第4話 起-4

文字数 1,488文字

 7畳一間の小さな部屋だった。アキオは彼女の家に着くまでにはだいぶん気持ちが落ち着いていた。
 「風呂、入って。君臭いし」
 彼女はタオルと服を投げてきた。そのセットの中には男物の下着もきちんと用意されていた。彼は申し訳なく思った。それと同時に、もしもの時のためにサンドバッグになる覚悟もしておいた。
 「あ、それ元彼の忘れ物。気にせず使って。今度捨てようと思っていたんだけど、タイミングよかったよ」
 そうして彼女は一服しにベランダへ出た。彼は安堵し、風呂を借りた。
 風呂から上がると麦茶とスナック菓子が用意されていた。
 「麦茶、嫌いじゃなかったら飲んでー」
 「ありがとうございます。お風呂も貸していただいて助かりました」
 彼女は大きめのシルエットのTシャツ一枚のゆるい姿に着替えて、一足先にくつろいでいた。彼は目のやり場に困りながら彼女の向かい側にちょこんと正座をして麦茶をすすった。
 「くつろいでくれていいのに。あ、私がだらしないだけか。あはは」
 彼女は、がさつで大雑把な性格をしていた。部屋には脱ぎ散らかしたパンツやシャツが転がっていたし、ビール缶がいくつかそのままにしてあった。それだから彼女は彼にずけずけと核心をついた質問をした。
 「ねぇ、単刀直入に訊くけど……何であんなところで寝ていたのよ?ここら辺の人じゃないよね?」
 彼はうつむいた。見ず知らずの人に親切にしてもらった恩はあるがそこまで踏み込んだ質問に答える義理はないし、とても答えたいとは思えなかった。それに、社会人として働いている人にとって彼を理解してもらえるとは到底考えられないと、彼は諦めていた。彼女の目の前にいるのは社会のあぶれ者、負け犬のただの男だから。
 「そっか、喋りたくはないか……私は、文。27歳よ。近所のバーで店主をしている。安心して、今は独り身だし怪しい仕事をしているわけでもない。まぁ、何があったかは知らないけどここで会ったのは何かの縁。宜しくね」
 彼女は優しい目で怯える彼を見つめながら自己紹介をした。そんな温和な雰囲気に彼は少し緊張がほぐれてきた。そして、ポツリ、ポツリと話す気になってきた。彼女はどこか違う。そう感じていた。バーテンダーをしているから話を聞きだすのが、相手の心をつかむのが上手なのだろうが。それでも、彼女にだけ何か違うものがあると彼の勘がそう言っていた。
「僕はアキオです。就活でここまで来たのでここら辺の人じゃないです。なので、本当に助かりました、ありがとうございます……あの、どうして見ず知らずの人にここまでしてくれるんですか?究極な話、僕はあそこでのたれ死んでもよかっただろうに……」
 「就活かぁ、お疲れ様。今年はみんな大変なんだもんなぁ。んー、助けた理由……難しいことを訊くねぇ。まぁ、君がイケメンだったから。普段だったら絶対に人助けなんてしないのよ、面倒だし。だけどね、何か今日は違った。君は特別。ラッキーだったね、アキオ」
 特別という言葉に彼はまた涙が出そうになった。彼女は彼が欲しかった言葉を次から次へとくれる。彼にとって彼女の存在が心地よかった。
 「今日、行った会社はアキオにとって行きたかったところだったの?」
 「……いえ、行きたいところではなかったんです。僕にはやりたいことも夢も何もなくて……ただ、周りが就活して内定をとっているから、していただけで……安心していたかったんです。周りからはみ出ていないということを感じていたかったんです」
 彼は、彼女に少しだけ本音で話した。今まで誰にも話したことがなかったのに。
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