第48話 涙

文字数 2,160文字

「ウツロ、こんなわたしを、愛してくれる?」

 ウツロには確かに見えた。
 そう言った少女のまなじりに、光るものが――

 地獄だと彼女は言った。
 生き地獄、だろう。

「どうなの? 愛してくれるの?」

 何も言えない。
 どう答えればよいのか――

 人間だよ、ウツロくん! ――

 真田龍子(さなだ りょうこ)がどんな思いでそう言ったのか、ウツロはなんとなくわかった気がした。
 星川雅(ほしかわ みやび)の苦しみを、知っているからではないのか?
 おのれをバケモノだと自嘲(じちょう)する、このあわれな少女の涙を――

「……ふん、つまんないの」

 触手(しょくしゅ)似嵐鏡月(にがらし きょうげつ)(ほう)()げる。
 桜の木の一本に当たり、低い(うめ)(ごえ)を上げ、その根もとに転がった。
 頭をしたたかに打って、彼は気絶(きぜつ)した。

「お師匠様(ししょうさま)!」

 ウツロとアクタは叫んだ。

「まだお師匠様なんて呼ぶんだ? あなたたちの人生を(うば)った男なんだよ?」

 二人は(だま)ってしまった。

 現実は現実だが、まだ受け入れられないでいる自分たち。
 実は何かの間違いだったら――

 そんな(ふう)にも考えている。

 たとえ現実だとしても、どうにかならないものか?
 その上での打開策(だかいさく)が、あるのではないか?

 甘いのかもしれない、俺たちは――

 しかしそれは、彼らが()を、似嵐鏡月を信じているからにほかならない。

 あの楽しい日々、それが全部、まやかしだったなんて……

 人生を奪われた、確かにそうなのかもしれない。
 与えられたのか、奪われたのか……

 こんな状況でウツロは、得意の思索(しさく)(ふく)らませていた。

「ねえ、ウツロ」

 髪の毛がこちらに()びてくる。
 体をゆっくりと(から)()られる。

「わたしのこと、愛してよ? じゃなきゃ、死んで」

 愛されたい。
 それがこの少女の本当の気持ち――

 母親の人形(にんぎょう)として育てられたがゆえに(しょう)じる支配欲求(しはいよっきゅう)
 自分がされたことを他者(たしゃ)にしたいという衝動(しょうどう)である。
 それが強すぎるのは、それだけ彼女が抑圧(よくあつ)されたと感じているからだ。

 母に対する憎しみは、愛情の裏返し。
 わたしは本当の意味で、愛されたい――

 だが彼女には、それがわからない。
 (しん)の愛とは何なのか?
 それを求めてさまよっているのだ。

 彼なら、ウツロならあるいは、この問いかけに、解答を与えてくれるのではないのか?
 愛とは何であるのかを、教えてくれるのではないのか?

 そんな期待感があった。
 闇の中に光を探すような期待、ではあったが――

「ねえ、どうなの? 何か言ってよ?」

 ウツロは答えない。
 答えないのが、答えであることに、彼女は気づいた。

「……生意気(なまいき)

「うっ……」

 じわじわと、ヘビがそうするように()めあげる。

「はあ、その顔、かわいい……」

「おいっ、やめろ!」

 黒髪の一部がうねって、アクタをも絡め取る。

「ぐうっ……」

「アクタも一緒に、ね? うふふ、兄弟仲良く()きなよ」

 アクタは苦しんでいるが、ウツロは違った。
 いや、苦しいのは確かだが、漠然(ばくぜん)とした開放感があった。

 俺がこのまま死ねば、もしかしたら彼女に、救済(きゅうさい)が与えられるのではないか?

 そんなことを考えていた。

 こうなったらどうでもいい。
 考えるのはもう、面倒(めんどう)だ。
 それに、こんな命でこの少女が救えるのなら――

 良くいえば自己犠牲(じこぎせい)、悪くいえば偽善(ぎぜん)
 だがそんなことは、ウツロにとってはどうでもよかった。
 ただ純粋に、彼女を救いたいと思っていた。

 髪の毛ごしにその思いが伝わってきて、星川雅は葛藤(かっとう)した。

「どいつもこいつも、バカにしやがって……」

 本心ではわかっている。
 しかし、絶対に認めたくなかった。

 こんな毒虫に同情されている――
 それが屈辱(くつじょく)でならなかった。

「望みどおりにしてやる、ウツロ……!」

 締めつける力に、一気に加速がかかった。

「雅っ!」

「おいっ、みんな大丈夫かっ!?」

 真田龍子と南柾樹(みなみ まさき)――

 だいぶ遅くはなったが、この場所に()けつけたのだ。
 二人は目の前の光景に愕然(がくぜん)とした。

「雅、その姿……」

「おいっ、何してんだ!?」

 アルトラ『ゴーゴン・ヘッド』のことを知っているとはいえ、そのおぞましい(みにく)さをさらすのは、彼女にとって()えがたいものだった。
 それ以上に、自分の心の醜さをさらすことは――

「見ないで……龍子、柾樹……」

 少女の顔が、悲しみにゆがんだ――

(『第49話 兄弟(きょうだい)』へ続く)
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登場人物紹介

ウツロ(男性、16歳、身長175cm)


孤児だったが、似嵐鏡月に拾われ、アクタとともに育てられる。

アクタのことは兄貴分として、似嵐鏡月のことは師として慕っている。


トラウマが強く、「自分は人間ではない、毒虫のような存在だ」という、自己否定の衝動に苦しめられている。

それに向き合うため、哲学書や思想書を愛読している。

好きな思想家はトマス・ホッブズ。


剣術・料理を得意とする。

アクタ(男性、16歳、身長185cm)


ウツロと同じく孤児であり、似嵐鏡月の手で育てられた。

ウツロのことは、よき弟分としてかわいがっている。


明るく、気さくで、考えることは面倒な性格。

自分を責めるウツロのことを気にかけ、何かにつけて助け舟を出す。


力が強く、体力があることから、体術に秀でている。

似嵐鏡月(にがらし・きょうげつ、男性、30代後半、身長190cm)


孤児だったウツロとアクタを拾い上げ、隠れ里で育てた。

暗殺を稼業とする殺し屋であり、ウツロとアクタを後継者にするべく、その技術を伝授している。

マルエージング鋼製の大業物『黒彼岸』を愛刀とする。

真田龍子(さなだ・りょうこ、女性、黒帝高校1年生)


傷ついたウツロを救出し、献身的に看護する。

性格は明るく、勉強もできるが、運動のほうが得意。


仏のような慈愛・慈悲の心を持つが、それは過去のトラウマから派生している。

ウツロに対し、特別な感情を抱く。


真田虎太郎は実弟。

星川雅(ほしかわ・みやび、女性、黒帝高校1年生)


精神科医を両親に持ち、鋭い観察眼を会得している。

気は強いが、冷静沈着。

しかし内面には暗部を隠し持っていて、それを悟られないよう、気を使っている。

ウツロに『アルトラ』の存在を教える。

南柾樹(みなみ・まさき、男性、黒帝高校1年生)


ウツロには何かにつけて、きつく当たるが、それは彼が、ウツロに自分自身を投影してのことだった。

料理が得意。

真田虎太郎(さなだ・こたろう、男性、黒帝中学校1年生)


真田龍子の実弟。

頭脳明晰だが、考えすぎてしまう癖がある。


音楽をこよなく愛する。

好きな作曲家はグスタフ・マーラー。

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