第67話 絶体絶命

文字数 2,479文字

「くく、ウツロ……これからわしは、いったい

?」

 山犬・似嵐鏡月(にがらし きょうげつ)は、その大きな手をゆっくりと(にぎ)りしめた。

「あああああっ!」

 体を圧迫(あっぱく)され、真田龍子(さなだ りょうこ)は苦しみに絶叫(ぜっきょう)した。

「ああっ、真田さんっ!」

「お師匠様(ししょうさま)っ、おやめくださいっ!」

 ウツロもアクタも(さけ)んだ。

「ふふ、ウツロ。お前、この女に()れただろ? 気づかないとでも思ったのか? こいつのことを考えていると体がムラムラする、そうだろう?」

「う……」

「こいつをいま、お前の目の前で()()きにしてやったら、さぞ面白いだろうなあ?」

 (こぶし)の中で(もだ)(くる)しむ少女の姿に、山犬は下卑(げび)た表情で舌をなめた。

「あっ……があああああっ!」

 似嵐鏡月はなおも、真田龍子を手の中で(もてあそ)ぶ。
 そのたびに彼女の顔は、痛みのあまり苦悶(くもん)にゆがんだ。

「あはは、楽しいなあ、お前で遊ぶのは。弟を苦しめる邪悪な姉め。その痛みを刻みこんでくれる。ゆっくり、たっぷりとな」

「あ……あ……」

 蹂躙(じゅうりん)()ぐ蹂躙によって、真田龍子はもう限界だった。
 大きな親指に頭をもたげ、いまにも事切(ことき)れてしまいそうだ。

「や……やめ……もう……」

 ウツロとてもう限界だった。
 似嵐鏡月からの指摘、真田龍子を愛している――

 そうだ、そのとおりだ。
 認める、そうなんだ。
 俺は彼女を、真田さんを愛しているんだ……

 ()しくもではあるが、この陵辱劇(りょうじょくげき)によって、ウツロはやっとその事実を認識したのだ。

 だからこそ、その愛した相手・真田龍子が、このような(はずかし)めをこれ以上与えられるのは()えられない、とうてい――

 もう破れかぶれだ。
 このときウツロは理屈ではなく、彼としては珍しく、本能のおもむくままに行動した。

「うっ……うおおおおおっ……!」

「ああん?」

 まさしく体当たり――
 それをウツロは、自分を呪う『愛する存在』へ向け、(おこな)おうとした。

「寄るな、毒虫っ!」

「ぐおっ!?」

 しかし突進してきた彼を、山犬はその大きな足で、軽々(かるがる)()()げた。
 ウツロはくるくると回転しながら、地面を転がった。

「ウツロっ! なんてことを、お師匠様……!」

「ふん、『ゴミ』は黙ってろ。お前には何もできん」

 アクタの気づかいも、似嵐鏡月はためらわず、はねのけた。

「うっ……ぐっ……ううっ……うううううっ……」

 あまりのショックに、ウツロはすっかり打ちひしがれて、その場にうずくまってしまった。

 無力だ、あまりにも。
 俺には、何もできない。
 愛する人が、真田さんが目の前で、苦しみ(あえ)いでいるというのに。
 助けてもやれない、何もしてやれない。
 無力だ、俺は、俺は……

「あはは、楽しいなあ。ウツロ、お前をいじめるのは。自分は無力だ、そう考えているのだろう? そのとおりだな。愛する女のひとりもお前は守れんのだ。あまりにも無力、ああ、悲劇的だなあ」

「う……ぐ……ぐううううう……」

「ふん、苦しいか? 自分の矮小(わいしょう)さあまって? 頭がおかしくなりそうだろ? なってしまえ。そのままこの場で、壊れてしまえ!」

 形容しがたい暴虐(ぼうぎゃく)
 こんな仕打ちが果たして許されるのか?

 ウツロに地獄の苦しみを与えているのは誰あろう、血のつながった『実の父親』なのだ。
 
「……お師匠様……もう……おやめください……」

 アクタはひたすら制止を試みる。
 無理だとわかっていても――

 もはや、この狂った山犬を、自分たちを憎悪(ぞうお)する『父』を止められるのは、『俺』しか残っていないのだ。

「黙れと言っておろうが、『ゴミ』め。貴様もウツロと同じ、無力な存在よ。弟が発狂するところを、指でも(くわ)えて見ているがいい。そのあとはひとおもいに、仲良く殺してやる」

「う……」

 苦しかった、アクタは苦しかった。
 つらい、死ぬほどつらい。
 だがそれはウツロだって、いや、ウツロのほうが、ずっとつらいはずだ。
 こんなに憎まれて、その存在を否定されて――

 俺しかいない、やれるのは俺しかいない。
 もう俺しか、ウツロを守れるのは、俺しか――

「う……う……」

「ウツロ、そのかっこう、最高の構図だぞ? 醜い毒虫、おぞましいその存在にふさわしい最期だ、実にな。アクタよ、お前も災難(さいなん)だな。

鹿

……!」

 アクタの中で、何かが切れた。

 こんなやつに?
 こんなやつに俺らは?

 いや、俺なんかどうでもいい。
 ウツロが、俺の弟が、こんな侮辱を受けている……

 もう、後先(あとさき)なんかどうでもいい。
 俺は守る、ウツロを守る、弟を、守る――!

「ウツロ」

 アクタの(つぶや)きに、うずくまっていたウツロは、嗚咽(おえつ)(おさ)えながら、声のするほうに首を(かたむ)けた。

「……お前は……何がなんでも……生きろ……!」

 ウツロははじめ、言っているその意味がわからなかった。

 だが、決然とした面持(おもも)ちで立ち上がるアクタに、その覚悟を背負った姿に、胸騒(むなさわ)ぎがわき起こった。
 おそろしい、何かとんでもなくおそろしいことが起ころうとしている、その前触(まえぶ)れを感じたのだ。

 アクタは凛然(りんぜん)と立ち上がり、そびやかすその肩で、大見得(おおみえ)を切った――

「……俺が相手だ、

……!」

(『第68話 兄として――』へ続く)
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登場人物紹介

ウツロ(男性、16歳、身長175cm)


孤児だったが、似嵐鏡月に拾われ、アクタとともに育てられる。

アクタのことは兄貴分として、似嵐鏡月のことは師として慕っている。


トラウマが強く、「自分は人間ではない、毒虫のような存在だ」という、自己否定の衝動に苦しめられている。

それに向き合うため、哲学書や思想書を愛読している。

好きな思想家はトマス・ホッブズ。


剣術・料理を得意とする。

アクタ(男性、16歳、身長185cm)


ウツロと同じく孤児であり、似嵐鏡月の手で育てられた。

ウツロのことは、よき弟分としてかわいがっている。


明るく、気さくで、考えることは面倒な性格。

自分を責めるウツロのことを気にかけ、何かにつけて助け舟を出す。


力が強く、体力があることから、体術に秀でている。

似嵐鏡月(にがらし・きょうげつ、男性、30代後半、身長190cm)


孤児だったウツロとアクタを拾い上げ、隠れ里で育てた。

暗殺を稼業とする殺し屋であり、ウツロとアクタを後継者にするべく、その技術を伝授している。

マルエージング鋼製の大業物『黒彼岸』を愛刀とする。

真田龍子(さなだ・りょうこ、女性、黒帝高校1年生)


傷ついたウツロを救出し、献身的に看護する。

性格は明るく、勉強もできるが、運動のほうが得意。


仏のような慈愛・慈悲の心を持つが、それは過去のトラウマから派生している。

ウツロに対し、特別な感情を抱く。


真田虎太郎は実弟。

星川雅(ほしかわ・みやび、女性、黒帝高校1年生)


精神科医を両親に持ち、鋭い観察眼を会得している。

気は強いが、冷静沈着。

しかし内面には暗部を隠し持っていて、それを悟られないよう、気を使っている。

ウツロに『アルトラ』の存在を教える。

南柾樹(みなみ・まさき、男性、黒帝高校1年生)


ウツロには何かにつけて、きつく当たるが、それは彼が、ウツロに自分自身を投影してのことだった。

料理が得意。

真田虎太郎(さなだ・こたろう、男性、黒帝中学校1年生)


真田龍子の実弟。

頭脳明晰だが、考えすぎてしまう癖がある。


音楽をこよなく愛する。

好きな作曲家はグスタフ・マーラー。

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