第29話 口福

文字数 2,954文字

「こんなにおいしいものが、存在するんだね」

「お前どんだけ好きなんだよ、『存在』」

「『存在』、大事です……!」

「なんだよ虎太郎(こたろう)、こいつのこと気に入ったのか?」

「ウツロさんは、いい人です……!」

 真田虎太郎(さなだ こたろう)はウツロをかばうように、南柾樹(みなみ まさき)()()った。

 昼食もすっかり終盤。
 食卓を(あざ)やかに(いろど)っていた豪華(ごうか)な料理は、あますところなく五人の少年少女の胃袋に収まった。
 テーブルの上には、あとは洗うだけとなった食器の山ができあがっている。

「ふう……」

 ウツロは満足だった、心の底から。
 うまい飯と、最初こそぎこちなかったが、後半はそれなりに打ち解けて、会話を楽しむことができた。
 それだけに、あんな態度を取ってしまった自分が恥ずかしかった。

 『人間』に対する漠然(ばくぜん)とした憎悪(ぞうお)を、ウツロはかねてから持っていた。
 しかしそれが、いかに曖昧(あいまい)な感情であったかを思い知らされた。
 こんなにいい人たちじゃないか。

 『人間』――
 それがそれがどういうことかは、まだわからない。
 でも、この人たちといると、気持ちが安らぐ。
 コミュニケーション、というのか。
 (ひと)りで思索(しさく)(ふけ)っているよりも、こっちのほうが楽しいかもしれない。
 きっと俺の見ていた世界は、あまりにも(せま)すぎたんだ。

 彼はそう考えた。

「ごちそうさま。うまかったよ、柾樹」

「お気に()して、なによりだぜ」

「さっきはごめん、あんな態度を取ってしまって……」

「気にすんなよ、過ぎたことだろ? いらねえことは考えんなって。うまい飯でハッピーになって、それでいいじゃねえか」

「あ……」

 なんだろう、この感覚は……
 前にも感じたことのあるような……
 そうだ、アクタだ。
 アクタはいつも、こんなふうに俺を気づかってくれていた。
 南柾樹、この男もそうなのか?
 だから俺は、こいつにアクタを重ねたのか?
 いや、それなら、真田さんや虎太郎くんだって……
 そうか、もしかすると、これが『人間』の本質なのか?

 俺は『人間』を、おしなべて悪い存在だとばかり思っていたけれど、それは思い込みに過ぎなかったのかもしれない。
 うーん、難しい……
 まだ全然わからない。
 なんて難しいんだ、『人間』は――

「おーい」

「え――?」

「まーた難しいこと、考えてんだろ?」

 まだ出会ったばかりではあるけれど、ウツロの思索癖(しさくへき)はすでに(さと)られていた。

「パッパラパーになっちまえよ」

 こういった手合(てあ)いの対処法は、南柾樹は経験として心得(こころえ)ている。
 彼は軽いノリで、ウツロをいなしてみせた。

「パッパラパーか、うーん……」

 やはりアクタと似ている、本質的なところが――
 俺は深く考えているようで、実は物事(ものごと)表層(ひょうそう)しか見ていないのではないか?
 うーむ、反省しなければ……

「ウツロさんがパッパラパーなら、僕はさしずめ、『デビルズ・クソムーチョ』でしょうか?」

「なんだよそれ? わけわかんねーよ」

「いくらなんでも卑下(ひげ)しすぎだよ、虎太郎」

「『ヒゲヒゲの実』を、食べたのです」

「そんな実あんのかよ!」

「役に立たなそうな能力だね!」

「ははは」

「ははは、じゃねーよ!」

 真田虎太郎が支離滅裂(しりめつれつ)なギャグを披露(ひろう)して道化役(どうけやく)となり、南柾樹と真田龍子(さなだ りょうこ)がその流れに乗る。
 ウツロはこの構図(こうず)がどのように、そして何のために形作(かたちづく)られるのか、理解しがたかった。
 作っているようでいて、自然にやっているようでもある。
 コミュニケーションか……

 俺は難しく考えすぎているのだろうか?
 アクタやみんなが言うように、物事の本質とはもっと、単純なのかもしれない。
 だが、単純だからこそ、逆に俺には難しい。

 ウツロは例により、考えを(はず)ませているのだけれど、独りでの思索とは違い、気持ちが楽な気がした。

「ちょっとまとめなきゃいけない資料があるから、医務室にいるね」

「うぃー」

 食事を()ませた星川雅(ほしかわ みやび)は、そっけない仕種(しぐさ)で食堂を後にした。
 通過儀礼的(つうかぎれいてき)相槌(あいづち)を打つ南柾樹に、ウツロは彼女の冷めた態度が気になった。

 食器くらい自分で片づけていけばいいのに……
 そうだ、片づけだ――
 こんなにおいしいものをいただいたんだ。
 せめて片づけくらい、手伝いたい。

「片づけを、手伝わせてくれないかな……?」

 遠慮気味(えんりょぎみ)に、彼は願い出てみた。

「いいって、ウツロくん。あなたはお客さんなんだから、先に部屋へ戻って、お昼寝でもしてるといいよ」

「でも……」

厨房(ちゅうぼう)を引っかきまわされでもしたら、かなわねえぜ? いいから部屋でゆっくりしてろって」

 真田龍子と南柾樹が自分に気をつかってくれているのは、じゅうぶんに察する。
 ウツロは食い下がったら慇懃無礼(いんぎんぶれい)だと思い、妥協(だきょう)することにした。

「そう、か……わかった。お言葉に、甘えさせてもらうよ」

 食堂を去る前に、礼のひとつくらいは言っておきたい。
 その程度なら()(はか)れるし、いま俺にできる唯一(ゆいいつ)のことだ。

「柾樹」

「ん?」

口福(こうふく)、ごちそうさまです」

「……」

 これがいまのウツロにできる、最大限の誠意(せいい)だった。
 不器用かもしれないけれど、彼は彼なりに、感謝を表明したつもりだった。

「そう言ってくれるとうれしいぜ、

?」

「――」

 深く一礼(いちれい)して、彼は食堂を後にした。

 おぼつかない足取(あしど)りが自信のなさを物語ってはいたけれど、それも含めて一同(いちどう)は、ウツロの心中(しんちゅう)をちゃんと理解していた。

 彼は成長したがっている――
 もちろん、精神的に――

「よっぽど、柾樹の料理がおいしかったんだね」

「ほんと、クラシックな野郎だぜ」

 遠ざかるウツロの背中を見つめながら、南柾樹の顔は(ゆる)んでいた。

   *

 食堂を出たウツロは、まっさきに、星川雅のことを思い浮かべた。

 彼女だけ、彼女だけが、他の三人とは違う気がする。
 何かとてつもない、(やみ)をかかえているような感じだ。
 奪われたままの黒刀(こくとう)のこともあるし、問いたださねばなるまい。

 ウツロはそう考え、彼女が根城(ねじろ)にしているのであろう、医務室へと向かった――

(『第30話 星川雅(ほしかわ みやび)恐怖(きょうふ)』へ続く)
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登場人物紹介

ウツロ(男性、16歳、身長175cm)


孤児だったが、似嵐鏡月に拾われ、アクタとともに育てられる。

アクタのことは兄貴分として、似嵐鏡月のことは師として慕っている。


トラウマが強く、「自分は人間ではない、毒虫のような存在だ」という、自己否定の衝動に苦しめられている。

それに向き合うため、哲学書や思想書を愛読している。

好きな思想家はトマス・ホッブズ。


剣術・料理を得意とする。

アクタ(男性、16歳、身長185cm)


ウツロと同じく孤児であり、似嵐鏡月の手で育てられた。

ウツロのことは、よき弟分としてかわいがっている。


明るく、気さくで、考えることは面倒な性格。

自分を責めるウツロのことを気にかけ、何かにつけて助け舟を出す。


力が強く、体力があることから、体術に秀でている。

似嵐鏡月(にがらし・きょうげつ、男性、30代後半、身長190cm)


孤児だったウツロとアクタを拾い上げ、隠れ里で育てた。

暗殺を稼業とする殺し屋であり、ウツロとアクタを後継者にするべく、その技術を伝授している。

マルエージング鋼製の大業物『黒彼岸』を愛刀とする。

真田龍子(さなだ・りょうこ、女性、黒帝高校1年生)


傷ついたウツロを救出し、献身的に看護する。

性格は明るく、勉強もできるが、運動のほうが得意。


仏のような慈愛・慈悲の心を持つが、それは過去のトラウマから派生している。

ウツロに対し、特別な感情を抱く。


真田虎太郎は実弟。

星川雅(ほしかわ・みやび、女性、黒帝高校1年生)


精神科医を両親に持ち、鋭い観察眼を会得している。

気は強いが、冷静沈着。

しかし内面には暗部を隠し持っていて、それを悟られないよう、気を使っている。

ウツロに『アルトラ』の存在を教える。

南柾樹(みなみ・まさき、男性、黒帝高校1年生)


ウツロには何かにつけて、きつく当たるが、それは彼が、ウツロに自分自身を投影してのことだった。

料理が得意。

真田虎太郎(さなだ・こたろう、男性、黒帝中学校1年生)


真田龍子の実弟。

頭脳明晰だが、考えすぎてしまう癖がある。


音楽をこよなく愛する。

好きな作曲家はグスタフ・マーラー。

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