第５３話　転－２３

　彼は一か月間すべての時間を費やして貴婦人の依頼の絵画を仕上げた。彼は仕上げのサインを淵に描き入れると、ユウタに作品が完成した旨のメールを送信した。すると、すぐに彼のもとへ向かうという返事が来た。
　一時間も経たないうちに綺麗なスーツを着たユウタが高級車から降りてきた。アキオは作品を彼に手渡した。作品を受け取った彼は慣れた手つきで車に積み、アキオにお疲れ様と労いの言葉をかけた。アキオが彼を見送る際ちらりと運転手の顔を窺ってみると、先生がその高級車を運転していた。アキオの中で彼らが何者なのか何となく察しがついた。彼らは恐らくアトリエのメンバーの絵を売り付け、仕事の依頼を引き受けているのだろうと考察した。彼の考察は鋭いものだった。そしてその考察を通して、やっとハルカの逃げるなら今のうちだという言葉の意味が分かった。
　アキオが作品をユウタに手渡してから、彼がユウタに呼び出される回数が次第に増え、渡される金額もまた、それに比例するかのように増えていった。彼は死に物狂いで日々の依頼と並行で貴婦人の依頼をこなしていった。だがしかし、日に日に増えていく依頼に、彼は絵を描くことをただの仕事だとしか見られなくなっていった。最初は依頼が増えていくことが嬉しかった。一つ一つの作品を作り上げていく実感を得られたからだ。それが、最近ではただ流れ作業のようにしか感じられなくなってしまったのだ。
　彼は文と共に暮らしたあの日々が恋しくなった。疲れたら戻っておいでという彼女の優しい言葉に何度甘えたくなったか、もう分からないほどである。それでも日に日に入ってくる仕事の依頼に彼は耐え忍ぶしかなかった。彼女の待っているアパートに戻りたくても戻れない、そんな日々が続いた。
　彼が文を思い出すようになってからしばらくして、彼はぼろ雑巾のようになっていた。そしてすり切れた精神で、彼は死を堅く決意した。