第68話 兄として――

文字数 5,272文字

「俺が相手だ、

……!」

 アクタは敢然(かんぜん)と、『父』に向かってタンカを切った。

 当然、山犬(やまいぬ)()している似嵐鏡月(にがらし きょうげつ)は面白くない。

「ああ? アクタ、何だって? いま何か言ったかな?」

「これ以上、ウツロを侮辱(ぶじょく)するのは許さねえ、そう言ったんだよ、クソ親父っ!」

 アクタはますます語気(ごき)を強めて、『弟』に暴虐(ぼうぎゃく)を働く『父』を牽制(けんせい)した。

 その双眸(そうぼう)には目の前の暴君(ぼうくん)を、曲がりに曲がった『ロクデナシの父親』を、何としても正気(しょうき)(もど)そうという、『息子(むすこ)』の(せつ)なる願いが宿されていた。

 しかしそんな純粋な気持ちなど、われを忘れた山犬の耳には届かなかった。

「ああ、お前な、口の()(かた)に気をつけろよ? 育ててやった(おん)も忘れてからに、このゴミ風情(ふぜい)が!」

 似嵐鏡月はいっこうに折れない。
 それどころか、さらに激しく『わが子』を罵倒(ばとう)する。

 つらかった、アクタはつらかった。
 それでも、俺がやらなければ……

 俺はウツロを、弟を守る――
 そう、(ちか)ったじゃねえか。

 負けねえ、俺は負けねえ……
 絶対に、だ――!

 彼の覚悟は鉄壁(てっぺき)だった。
 腹は決まった――

「俺はゴミじゃねえ! それにウツロも、毒虫なんかじゃねえ! てめえこそ口の利き方に気をつけろ、このクソ親父が!」

 似嵐鏡月はしかし、すっかり(あき)れた顔をしている。

「アクタあ、おやおや、『親』に向かってそんな口を利いて、いますぐ息の根を止められたいのかなあ?」

 アクタの勇気もこの男には、まるで溜飲(りゅういん)が下がっていない。

 何かわけのわからないことを(わめ)いている、バカがいるな――

 その程度にしか映っていないのだ。

 どうしてだ、どうしてわかってくれないんだ――

 アクタは苦しかった。

 だが、負けるか。
 ここで負けて、なるものか――

「てめえなんざ『親』じゃねえ。『親』とは認めねえ。俺の『弟』を侮辱するようなやつはな! それに、息の根が止まるのは、てめえのほうだ!」

「あーあ、何も死に急ぐことなど――」

「これでも、食らいやがれ――!」

「なにっ――!?」

 アクタは大地を()って高く跳躍(ちょうやく)した。

「目え、()ましやがれ、クソ親父いいいいいっ!」

 そのまま山犬の腹にタックルを決めた。

「ごおっ!?」

 あまりの衝撃(しょうげき)に似嵐鏡月は、手に(つか)んでい真田龍子(さなだ りょうこ)(ほう)()した。

「きゃあっ!」

 空中に(はな)たれた彼女は、地面に激突しそうになった。

「させるかよっ!」

 山犬の腹をステップ台に、アクタは真田龍子をすくい取り、そのままトンボ(がえ)りをした。
 そして気絶している真田虎太郎(さなだ こたろう)のそばへ着地(ちゃくち)した。

「あ、ありがとう……アクタ、さん……」

「いいってことよ」

 彼女をやさしく地面へ下ろすと、アクタは真田虎太郎をゆっくり(かか)えて、姉のもとへゆだねた。

「あの、わたし……」

「ウツロがさんざん世話になったようだ、その、真田さん……ありがとう。『兄』として、礼を言わせてもらう。本当に、ありがとう……」

「あ、そんな……わたしは、何も……」

 似嵐鏡月からさんざん罵倒(ばとう)され傷つけられた彼女を、アクタはなんとか(なぐさ)めようと思った。
 同じ『弟』を持つ者として――

「あんたにも、『弟』がいる。だがあんたは間違っても、『弟を不幸にする存在』なんかじゃあ、ねえ。気休めかもしれねえが、あんたを見てればわかる。どうか弟を、虎太郎くんを守ってやってくれ。それはきっと、あんたにしかできねえことなんだ」

「あ、う……アクタ、さん……」

 正直な気持ちからだった。

 自分もボロボロになりながら、気づかいを見せてくれる彼に、真田龍子はうれしかった。

「大丈夫。あんたなら絶対、大丈夫だ」

「アクタ、さん……あり、がとう……」

 彼だって心をズタズタにされているのに、わたしのことをこんなに案じてくれている。
 彼女はその強さにむせび泣いた。

 似嵐鏡月は眼前(がんぜん)でのやり取りにすっかり呆れている。

「ふう……はあ、アホらしい……お涙頂戴(なみだちょうだい)小芝居(こしばい)か? 弟を守るだとか何とか、どうすればそんな白々しい茶番(ちゃばん)が演じられるのかのう」

「てめえにゃ、ぜってえ……永遠にわかんねえよ……!」

「……なんか、ついさっきも聞いたようなセリフだな。頭の悪い奴は同じことしか言えんのかあ?」

 人の痛みなどわからぬ、『(おろ)かな父』――
 アクタはそれを決然とにらみ上げた。

「……頭がわりいのは、てめえだろ……」

柾樹(まさき)っ――!」

 やっと覚醒(かくせい)した南柾樹(みなみ まさき)が、似嵐鏡月を(いさ)める。

「……目の前にいるのが、誰か……わからねえのか……てめえの『息子』、だろ……アクタが、どんな気持ちか……考えたこと、あんのか……」

「おやおや、生ゴミの柾樹くん、まだ生きていたのかね? とっくにゴミの処分所(しょぶんじょ)に送られたのかと思っていたよ」

「いいかげん、目え覚ませっつってんだろ……そんなんだからバカにされる……親父にも、姉貴にも……それが何でなのか、てめえこそ『なんじに問え』ってんだ……この、クソ親父が……!」

「まだ言うか()(ぞこ)ないが! 本当に今度こそ息の根を止めてしまうぞ!?」

 彼にはこの山犬が、なんだか滑稽(こっけい)なピエロに見えてきた。

「へっ……」

「……何がおかしい?」

「弱い犬ほどよく()える、ってか……」

「きっ、貴様あああああっ!」

 アクタたちへの注意を()らす意味もあったが、それ以上に、「バカは死んでも治らない」という、率直(そっちょく)な気持ちからだった。

「待ちな、親父――」

「ああっ?」

「その男に、南柾樹に指一本でも触れてみろ、俺が叩きのめしてやる。そう言ってるんだぜ、親父よ?」

 アクタは似嵐鏡月の注意を、逆に自分に引きつけた。
 南柾樹の矜持(きょうじ)に、アクタも改めて覚悟を決めたのだ。

「おやおや、困ったの。この()(およ)んで虚勢(きょせい)か、アクタ?」

「虚勢じゃねえ、俺は本気だぜ?」

 南柾樹は不安を禁じえなかった。

 アクタは、死ぬ気だ。
 やめろ、それだけはやっちゃいけねえ……

「……よせ、アクタ……」

 彼はなんとか、それだけは止めなければならない――
 そう思った。

「本当に殺すぞ、アクタ?」

「やってみろよ、腰抜けのクソ親父!」

「貴様あっ!」

「やめろ、アクタっ!」

 『父』を挑発(ちょうはつ)する『息子』を、南柾樹は(おさ)えようとした。
 だが、アクタの決意は()るがなかった。

「マサキっ、ウツロが世話になった! 短けえ間だったが楽しかったぜ! 最高だよ、あんた! だからどうか……どうかウツロを、『弟』を頼む……!」

「アクタっ、よせっ、よせええええっ!」

「俺がこいつを、クソ親父を連れていく! さよさらだ、マサキっ!」

 やはり最悪のことを考えている。
 なんとしても止めなければ――

 しかし彼の体はとても動かせる状態ではなかった。

 アクタはもう一度、山犬に向かって高く跳躍(ちょうやく)した。

「ふん、望みどおりにしてくれるわ!」

 似嵐鏡月は向かってくるアクタへ向け、(こぶし)(にぎ)って(なぐ)りかかった。
 しかし――

「何っ――!?」

 動きを予測していたアクタはその手をすり抜けてステップにし、さらに高く()んで山犬の背後を取った。

「ぐうっ――!?」

 アクタのたくましい両腕が、似嵐鏡月の首を(とら)える。
 チョーク・スリーパーの要領で一気に()()げた。

「ぬ……ぐぬっ……!?」

 その手を振りほどこうと、山犬は手を振り回して(あば)れた。

「させねえぜ、これでも食らいな!」

「――っ!?」

 アクタはさらに両脚(りょうあし)をも(から)みつかせ、全身の力を()(しぼ)った。

「うっ……ぐ……ぬう……!?」

 アルトラの能力によって凶暴な(けもの)に変身しているとはいえ、首という肉体上の弱い部分、さらにはアクタの剛力(ごうりき)でフルパワーに締め上げられているのだ。
 さすがの似嵐鏡月も息が苦しくなってきた。

「がが、やめろ……やめんか、ゴミが……!」

「ぐがあ――っ!?」

 山犬はアクタの背中にその(するど)(つめ)を立てた。
 ()えがたい激痛が走る。

 だが、放さない。
 アクタはその手を、(あし)を――

 まだどこかに期待があった。
 目を覚ましてくれるのではないかという、期待が――

「……やめろ、アクタ……やめてくれ……」

 ウツロが何か言っているな。
 もう俺の耳には、よく聞こえない。

 でもなウツロ。
 お前は、お前だけは生きるんだ。

 そしてきっと、幸せになってくれ。
 生きろ、生きてくれ、ウツロ――!

「ぐうう……アクタあ……放せえええええ……!」

「……あんたが死んだって、泣いてくれるやつなんか、いやしねえ……! だから俺が、せめて俺が……!」

「ならば、こうしてくれるわあっ!」

「――っ!?」

 似嵐鏡月はアクタを鷲掴(わしづか)みにして、力強(ちからづよ)(ほう)()げた――

「ぐふうっ――!?」

 ああ、アクタは桜の大木(たいぼく)に、したたかに打ちつけられた。
 そのままズルズルと落下し、彼は動かなくなった。

「あ、あっ、アクタあああああっ!」

 口の中からナイフが飛び出すような絶叫――

 そのナイフはウツロの(のど)だけでは()きたらず、心までも()()いた。

「ふん、ゴミが。当然の(むく)いよ」

 『息子』をさんざん痛めつけておいて、似嵐鏡月はハエを()(はら)ったようなため息をついた。

「あ……あ……」

 ウツロは顔を両手で押さえながら激しく嗚咽(おえつ)している。
 いまにも呼吸が不可能になりそうな感覚――

 苦しい……
 死ぬ、死ぬ……
 う……

 彼の中で、何かのスイッチが入った――

「ウツロ、落ちつけ……!」

 いけない、このままでは危険だ。

 鋼鉄の棺桶(かんおけ)のように重い体を引きずりながら、南柾樹はウツロのほうへ何とか近づこうとする。

「ぐ……クソっ……!」

 だが、言うことを聞いてくれない。
 似嵐鏡月にやられたダメージは、桁外(けたはず)れに大きかった。

 そのとき――

「あ……が……ああああああああああっ!」

 ウツロに異変が(しょう)じた。

 皮膚(ひふ)の色がものすごい勢いで(にご)っていく。
 ヘドロのような(きたな)らしい色合(いろあ)いだ。
 そして増殖(ぞうしょく)するように(ふく)らんでいく。

「これは、いったい……」

「アルトラよ……」

(みやび)っ!?」

 すぐ近くに(たお)れていた星川雅(ほしかわ みやび)がようやく目を()まして、南柾樹に語りかけた。

「きっと、アクタを傷つけられたショックで……ウツロのアルトラが、発動したんだわ……」

「マジ、かよ……」

 南柾樹は言葉を失った。

 ウツロは頭を(かか)えながら、それを縦横無尽(じゅうおうむじん)に振り回して、(もだ)(くる)しんでいる。

 その間にも全身は泥人形(どろにんぎょう)のように崩れていく。

 変わり果てていくその姿に、弟を()きかかえながら、真田龍子は全身を(ふる)わせ、おそれおののいた。

「ウツロくん……」

 変貌(へんぼう)が止まったとき、彼女は絶句(ぜっく)した。

 ウツロの姿は(みにく)い、おぞましい、異形(いぎょう)毒虫(どくむし)(へん)じていた――

(『第69話 毒虫(どくむし)』へ続く)
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登場人物紹介

ウツロ(男性、16歳、身長175cm)


孤児だったが、似嵐鏡月に拾われ、アクタとともに育てられる。

アクタのことは兄貴分として、似嵐鏡月のことは師として慕っている。


トラウマが強く、「自分は人間ではない、毒虫のような存在だ」という、自己否定の衝動に苦しめられている。

それに向き合うため、哲学書や思想書を愛読している。

好きな思想家はトマス・ホッブズ。


剣術・料理を得意とする。

アクタ(男性、16歳、身長185cm)


ウツロと同じく孤児であり、似嵐鏡月の手で育てられた。

ウツロのことは、よき弟分としてかわいがっている。


明るく、気さくで、考えることは面倒な性格。

自分を責めるウツロのことを気にかけ、何かにつけて助け舟を出す。


力が強く、体力があることから、体術に秀でている。

似嵐鏡月(にがらし・きょうげつ、男性、30代後半、身長190cm)


孤児だったウツロとアクタを拾い上げ、隠れ里で育てた。

暗殺を稼業とする殺し屋であり、ウツロとアクタを後継者にするべく、その技術を伝授している。

マルエージング鋼製の大業物『黒彼岸』を愛刀とする。

真田龍子(さなだ・りょうこ、女性、黒帝高校1年生)


傷ついたウツロを救出し、献身的に看護する。

性格は明るく、勉強もできるが、運動のほうが得意。


仏のような慈愛・慈悲の心を持つが、それは過去のトラウマから派生している。

ウツロに対し、特別な感情を抱く。


真田虎太郎は実弟。

星川雅(ほしかわ・みやび、女性、黒帝高校1年生)


精神科医を両親に持ち、鋭い観察眼を会得している。

気は強いが、冷静沈着。

しかし内面には暗部を隠し持っていて、それを悟られないよう、気を使っている。

ウツロに『アルトラ』の存在を教える。

南柾樹(みなみ・まさき、男性、黒帝高校1年生)


ウツロには何かにつけて、きつく当たるが、それは彼が、ウツロに自分自身を投影してのことだった。

料理が得意。

真田虎太郎(さなだ・こたろう、男性、黒帝中学校1年生)


真田龍子の実弟。

頭脳明晰だが、考えすぎてしまう癖がある。


音楽をこよなく愛する。

好きな作曲家はグスタフ・マーラー。

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