第22話 パノラマ

文字数 1,383文字

「さ、ウツロくん。ここがあなたの『お城』だよ」
「『お城』か。一国一城の(あるじ)みたいだね」

 真田虎太郎(さなだ・こたろう)の部屋を退室して回れ右し、真田龍子(さなだ・りょうこ)が自分のために整えておいてくれたという、向かいの部屋の前に立ったウツロは、少なからず緊張していた。

 しかしそんな彼を尻目に、彼女はきびきびと勢いよく、そのドアを開け放った。

「うお」

 畳張りの和室。
 広さは12帖。
 角部屋。

 ここまでは真田虎太郎の部屋と同じ条件だ。

 しかし彼の部屋が北向きだったのに対し、向かい合うこの部屋は南向きだから、立地としては最高だ。

 その証拠に、南側のベランダの窓からは、南中(なんちゅう)直前の力強い太陽光が、これでもかといわんばかりに降り注いでいる。

 また、半分開け放たれた窓から下がるレースのカーテンは、そよ風にひらひらと舞い遊んでいた。

「ちょっと外の風に当たってみない?」
「うん、そうだね」

 ベランダは簡単なウッドデッキになっていた。

 ウツロはつい、わくわくしてしまい、はしゃぎたくなる気持ちを抑えて、前に出た。

「わあ……」

 街、街が見える。

 これが夢にまで見た外の世界、すなわち人間の世界なのか――

「すごい……これが、街なのか……」

 快晴の空の下、視線の奥には、くっきりとした水平線が横たわっている。

 目の良いウツロには、海の波がのんびり揺れる様子や、その上を行き交う何艘(なんそう)かの船、また水面(みなも)のきらめきなどが見て取れた。

「あれが、海なのか……なんて、きれいなんだろう……」

 視界に入る光景、そのすべてが彼には新鮮だった。
 なんという広さ、大きさ、この解放感。
 その(まなこ)がにじんでくるのに、時間は要らなかった。

「これが、世界……なのか、なんて美しい……」
「ウツロくん?」
「あ、ごめん、真田さん。あんまりきれいで……」
「……大丈夫? いったん中に戻ろうか?」

 涙ぐんでいるウツロを横目に見た真田龍子は、彼はもしかしてまた苦しんでいるのかと心配になり、おそるおそる声をかけた。

「いや、いいんだ……つい、感動しちゃって。もう少しだけ、見ていてもいいかな?」
「……うん、全然大丈夫だから。好きなだけ眺めてごらんよ」
「ありがとう、真田さん」

 彼女はおもんぱかって余りあった。
 この少年の心中(しんちゅう)や、いかばかりであろうか?

 真田龍子は隣で涙を流すウツロを――たかがベランダから外の景色を眺めるという、ありふれた行為に、これほどの感慨に耽るこの純真無垢な少年の横顔に、彼の全人生を投影し、それを如実に物語るその姿に、自分自身も落涙を禁じ得なかった。

 ウツロもまた、思索をすることが止まらなかった。

 初めて目撃した外の世界。

 この光景を前にして、俺のつまらない考えなど、こんな存在など、どんなにちっぽけなものであるのか?

 アクタにも見せてやりたい、可能であるならば、いますぐにでも教えてやりたい――世界とは、こんなにも美しいものなのだと――

 2人はしばらくの間、ベランダの(さん)に両手を添えて、よりそうように並んで、その広大なパノラマに見入っていた。

(『第23話 伝家の宝刀』へ続く)
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登場人物紹介

ウツロ(男性、16歳、身長175cm)


孤児だったが、似嵐鏡月に拾われ、アクタとともに育てられる。

アクタのことは兄貴分として、似嵐鏡月のことは師として慕っている。


トラウマが強く、「自分は人間ではない、毒虫のような存在だ」という、自己否定の衝動に苦しめられている。

それに向き合うため、哲学書や思想書を愛読している。

好きな思想家はトマス・ホッブズ。


剣術・料理を得意とする。

アクタ(男性、16歳、身長185cm)


ウツロと同じく孤児であり、似嵐鏡月の手で育てられた。

ウツロのことは、よき弟分としてかわいがっている。


明るく、気さくで、考えることは面倒な性格。

自分を責めるウツロのことを気にかけ、何かにつけて助け舟を出す。


力が強く、体力があることから、体術に秀でている。

似嵐鏡月(にがらし・きょうげつ、男性、30代後半、身長190cm)


孤児だったウツロとアクタを拾い上げ、隠れ里で育てた。

暗殺を稼業とする殺し屋であり、ウツロとアクタを後継者にするべく、その技術を伝授している。

マルエージング鋼製の大業物『黒彼岸』を愛刀とする。

真田龍子(さなだ・りょうこ、女性、黒帝高校1年生)


傷ついたウツロを救出し、献身的に看護する。

性格は明るく、勉強もできるが、運動のほうが得意。


仏のような慈愛・慈悲の心を持つが、それは過去のトラウマから派生している。

ウツロに対し、特別な感情を抱く。


真田虎太郎は実弟。

星川雅(ほしかわ・みやび、女性、黒帝高校1年生)


精神科医を両親に持ち、鋭い観察眼を会得している。

気は強いが、冷静沈着。

しかし内面には暗部を隠し持っていて、それを悟られないよう、気を使っている。

ウツロに『アルトラ』の存在を教える。

南柾樹(みなみ・まさき、男性、黒帝高校1年生)


ウツロには何かにつけて、きつく当たるが、それは彼が、ウツロに自分自身を投影してのことだった。

料理が得意。

真田虎太郎(さなだ・こたろう、男性、黒帝中学校1年生)


真田龍子の実弟。

頭脳明晰だが、考えすぎてしまう癖がある。


音楽をこよなく愛する。

好きな作曲家はグスタフ・マーラー。

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