第18話 承-12

文字数 781文字

 すっかり日も暮れ、夜の街らしく街灯やネオンの光が輝き始めたころ、アキオは文に案内され、彼女のバーにいた。ついに彼の仕事始めの時が来た。
 彼女はいつものだらしないTシャツ一枚の姿からは想像できないような、カチッとしたスーツを着こなして、黒く長い髪を凛々しく一つにまとめていた。そんないつもと違う彼女の姿に彼は見とれてしまっていた。
 「何ぼさっとしてんのさ。客が来る前に机と椅子の除菌して、床を掃きな」
 「あ、はい……」
 彼は彼女の言葉にはっとして、そそくさと作業に取り掛かった。
 30分もしないうちに1人の中年のおじさんがやってきた。彼は、こんなにも早い時間にバーに飲みに来る人もいるのだなと、顔には出さないがやや驚いていた。彼は彼女に指示を出されたように温かいお絞りを差し出した。
 どうやらここのお客は常連が大半を占めており、彼女との会話を楽しみに来ているようだった。彼女は、いつものダルそうな口調ではなく大和撫子のようにおしとやかに笑い、相手の会話を絶妙に繋げていた。そして、その会話中でもお酒を作る手さばきは素早く、プロの実力を見せつけられたようだった。
 彼は何もすることができないため、彼女に紹介されてはヘコへコするだけだったが、店じまいをしてからも、仕事で体は疲弊していたが、心の中ではこれが大人の世界かと余韻に浸っていた。彼の中で彼女に対する見方が少し変わった一日だった。
 「今日はお疲れ様。バーテンダーどうだった?意外と知らないことが多かったろ」
 「うん。まず、器具が多いかな。でも、それよりもいつもと違う空気を味わえて楽しいと思えた」
 彼は嘘偽りなく彼女の眼を見てはっきりとその言葉を言えた。「楽しかった」なんていつも着飾るためだけに使ってきた言葉だったが、彼女に使う「楽しかった」は何の装飾もない素直で真っ直ぐな言葉だった。
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