二人増える。あっという間に四人になった。

「では、邪魔者は片づけさせてもらうぜ。そこの学校は明日文化祭らしいからな、きっと金目の物もあるし個人情報もたっぷりだ。それを手に入れれば、大儲け! フッ、笑いが止まらねえ!」

 だがこの事態に、犁祢は冷静だった。

(神通力はそれだけ。ということは、もう他に種はない。ならばいくら増えたところで、制圧できる!)

 その考えは、間違ってはいない。谷野は増えることができても、結局は自らの拳または凶器で戦わなければいけないのである。それに対し、犁祢は神通力を使えば、大勢であろうと動きを止めることが可能。
 だが、今は谷野の方が一歩上回っていた。

「うげっ!」

 ゴツンという音とともに、犁祢は崩れる。

「何だって!」

 既に谷野は、増殖していたのだ。五人目は離れた距離から近づき、そして犁祢の後頭部を思いっきり殴った。一撃で意識が飛ぶほどの威力。

「これで五対五。と思っているか? まだまだ増えることが可能なのだぞ?」

 けれどもこれにうろたえる伊集院たちではない。

「本物を叩けばいいだけの話だ! この距離、逃がしはしない!」

 瞬間、目の前の四人の谷野の体が腐り始めた。

「これがお前の神通力か!」

 慌てて谷野は距離を取る。

「言ってろ。増殖だあ? 分身みたいなもんじゃないか。本物がいるはずだ。ソイツを叩けば全てが終わる!」

 そして伊集院は走り出す。一人一人の谷野の顔を見て、見極めるのだ。

「それは、お前だ!」

 谷野は特に逃げようとしなかった。だから伊集院の拳は、一人の谷野の額をへこませた。

「どうだ?」

 しかし、谷野がこれを避けなかったのには理由があるのだ。

「本物? 分身? 馬鹿を言え! そんなものはない。俺は全員が本物。しいて言うならば、生き残った最後の一人が本物になる。だから一人失っても痛くも痒くもない」

 ここが、谷野の神通力の恐ろしいところである。無限に増殖でき、しかも全てが本物。まともに戦っては、相手が確実に息切れを起こすのだ。

「これは、総力戦になるな…。隆康、心、菜穂子、愛倫…! 準備はいいか?」
「ああ。任せろ!」

 そして戦いが始まった。


 伊集院には、自信があった。

「俺の神通力は、アイツに通じる。増殖し終わる前に腐らせれば!」

 そのためには、気を失わせる方がいい。だから危険だが近づいて、拳や手刀を振るった。

「なかなかやるな…」

 谷野は伊集院より大人であるが、実力は同程度。日頃の特訓が生きた。していたからこそ、谷野と渡り合うことができるのだ。

「腐れ、貴様!」

 伊集院が睨む。すると谷野の足が壊死し始める。バランスを崩した谷野目掛けて、強烈なキックを繰り出した。

「どわああ!」

 蹴り飛ばされた谷野は電信柱に当たると、背中があり得ない方向に曲がる。

「よし! これで…」

 しかし、直後に頬を引っ叩かれる。

「な、何?」
「既に増殖済みだ。正確には、増殖の最中に蹴りをくらったから、もう片方は吹っ飛んじまったが…」
「この野郎!」

 今度はパンチを繰り出す。しかし谷野が全て、手のひらでガードする。

「子供の発想だ。俺には勝てないぞ?」
「どうだろうか…?」

 だが、様子がおかしい、徐々に谷野の方が押され始める。拳を防ぐ手が、みるみるうちに黒くなって腐敗臭を放つのだ。

「またか! この小僧! 余計なことを!」

 谷野がしゃがんだ。それだけで増殖完了だ。もう一人は立ったまま。手が腐った方の谷野は足で、新たに生じた方は手で伊集院を追い詰める。

「う、うがああ…」

 形勢逆転。今度は伊集院が転げる番だった。

(コイツは強い…! なんてこった、増殖する………そんな単純な神通力が、こんなにも!)


 絶望しているのは、伊集院だけではない。

「コイツ……。ふざけてやがるぜ!」

 隆康も苦戦している。何度神通力で体を軽くして浮かせても、新しく生じた方は平然と着地するのだ。もう、数人は天高く登ったが、それでも最後に生じる一人は無事。何事もなかったかのような顔で、隆康を殴る。

「…! お、お前…俺の顔を傷つけやがったな! 絶対に許さん!」
「怒るだけなら猿でもできるぞ? 少しは打開策を考えたらどうだ?」

 わき腹を蹴られると隆康は、立っていられなくてその場に倒れた。

「う、うぐ……!」
「大丈夫、隆康!」

 菜穂子が駆けよるが、

「心配するな、カッコ悪く見えるだろ!」
「でもここは、協力しないと無理そうだわ!」

 すぐに氷を使い、大きな槍を作る。それを谷野に突き刺す。

「どう? やった?」
「いや……」

 確かに槍は、谷野の心臓に刺さった。その体が力を失って倒れこむのだが、やはり新しい谷野が立っているのだ。

「これじゃあ、キリがないわ………!」

 無限とは、こういうこと。谷野は下手に動いて攻撃をかわす必要はない。死ぬ間際に増殖すればいいのだから。新しく生じた体は無傷であり、すぐに状況を打開してくれるのだ。
 何度も菜穂子は、氷で刃物を作って谷野のことを切りつけた。しかしそれでも平然と彼は迫ってくる。

「この神通力に弱点はない。あったら俺はどこかで死んでいただろうからな。無限であり、そして無敵なのだ」

 やがて、氷の刃物は谷野の拳に折られる。同時に菜穂子は殴り飛ばされ、隆康は蹴られた。


 だが、そんな中愛倫と心は割と善戦できていた。愛倫の重力を自在に操る神通力は、ここぞと言う時に役立つのだ。

「その神通力、どうやら侮ってはいけないようだな…」

 谷野の重力を激増させると、動けなくなる。そうなると増殖することができない。谷野の神通力には、体の動きがなければいけないのだ。体が動かせないと新しい自分を生み出せない。

「今です、心!」
「わかってるわ……」

 手ごろな凶器はないが、神通力者特有の身体能力の高さで十分。谷野の心臓をえぐり取ると、

「もう一人の方もね…」
「よ、よせ!」
「全部本物ってことは、感じる恐怖も本物なのね……。それはそれで面白そうじゃん」

 すぐにトドメを刺した。
 二人は勝利した。しかし周りを見ると、素直には喜べない。

「愛倫、みんなを手伝うよ…?」
「わかってますよ」

 先ずは隆康と菜穂子だ。

「いきます…!」

 愛倫が神通力を使った。すると谷野の体は地面に吸われたかのように崩れる。腕を持ち上げることすら叶わない。

「な……?」
「今です、菜穂子!」

 愛倫に言われ、菜穂子は氷で大きな斧を作った。

「ひ、卑怯……だぞ!」
「それ、犯罪者のあなたが言えることなの?」

 無情にも、首を跳ね飛ばした。新しい首はどこにも生えていない。完全に息の根を止めれた。
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