「
俺も、
孤児なんだよ……」
「……!」
ウツロは
愕然とした。
その
衝撃は、水に落ちた
巨石がじわじわと
波紋を
形成するように、その心を
蝕んだ。
南柾樹は
幽鬼のような表情に薄い
笑みを
浮かべた。
それがウツロには
得体の知れない恐怖となって、
戦慄を禁じえなかった。
「……ゴミ捨て場の、生ゴミの山の中に、捨てられてたんだとよ。それを
物好きなホームレスのじいさんに拾われて、育てられたのさ」
のどが
詰まったように感じた。
言葉どころか呼吸すらおぼつかない。
南柾樹の両目から、ほほを切り裂くような涙が落ちる。
「ケンカ、盗み、変態の相手……生きるためなら、なんでもやったさ。人殺しだってな……」
もはや思考すらあやふやになってくる。
俺はなんてことをしでかしたんだ。
この男の触れてはならない部分に、触れてしまったのだ。
気が遠くなる中、南柾樹は
矢継早に口を動かす。
はじめはまだ冷静だったが、話しているうちに自分の過去が
蘇ってくる。
こうなったらもう、
制御はきかない。
「あるときそのじいさんが、その辺の不良どもにフクロにされてな。当然、俺は切れて、そいつらをぶっ殺してやるって、ケンカをしかけたのさ」
すでに彼は自動的にしゃべっているようだ。
決壊したダムから、ためにためた
貯水が、ダダ
漏れになるように。
「だけど
多勢に
無勢で、逆にフクロにされかかった。さすがの俺も逃げたよ。必死に走って、気がついたら、あの
魔王桜の原にいた」
魔王桜――
彼も出会っていたのか。
いや、アルトラ使いだと
示唆していたから、それは当然といえば当然なのだろうが。
「俺はアルトラ使いになった。で、最初に何をしたと思う?」
ヘラヘラと薄笑いは激しくなる。
ウツロは目の前にいる少年が、
異様な存在、まるで『怪物』でも見ているかのように映った。
「俺を襲ったその連中を、八つ裂きにしたのさ……アルトラの力でな。頭も腕も
脚も、全部引きちぎってやった。快感だったよ。俺を
見下してた連中が、必死こいて
命乞いしてくるんだぜ? もちろん、聞くわけねえけどな」
彼はやにわに口を
締め、
口角を収縮させながら、また
落涙した。
「でもな、肉の
塊になったそいつらを見たとき、泣いちまったんだよ。俺はもう、人間じゃねえんだ。本当の、本物のバケモノになっちまったんだってな。心まで怪物になったんだ」
南柾樹はしばらく、小刻みに震えていたが、少し落ち着いて、やっと
一呼吸ついた。
「そのゴミ捨て場ってのがな、
朽木市の南、
坊松区の
柾の木のそばにあったんだと。だから
南柾樹。ははっ、ギャグだろ?」
彼は体を
揺らしながら、くつくつと笑った。
「ま、そんな過去があるわけ。だからな――」
涙を
拭って、ウツロを見た。
「お前みたいなやつを見てると、ムカつくんだよ。世界で一番、自分がかわいそうだなんて思ってるやつ。そういうやつって、ほんとは自分がかわいくて、しかたねえんだ」
何も言い返せなかった。
南柾樹は
魂の抜けた目つきで、ウツロに呪いの言葉を
吐き続ける。
「わかる?
てめえなんかに
? 髪の毛を
引っ
掴まれて、便器にこびりついたクソのカスをなめさせられる気分が?」
彼はにわかに両手を
伸ばし、ウツロの
肩を
握ると、
布団の上へ押し
倒した。
そのまま馬乗りになって、その首を締め上げる。
眼光はすでに、おぼろげになっていた。
「苦しい……苦しい……俺は、呪われてる……バケモノだ、俺は……」
ウツロは激しく
後悔した。
真田龍子のことも
含めてだ。
自分の
独りよがりで、俺はいったい、何人の人間を傷つけてきたのだろう?
申し
訳なかった、柾樹。
そんなつもりじゃなかったんだ。
でも、俺にそんなことを言う資格など、ない。
ごめん、ごめん……
真田さん、柾樹……
「なんで、泣くんだよ……?」
ウツロがその悲痛な表情で流した涙に、南柾樹はわれに返って、両手の力を抜いた。
「バカにしやがって、あわれんでるだろ?」
ウツロは
本心から落涙しているし、南柾樹もそれはわかっている。
しかし
断じて、それを認めたくなかった。
こんなやつにわかってたまるか、俺の苦しみが――
「そんな目で、俺を、見るなよ……」
あまりにも
不器用、それしか言えない。
南柾樹は自分の
言動が、その
加虐衝動が、
本質的にウツロと同じ、
奴隷道徳であることを、
嫌というというほどわかっている。
だからこそウツロを否定することは、ほかならない、自分自身を否定してしまうことになる。
その事実が彼には
耐えられなかったのだ。
ゆっくりと、その手を放す。
「……わりい」
ウツロの
瞳に映るその顔は、鏡を見ているようで、自分自身の
投影であるかのように
錯覚した。
南柾樹も同様だ。
等価であるがゆえに、傷つけあう。
二人は言葉にこそ出さないけれど、お
互いの考えていることを共有した。
皮肉にも、であるが。
「これでわかっただろ? 俺は、お前が思ってるとおりの存在さ。俺の存在は、間違ってるんだ」
南柾樹はよろよろと立ち上がって、おぼつかない
足取りで、部屋を
後にした。
間違った存在――
彼は自分を
指して言ったのだけれど、それは同時に、ウツロのことも指している。
わかっている、南柾樹はわかっている、が――
それは
名状しがたい事実であるという強烈な自己否定に、彼は
囚われているのだ。
鏡に映したような二人の少年。
互いに憎み合い、傷つけ合わずにはいられない。
それはむしろ、互いのことを理解しすぎているがゆえの宿命だった。
滑稽なピエロ。
人生なんてサーカスだ。
きっと見えないところで、誰かが誰かをゲラゲラと、
嘲笑しているのだろう。
そんなものだ、人間なんて――
ウツロはそんなことを考えながら、なんだかばかばかしくなって、
道化師のような顔で落涙しながら、そのまま深い眠りに落ちた――
(『第35話
予兆』へ続く)