第25話 昼食への勧誘

文字数 1,017文字

「ウツロくん」

 いくらか時間が()ち、ノックの音に続いて、ドア()しに真田龍子(さなだ りょうこ)の声が聞こえた。
 ウツロは部屋の中で、顔をそちらのほうへ向けた。

「はい」

 もっとも、人の気配は感じ取っていたから、返事をする『準備』はしていたのだけれど。

「入ってもいいかな?」

「……どうぞ」

 ドアが少し開いて、その隙間から彼女がひょいと顔をのぞかせた。
 ノブが(ひね)られる独特の人工的な音も、山で育ったウツロには、まだ不思議な響きに感じられた。

「昼食の用意ができたから、食堂に来てほしいんだ。わたしが案内するから」

「……うん、ありがとう」

「体調は大丈夫? 少しは落ちついたかな?」

「すっかり回復してきたよ。もうピンピンさ」

「そう、よかった。でも、しばらくは絶対、安静にね? 何か困ったことがあったら、遠慮なく言っていいから」

「……本当に、ありがとう、真田さん。こんなによくしてくれて」

「謙虚だなー。もっと堂々とふるまっていいんだよ? ほら、わたしみたいにさ」

「え、ああ……」

「そんなんじゃ女子にモテないよ?」

「え、どういうこと?」

 はずみで言ったに過ぎなかったが、ウツロが食い下がってしまったので、真田龍子は(あわ)てた。
 彼は言葉の意味に、納得する解答を求めている表情だ。
 真田龍子は「しまった」と思い、考えをめぐらせた。

「えー、あー、その……あんまりこだわりすぎると、答えのほうが逃げちゃうよ、ってことかなー……?」

 彼女は相当苦しい言い訳をした、つもりだったが――
 ウツロはなにやら目を丸くして、硬直している。

「……ウツロ、くん?」

「……なるほど、『人間論』に固執(こしつ)しすぎると、その解答は逆に遠ざかる。逆説的だけれど、真理の持つ本質から(かんが)みれば理にかなっている。そう言いたいんだね、真田さん!?」

「え、あー、まあね……」

「すごい、すごいよ、真田さん! ぜひ真田さんとゆっくり議論したい! 一緒に『人間論』を完成させよう!」

「……あははー」

 何度でも言おう。
 ウツロはあまりにも純粋なのである。
 いったい何者が彼を責められようか?

 彼女はそれをすっかり理解して、今後はじゅうぶんに気をつけなければと、肝に(きも)じたのだった――

(『第26話 前狂言(まえきょうげん)』へ続く)
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登場人物紹介

ウツロ(男性、16歳、身長175cm)


孤児だったが、似嵐鏡月に拾われ、アクタとともに育てられる。

アクタのことは兄貴分として、似嵐鏡月のことは師として慕っている。


トラウマが強く、「自分は人間ではない、毒虫のような存在だ」という、自己否定の衝動に苦しめられている。

それに向き合うため、哲学書や思想書を愛読している。

好きな思想家はトマス・ホッブズ。


剣術・料理を得意とする。

アクタ(男性、16歳、身長185cm)


ウツロと同じく孤児であり、似嵐鏡月の手で育てられた。

ウツロのことは、よき弟分としてかわいがっている。


明るく、気さくで、考えることは面倒な性格。

自分を責めるウツロのことを気にかけ、何かにつけて助け舟を出す。


力が強く、体力があることから、体術に秀でている。

似嵐鏡月(にがらし・きょうげつ、男性、30代後半、身長190cm)


孤児だったウツロとアクタを拾い上げ、隠れ里で育てた。

暗殺を稼業とする殺し屋であり、ウツロとアクタを後継者にするべく、その技術を伝授している。

マルエージング鋼製の大業物『黒彼岸』を愛刀とする。

真田龍子(さなだ・りょうこ、女性、黒帝高校1年生)


傷ついたウツロを救出し、献身的に看護する。

性格は明るく、勉強もできるが、運動のほうが得意。


仏のような慈愛・慈悲の心を持つが、それは過去のトラウマから派生している。

ウツロに対し、特別な感情を抱く。


真田虎太郎は実弟。

星川雅(ほしかわ・みやび、女性、黒帝高校1年生)


精神科医を両親に持ち、鋭い観察眼を会得している。

気は強いが、冷静沈着。

しかし内面には暗部を隠し持っていて、それを悟られないよう、気を使っている。

ウツロに『アルトラ』の存在を教える。

南柾樹(みなみ・まさき、男性、黒帝高校1年生)


ウツロには何かにつけて、きつく当たるが、それは彼が、ウツロに自分自身を投影してのことだった。

料理が得意。

真田虎太郎(さなだ・こたろう、男性、黒帝中学校1年生)


真田龍子の実弟。

頭脳明晰だが、考えすぎてしまう癖がある。


音楽をこよなく愛する。

好きな作曲家はグスタフ・マーラー。

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