第54話 姉と弟

文字数 2,513文字

 凄惨(せいさん)な過去を話したあと、山犬(やまいぬ)の姿の似嵐鏡月(にがらし きょうげつ)は、その目から赤いの涙を流した。

 その場に立ち会うウツロたちは、息の詰まる感覚に、呼吸すら忘れてしまいそうだった。

「あとでわかったことだがな、アクタを殺せなどとは、親父は命じていなかったのだ……あれはわが姉・皐月(さつき)が、すなわち(みやび)、お前の母の独断でのことだった……だからあえて、わしを逃がしたのだ……黒彼岸(くろひがん)も、姉貴が勝手に持ち出していたのだ……それをすべて、わしが似嵐(にがらし)の家をのっとろうと画策(かくさく)してのこと、そう誘導したのだ……」

 星川雅(ほしかわ みやび)胸中(きょうちゅう)は複雑だった。
 彼女は母の性格をよく知っている。
 だからこそ、やりかねない――
 そう思ったからだ。

「なんで、お姉さんは、そんなことを……自分の、弟なのに……」

 真田龍子(さなだ りょうこ)が語りかけた。
 星川雅に(たす)(ぶね)を出す意味もあるが、なにより姉と弟という関係。

 なぜ星川皐月という人は、この弟にそんな仕打ちをしたのか?
 それが気にかかってしかたがなかった。

 そして彼女はあえて、『お姉さん』と表現した。
 『雅のお母さん』と言ってしまえば、その心痛(しんつう)は計り知れないだろうという配慮からだった。

「さあな、自分が似嵐の家をのっとりたかったのか、あるいは単に、わしが憎かったのか……もう、どうでもいいさ、どうでもな……」

 同時にこのとき、もう一つ引っかかってしかたがないことがあった。
 自分もそうなのではないのか?

 かつて自分は弟を、虎太郎(こたろう)を追いつめ、最悪の事態を招く寸前にまで(おちい)らせた。

 同じなのではないか?
 自分もその、似嵐皐月(にがらし さつき)と――

 いつか自分も、彼女が弟にしたように、虎太郎にまた(わざわ)いをもたらすのではないか?
 そんな思いに締めつけられた。

「ふふっ」

 山犬が笑っている。
 牙の生えた口もとを(とつ)にゆがめて。

「お嬢ちゃん、お前さんの考えていることがわかるぞ、手に取るようにな」

 悟られている――
 しかし、虎太郎のことなど、この男は知らないはずだ。
 彼女は言いしれない不安に()られた。

「断片的ではあるが、スズメに(ほどこ)した『口寄せ』……その『目』をとおして見ていたぞ……お前が弟、虎太郎といったか……なにをしたかをな」

「……っ!」

 こいつはいま、おそろしいことを考えている。
 今度は星川雅が、真田龍子を助けなければと思った。

「やめて、叔父様(おじさま)っ!」

「黙れ雅。お前はその娘を、人形にして遊んでいたのだろう? その、真田龍子を。母がするようにもてあそんで、楽しんでいたくせに。助ける義理などあろうはずもない、そうだろう?」

 思わず(くちびる)()んだ。
 言い返せなかった。
 山犬・鏡月は追い打ちをかける。

「真田龍子よ、どう思うかね? お前も弟に、いつか同じことをするのではないか、そう葛藤(かっとう)しているのだろう? 雅の言うとおり、それは偽善なのだ。慈悲だとか慈愛だとか、そんなものは存在しない。すべてまやかしなのだよ。はっ、そんなものがあるのなら、なぜあんなことに? なぜだ? なぜアクタは、あんな仕打ちを? まるで、ゴミのように……」

 似嵐鏡月は矢継早(やつぎばや)憎悪(ぞうお)の言葉を吐いた。

「真田龍子、お前はいつか、弟を不幸に陥れるだろうよ」

「お師匠様あっ!」

 ウツロが叫んだ。
 もう耐えられなかった。
 侮辱(ぶじょく)されることに。
 それは彼の、真田龍子への気持ちの発露(はつろ)だった。

「なんだ、いたのか毒虫。何か言いたいことでもあるのか、あーん?」

 興ざめした似嵐鏡月は、ひどくつまらなそうな顔をした。

「……これ以上の暴挙(ぼうきょ)は、許されることでは、ありません……!」

 ウツロは勇気をふりしぼって、山犬に反論した。
 しかし、聞く耳など持つはずがない。

「ははっ、暴挙だと? よくもわしにそんな口が利けたな。それで、暴挙だったらどうだというのだ?」

「いますぐ、こんなことは、どうか、おやめください……」

「バカか貴様? せっかく楽しくなってきたというのに。いまさらやめられるわけないだろう?」

「こんなことは、人の道に外れております……」

「なにが人の道だ、毒虫の分際(ぶんざい)で。ああ、吐き気がする、お前を見ているとな」

 呪いの言葉をたたみかけ、『わが子』を(ののし)る。
 ウツロは苦しかった。
 否定されることに。
 だが、守りたい。
 もう守られっぱなしは、嫌だ――

「お願いです、お師匠様、どうか、どうか……」

 もはや、呼吸すら満足にできない。
 だが、何としても止めなければ。
 彼女の心を踏みにじることだけは――

「なんだ、もう限界か? カスめが。虫ケラのお前に、わしに逆らうことなどでき――」

「おい、おっさん」

 南柾樹(みなみ まさき)――

 つぶさに静観(せいかん)していた彼が、口を(はさ)んだ。

「ああ、なんだ? すっこんでいろ、ガキが」

「ひとつ、教えてくれねえかな?」

「はあ、いったい何をだ?」

「なんでそんなに、ウツロを、アクタを嫌うんだ? あんたの息子なんだろ?」

 山犬は少しだけ退屈が()えたという顔になった。

「ふん、冥土(めいど)土産(みやげ)に教えてやるか……まあ、話の流れでおおよそ、見当(けんとう)はついているだろうがな」

 彼は再び遠い目をして、淡々(たんたん)と語り出した。

「アクタとウツロ、その名の由来につながることだ……つまり、わしが似嵐の家を飛び出したあとの話よ……」

(『第55話 ウツロなアクタ』へ続く)
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登場人物紹介

ウツロ(男性、16歳、身長175cm)


孤児だったが、似嵐鏡月に拾われ、アクタとともに育てられる。

アクタのことは兄貴分として、似嵐鏡月のことは師として慕っている。


トラウマが強く、「自分は人間ではない、毒虫のような存在だ」という、自己否定の衝動に苦しめられている。

それに向き合うため、哲学書や思想書を愛読している。

好きな思想家はトマス・ホッブズ。


剣術・料理を得意とする。

アクタ(男性、16歳、身長185cm)


ウツロと同じく孤児であり、似嵐鏡月の手で育てられた。

ウツロのことは、よき弟分としてかわいがっている。


明るく、気さくで、考えることは面倒な性格。

自分を責めるウツロのことを気にかけ、何かにつけて助け舟を出す。


力が強く、体力があることから、体術に秀でている。

似嵐鏡月(にがらし・きょうげつ、男性、30代後半、身長190cm)


孤児だったウツロとアクタを拾い上げ、隠れ里で育てた。

暗殺を稼業とする殺し屋であり、ウツロとアクタを後継者にするべく、その技術を伝授している。

マルエージング鋼製の大業物『黒彼岸』を愛刀とする。

真田龍子(さなだ・りょうこ、女性、黒帝高校1年生)


傷ついたウツロを救出し、献身的に看護する。

性格は明るく、勉強もできるが、運動のほうが得意。


仏のような慈愛・慈悲の心を持つが、それは過去のトラウマから派生している。

ウツロに対し、特別な感情を抱く。


真田虎太郎は実弟。

星川雅(ほしかわ・みやび、女性、黒帝高校1年生)


精神科医を両親に持ち、鋭い観察眼を会得している。

気は強いが、冷静沈着。

しかし内面には暗部を隠し持っていて、それを悟られないよう、気を使っている。

ウツロに『アルトラ』の存在を教える。

南柾樹(みなみ・まさき、男性、黒帝高校1年生)


ウツロには何かにつけて、きつく当たるが、それは彼が、ウツロに自分自身を投影してのことだった。

料理が得意。

真田虎太郎(さなだ・こたろう、男性、黒帝中学校1年生)


真田龍子の実弟。

頭脳明晰だが、考えすぎてしまう癖がある。


音楽をこよなく愛する。

好きな作曲家はグスタフ・マーラー。

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