第5話  N.86、未知なるものは、 その⓹。

文字数 5,106文字

Q: What do I gain by learning to use my mind?
心を使うことを学ぶことによって、何を私は得るのでしょうか?

M: You gain freedom from desire and fear,
  which are entirely due to wrong uses of the mind.
(何かを得たい/欲しいという)〈欲望〉、そして
(何かを)恐る/怖がるといった〈恐怖〉からの「

」だ。
〈欲望〉と〈恐怖〉、これらは、完全に、マインドの誤用に基づいたものなのだ。

Mere mental knowledge is not enough.
単なる、メンタルな知識だけでは十分ではない。

The known is accidental, the unknown is the home of the real.
知られたるは、(マインドによって掌握されたるは)、
 偶然のものであったか/非本質的なるものでしかない。
知られざれるものこそが「ザ・リアル」の「土俵/世界/住処」である。

To live in the known is bondage, to live in the unknown is liberation.
知られたるものの中に生きることは「拘束/束縛/不自由」でしかない。
知らざれものの中に生きてこそ、『解放』 となろう。

Q: I have understood that all spiritual practice consists in the elimination of the personal self.
私は、すべてのスピリチュアルな修練は個人的な我を、滅却することからなっている
ことを理解しました。

Such practice demands iron determination and relentless application.
このような修練は、鉄の意志を、また情け容赦ない常時の適用を求めてきます。

Where to find the integrity and energy for such work?
どうやって、このようなワークのための高潔性やエネルギーを手に入れればいいのでしょうか?

M: You find it in the company of the wise?
賢者との交際の中で、あなたはそれを見つければいいではないか?

Q: How do I know who is wise and who is merely clever?
一体どうやって、誰が本当に賢者で、誰が単に頭がいいだけなのかが分かるでしょうか?

M: If your motives are pure, if you seek truth and nothing else, you will find the right people.
もしあなたの動機が純粋なもので、もしあなたが真実のみを探し求めるのであれば、
あなたは正しい人々を探し出すこととなろう。

Finding them is easy, what is difficult is to trust them and take full advantage
of their advice and guidance.
彼らを探し出すことは容易いことだ。
難しいのは、彼らに信頼を預けること、そして...
彼らからの「アドバイス」と「指導」を最大限に活かすことなのだ。

Q: Is the waking state more important for spiritual practice than sleep?
目覚めている状態というのは、スピリチュアルな修練にとって、
眠りよりも大切なのでしょうか?

M: On the whole we attach too much importance, to the waking state.
全体的に、我々は、目覚めの状態を(意識のある状態を)過大評価しすぎている。

Without sleep the waking state would be impossible; without sleep one goes mad or dies;
眠りなくして、目覚めの状態は不可能だ。
眠りなくしては、人間は気が狂ってしまうか、死んでしまう。

why attach so much importance to waking consciousness,
 which is obviously dependent on the unconscious?
なぜそれほどに、目覚めの意識に、重きを与える?
それ(目覚めの意識)は、明らかに、「無意識」に依存するものではないだろうか?。

Not only the conscious but the unconscious
 as well should be taken care of in our spiritual practice.
我々のスピリチュアルな修練においては、意識のみか、無意識の面倒さえをも、
みなければならないのだ。

*(余計な注釈として...氷山は海中にある見えない部分の方が圧倒的に大きい。
  またこの部分は海全体と同体でもある。どちらが重要であるかは言うまでもない...。)

Q: How does one attend to the unconscious?
どうやって無意識と付き合えばいいのでしょうか?

M: Keep the ‘I am’ in the focus of awareness, remember that you areÄi0,
気づきの焦点として” 我在り ” を保ち続けていなさい。
覚えていなさい。

が「在る」ことを。(**)

watch yourself ceaselessly
あなた自身を絶え間なく観ているのだ。

and the unconscious will flow into the conscious without any special effort on your part.
そうしていれば、さしたる努力をすることもなく、無意識は意識の中に流れ込んでくる。

Wrong desires and fears, false ideas, social inhibitions are
  blocking and preventing its free interplay with the conscious.
誤りとしての[欲望、恐怖、間違った考え、社会的な抑圧/抑制]は、
阻害する/阻む/ブロックする。

無意識が「自由なる/自然なる」相互作用を意識との関係で持つことを。

Once free to mingle, the two become one and the one becomes all.
一度、混ざり合うことが許されたなら、この二つは一つになる。
そしてこの一つは『全て』に変わるのだ。

*(人格の死が条件。これがゆっくり成されれば漸悟の展開。いっ時に一挙になされるのが
  頓悟の展開。覚醒された良心においての自死が選ばれる/行われなくてはならない。)

The person merges into the witness, the witness into awareness,
awareness into pure being, yet identity is not lost, only its limitations are lost.
個人としての人格は、『ザ・証人』(観照のみの何か)の中に溶け込む。
ザ・証人(観照のみの何か)は気づきの中に...、気づきは純然たる存在の中に...。
*(これは理屈ではなく、またポエトリーでもない。
  実際的な変化のプロセスとして体験されるべきもの)
されど個人性( identity )は失われはしない。ただ、それの境界線だけが失われるのだ。

It is transfigured, and becomes the real Self, the sadguru, the eternal friend and guide.
それは変容される。そして...本当の自身(真我)へとなるのだ...。
本当の教師(the sadguru)、永遠なる友...そしてガイドたる者...。

You cannot approach it in worship.
あなたは、祈りでは、それにアプローチできない。

No external activity can reach the inner self;
外側でのいかなる活動によっても、内面の自身へと、至ることはできない。

worship and prayers remain on the surface only;
礼拝も、祈りも、ただ表面/外側にとどまるのみ。

to go deeper meditation is essential,
より深みへと至る『 瞑想 』が、本質的なる、枢要なるものとなる。

the striving to go beyond the states of sleep, dream and waking.
眠りの、夢の、そして目覚めの状態を越えて、(その彼方へと)至らんとすることに励む。

In the beginning the attempts are irregular,
最初、この試みは、不規則なもの(稀にしか成功しない)にしかならない。

then they recur more often, become regular,
やがてもっとしばしばに起こるようになり、やがては馴染みのものに...。

then continuous and intense, until all obstacles are conquered.
そして継続的なるものに、そして強烈なるものに、

すべての障害が克服され(尽くす)まで...



〈続く〉


*スピリチュアルという言葉が嫌いだ。この西洋由来の流行りのタームが嫌いだ。
 精神性の領域と霊に関わる領域が、いっしょくたに、混濁化され使用されている。
 分からんものならなんでもオカルトで括るみたいなもんだ...。

*実は世も理解している。「お前一回死んでこいや〜、一回地獄見てこいや〜」。
 この言葉は広く使われている。自分なんかは小学生の頃から聞こえていた。
 
**アプローチとしての個人的な内容/実際/経験を言へば:

 初期は肉体における内側の感覚、熱、充実感、神経の走り、血流、センセーション。
 外側の自身を包む大気としての、自己独自の放射としてのなんか。あるんよ。
 頭蓋の中の意識。みぞうち、もしくは横隔膜の両奥を中心とした太陽神経叢を
 センターとし、全身に広がる感情放射/伝達の経路を、とにかく感じるように努力する。
 一つ一つができたら、次には同時に。印象が混ざるように(これはこれである種のセンセー  ション)やってみる。いつでもどこでもできるので、暇つぶしにピッタリ!(w)。

 やがて、ある程度の、長期間を経たれなば、横隔膜両下部から喉を通って頭蓋の中に伸び
 上がるなんか沈黙の存在が現れる。頭に雑念がありこれを切りたければ、バンジーで落ち
 て、肛門から昇り、この沈黙の存在と一体化する。これ、日常の常習の訓練になっている。
 有る意味、のっぺらぼう、空みたいな存在なの。だけど、妙に安心する... 。
 これに悪念はない。善意もない。また一切を寄せ付けない。無思念。
 
 これもゆっくりと変化していってる。(容量/体積、増えた?)
 これとの一体化をもって、I AM としています。
 表情の整えが微調整の鍵。(涼やかにて柔和な眼差し、微笑み微笑み)

 三十云々選手筆。

 
PS:この内容も、タイプによって変わってくるであろう。自分の場合は感情が主で
  これが頭との通じがとてもいい。ただしGut centerとの相性が良くない。
  Gut まわりの情報が欠落している。言いたいのは人それぞれだろってこと!。



  
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