第50話 N.32、人生こそが最高の師。全。

文字数 42,605文字

既にテキストとしてこの本はお持ちだとは思うのですが、そのはずなんだけども、……フー
今の時勢を鑑みるに、この32は大変参考になるので、訳します。でも、その内ねっ!。
原文をあげておきますので、先にこれにて、読解を、チャレンジを、してみて下さい。敬具



32. Life is the Supreme Guru





Questioner:

We two came from far off countries;

私達

異国
より、貴方の元へと、やって参りました。

*(平々凡々としたできの頭と、それとしてのおいての思いばかりの感情が、
  はるばる遠く海を渡って、やって参りました〜っと)

one of us is British, the other American.

一人は英国人で、もうひとりはアメリカ人です。
*(ここはウクライナ人ですロシア人です、台湾人中国人ですに置き換えて下さい。)

The world in which we were born is falling apart and,
being young, we are concerned.

私達が生まれ、また現在生きているこの世界は、
既にガタガタのボロボロの、もうめちゃくちゃ、メタクソの状態でありまして、
私達は、未だ歳若くあるがゆえに、このことを大いに憂慮しており、
また悩み、悲しみ、今後の行く末において心配しているのです…。

The old people hope they will die their own death,
but the young have no such hope.

年寄り達は、自らの寿命において、もうさっさと死んでしまおうと思ってますが、
私達のような未だ年若くしてある人間たちにとっては、
そういった思いでいる、なることなど、できません……。

Some of us may refuse to kill, but none can refuse to be killed.
Can we hope to set the world right within our lifetime?

私達、歳若い人間たちにとっては、人を殺すことを、拒絶することはできたとしても、
自分自身が殺されてしまうことを、拒絶することはできません…。

私達は、私達が生きているそのあいだに、この世界が、正しい状態になることを、
健全にして安全なる状態に戻ることを、期待することは、できるのでしょうか?。

Maharaj:
What makes you think that the world is going to perish?

いったいなにをもって…、いや

か、
あなた達に、年若くしてある人達に、世界が滅亡するなるなどというようなことを、
考え

あるのだろう?……。

*(マインドにおける思考が!)

Q:
The instruments of destruction have become unbelievably potent.
Also, our very productivity has become destructive of
nature and of our cultural and social values.

現存してある破壊兵器たるものは、
もう実に、信じられない程までにも、強力なるものなんです。

また私達の、経済にとっての生産性たるものは、
それにおひて、日常、我々がとっているその消費行動たるものは、
自然のみならず、人類自らにとっての、大切にして貴重なる価値をも、
尊ぶべくしての社会的倫理/道徳、生きるにおいてのその指針たるものをも、
すべて、破壊していってるのです……。

M:
You are talking of the present times. It has been so everywhere and always.
But the distressing situation may be temporary and local.
Once over, it will be forgotten.

あなたはどうやら現在の、現時点における、ことの状態のことを、それの進行具合のことを、言っているようだね……。でも、そういったことは、これまでにも、絶えず、いつも、どこかしこかで…、もう、あちらこちらにてで、起こってきた/いたことではないか…。

しかし…、悲惨なる状況というものはだ、あくまでも

のことなんではないだろうか?。それも地球全体のことを考えるならばだ。それは

極所的なる出来事に過ぎなかったのではないだろうか…。いったん、その事態としてのものが、終わりを告げ、過ぎ去ってしまったのならば、誰かそのことを、いつままでも、覚えているというのだろうか?。誰がそのことを気にしてるというのだろう……。

   広島長崎のことを…バブル崩壊直後のそれによる社会的なる影響のことを…
   コロナ等においては‥

   3:15 今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。
   神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。(コヘレトより抜粋)

Q:
The scale of the impending catastrophe is unbelievably big.
We live in the midst of an explosion.

ですが!、現時点において、我々に差し迫ってある危機たるものとは、
もう信じられないほどまでに巨大でして、極端に破壊的なるものなのです。
人類のそのすべてを、破滅へと至らしめんと、するべくしてのものなんです。

    大型ICBM「サルマート」
    極超音速滑空弾頭「アヴァンガルド」
    極超音速空対地ミサイル「キンジャール」
    原子力巡航ミサイル「ブレヴェストニク」
     原子力魚雷「ポセイドン」
    レーザー兵器「ペレスウェート」

     追加:
    [モスクワ16日ロイター]ロシアは核兵器の搭載が可能な(訂正)スーパー魚雷
    「ポセイドン」を初めて生産

。近い将来に原子力潜水艦「ベルゴロド」に搭載
     する。

それらによる攻撃、大攻勢、大爆発の、その可能性たるものの、ど真ん中にて
現在、我々の生存は、営まれてあるのです……。

M:
Each man suffers alone and dies alone. Numbers are irrelevant.
There is as much death when a million die as when one perishes.

すべての人間は、各自、それぞれにおいて、ただ

、苦しむのだ。
それらにおいての数、総数たるものには、さしたる意味は、重要性は、ない。
たとえ一万人が、一遍に、即座に、死ぬようなことになったとしても、
一人が惨殺されたこととの間には、

違いたるものは、ないのだ。

介入:
各人各様において、おいてで、世界たるものは存在してるっ!。
全体全員にとっての、ただ一つだけの世界/唯一の現実なんてもんは、幻想にすぎない。
それは確かにあるにはあるのだろうが、人においてでは、それの認知は到底適わない。
また殆ど直接的には、

のさ…。
なにかまた全く違う、圧倒的に大きな目的において機能しているまで…。
人類は、その樹に寄生して生きる、昆虫とか鳥みたいなもんなのさ。
でも不思議なことに、すべては総体としてありながらも、あらゆるすべての、その全体とその各個として、それらすべての為に〜で、存在してるんだってことも言える…。混沌とした

であるのが現実なんだが、不思議なことに、それら間においてでは、不和も違和も衝突も起こってないし、起こらないんだ…。混沌として、それとして、それにおいてで、ありながらも〜、完璧なる調和状態として成り立ってる。そうとしたものとしであってでさへ〜、ことは問題なく、滞りなくをもってして、成り立ってる。ことのすべてが万事上手く噛み合ってるってことなんだろう…。考えてみればさ〜宇宙空間ってのはスッカスッカだしね!。マージン、空隙としての隙間が、無駄なる空間が、ほんと、も〜山程もあっる〜〜!。
わたしの父の家には住む所がたくさんある。」(ヨハネ14)
全体としてのそれは、人間の為に、個人の為だけにっ、てことではないんのだらか……。
とにかく世界を知りまた理解するためには、それ(世界そのもの)として在らねばならない。
ならばだ、個人としてのその枠などは、もうとっくの昔に吹っ飛んでしまってるはずなのだ。
もし彼が死んだなら、彼そのものとしての宇宙の、そのまるごとが、喪失されてしまった、
もう、なくなってしまったんだ〜って、ことになる……。
終わり:

Q:
Nature kills by the millions, but this does not frighten me.
There may be tragedy or mystery in it, but no cruelty.
What horrifies me is man-made suffering, destruction and desolation.
Nature is magnificent in its doings and undoings.
But there is meanness and madness in the acts of man.

自然はときに災害をもって何百万の命を奪うことがあります。
ですが、そのことが私に恐怖心を抱かせることはないのです。
たいへん悲しむべき事態ではありますが、そこには、
残酷さとか、悪意たるものは、一切ないのですから。

私のこころを、恐れさせる、おぞけさせるてあるものとは、
人によって、もたらされてくる、いることなんです。
人類自らの起こる、為されている、その大規模な

!。
それにって、後の世界に(きた)してしまう、その

のことなんです……。

自然はあくまでもその荘厳さにおいて、ことを行ったりしなかったりしてるまでです。

しかし、人類においてのその行動には、悪意、浅ましきのその限りにあって、
とにかく手段を選ばずとしてのその卑怯さ、我さえ良ければ、他の全ての者のことなんて、
全く意に介さない。たとえそいつらがどうなろうが、こっちはが知ったコッチャないなどとしての、あくまでも自己中心的なる思いに凝り固まっての、その上での行動のことなんです。

私は、それらの考えの現れ、それらにおける実際の実行、行動において、
既に

としてのものに、彼らはなってしまっているのだと、

そのものに、取り憑かれてしまっているのだと、思うんです。

M:
Right.

まさしく、それこそが答えだ…。まさに正解としての実態になる。

So, it is not suffering and death that are your problem,
but the meanness and madness at their root.

ならばだ、苦難に会って、それを味わう苦しみや、死としての出来事が、
貴方にとっての

というわけでもあるまい。

それらを引き起こしてある根っことしての部分が、
すべての人間とっての災禍や苦しみの原因となってしまっている、
人としての低俗さや、

、本質的な問題になる。

Is not meanness also a form of madness?

卑劣であること、浅ましき様のその限りにておられること、
他の人々に対して、無神経の、無思慮の、無配慮の限りとしてあれること、
これもまた、

たるものの、

なのではないだろうか?。

*(ではここで、狂気とは本当はいったい何なのか?との疑問が持たれるべきである。)

And is not madness the misuse of the mind?

そして、狂気としてものとは、それとしてある事態とは、
マインドの、それが持つ機能における、

においての症状、
そが故の、そが為の、結果なんではないだろうか?!。

Humanity's problem lies in this misuse of the mind only.

人類にとっての問題とは、マインドの誤用、
このことにおいてのみにて原因しているのだ。

All the treasures of nature and spirit are
open to man who will use his mind rightly.

自然たるもの、そしてまた人に宿ってある精神たるもの、
それらにおける、すべてのあらゆる尊き可能性たるものとは、
人が、マインドを、

使

ときにおいて


開かれ得るものなのだ…。

Q:
What is the right use of mind?

マインドを正しく用いるとは、どういった意味でおっしゃっているのですか?

M:
Fear and greed cause the misuse of the mind.
The right use of mind is in the service of love, of life, of truth, of beauty.

簡単な話としては:

 恐れや、強欲といった思い感情欲望ってものはだ、
 マインドの誤用において起こってくるものなのだ。

正しくしてのそれの利用は:

 としてのものに、自らの内に自然と湧起ってある、
 その思いや感情を叶える、

為にこそ。
 自らの人生を、生涯、正しく歩む上においての、その相談役として。
 としてのなにかに、それとしてのなにかを奉じる。
 ものに、行為に、それとしての顕現に、
 仕える、奉仕するにおいて、マインドを、用いる。

介入:「なにを理想論としての戯言を!」っとも取られかねないので……。真実にそれらとしてのものに、心をオープンにして、またダイレクトに接触くしたならば、それがもしできたならば、なにやら共振としての事態が、自分の中で起こってしまうんだ。いと強力なる反応を引き起こすものは、真善美これら三つに要約され得る。あとの殆どは、生存の為の、生存における肉体のメンテナンスとしての欲望にすぎない。動物次元におけるそのニーズでしかない。腹くちくなれば、もう全て忘れてしまってるじゃない…。*そうそう、ことは怒りってやつにおいても同じことが云える。

この自分において強く訴えかけてくるか?働きかけてきてるのか?。こりゃ自分にしかその正体は分からんて…。拘りプライド虚栄心満載としての”エッ!”ゴ、人格部分だって。:終わり

Q:
Easier said than done. Love of truth, of man, goodwill -- what luxury!
We need plenty of it to set the world right, but who will provide?

云うは容易く、行うは難し。真実の愛、他者を愛すること、善き意思の元で、元に、…、
なんたる贅沢においての話しを、あなたはされることか!。
私達は、膨大な量としてのそれらを、世界を正しくする為には、必要とします。

ですが、それらを、いったい

、準備するというのですか?


*(この質問者は、世間としてのものを鑑みて、その実情において既に絶望してしまってる。
  一人二人の、ごく少数において、マインドを正しく用いるものがもしいたとしても、
  大勢においては、対しては、なんの効力も、影響力も、持たないと。
  つまりはなんも変わらないっと。)

M:
You can spend an eternity looking elsewhere for truth and love,
intelligence and goodwill, imploring God and man -- all in vain.

あなたは、永遠としての時間を用いて、真実の愛たるものの持ち主を、
真実の知性を備えた知恵叡智の体現者たる人間を、
そして善き志しを持ってある者たちを、
同士たるもの者達を、探すこともまたできる。
神に祈りをもって貴方にとってのあるべきを願ってもみれる。
他の、貴方の周りの人々を、嘆願を、熱意をもってして説得を、
なんとか試みてみる。

だが、すべてのあなたのそういった努力は、無駄に、徒労に終わることであろう……。
そうなることは、もう最初から、確実な、ことなのだ……。

You must begin in yourself, with yourself -- this is the inexorable law.
You cannot change the image without changing the face.

貴方はまずことを始めるのならば、自分自身の

始めなければならない。
これは

神聖なる法則に基づいての話しだ。
貴方は、あたなが持つ、外部の人達が貴方に対して思うところの、
その見た目におてのイメージ、印象を、
顔そのものを変えることなくして変えることはできない。

First realise that your world is only a reflection of yourself
and stop finding fault with the reflection.

まず最初に理解しなければならないことは、貴方にとってのその世界とは、
貴方自身の反映に他ならないってことなのだ。
その反射反映において、欠点だの、間違いだのを見つけることを、
貴方は止めねばならない。

*あなたが現在の今の貴方としての状態にあるから、
 世界はそれに

反応を見せつけてくる。
 返してきてるまでなんだって〜……
*つまりは、批判することにおいて、怒りを燃やす、誰かを何かを憎む、
 憎悪してある事態/状況には、絶対にあってはならないーって!。
*貪瞋痴のにおける瞋だ。これは毒なのだ……。気狂いとしての症状をもたらすもの。

*簡単にいく!:

           丁度いい映画があるわ。押井守による「アヴァロン」。

夢たるものにおいてもそれには深さや階層がある。それのみならず断片としてのクラスター、地下茎とよく似たリゾーム構造としてのものもある。地下においては陽の光が届かいないので、ことの真実は曖昧のその限りとなる。困ったことに悪意をもってしての誘導さへもが
其処においては働いてしまってる……。「絶えず・いつも・目覚めていなさい」は、
誰の言葉だったっけ?。

 これは三つのセンターにおけるその相互間における連結強度、また関係性の優劣による。
 また各個センターにおいての性能、出力差、等におけるその結果だともとれる。いえる。
 すべては十全にしてまた精巧にできてはいるのだが…いやそうなるべく育つようには
 できてはいるのだが、実際はいたくもったいない構成、またその作動になっちゃってて、
 そが上での物事の、つまりは現実の感受、また外に向けての出力になっちゃっているのさ。

 {Class

Real

としての階層が最後の試練の場。その向こう側のアヴァロンこそが…。

 どの階層にいようとも貴方は一つの神秘としてなる力を持つ。それは両刃の刃でもある。
 つまりは世界創造としての神の力だ。でも使い手のステイタスに合わせてその力の反映は
 違ってくる。エゴにのみ包まれたままなればそんな身勝手な個人風情においてともなれば、
 ことはすべて

となっての実現化と、なっていってしまう。皮肉にして恐るべくしての
 諧謔をこの世界は全体として持ってるんだ…。その力を持つものが、存在すべき地平では
 ないってことさ…。よって呪いとなって働く。これもまた導きを目的としての反映になる。
 一番最高に

クラスリアルのフィールドにおいてさへも、そこにて、人の子が、
 

のだ。その執着こそが

なのだから………。
 もしくはだ、一個の家に、二人の主ってのは、あり得ないって話しだけだったんかもね…。
 でっ!Mを

。主人公としてのアッシュしてわっ!

           Mマッシュは、彼女自身でもあったのだとも思う。
      この作品は客観芸術としてのそのレベルに、その高みにあると思う…。


      あのゴーストと呼ばれてあった小さな女の子は超越界からの闖入(ちんにゅう)者。

            Meta記号、つまりは神の存在可能性のその影。
                天使もしくは聖霊としてのもの。

           アッシュとしてのコードのその一種の


         オリジナル2001年の作品に対してこちらは2006年のもの

この作品またアヴァロンの変奏曲としてのもの。実際の実行は狡噛慎也(こうがみしんや)槙島聖護(まきしましょうご)に、つまりは男対男にて変更されてしまったはいたが

モチーフ。上二つは両作品ともにアヴァロンにインスパイアーされての作品だったのは間違いないと思う。無自覚に無意識にてでね。

追加:
この神話が最初に登場したのはこの作品によってになるんだろな〜……








永井豪による1974年公開作品「真夜中の戦士」。あいだ欠けているが、戦争状態において仲間は主人公以外みんな殺されてしまう。それもあくまでも無意味にして残酷無惨極まりない形にて。相手方もおんなじ。彼一人だけが生き残る展開……。すべてを設え、整えてたのは、なんとオリジナルとしての自分でしたーってのがこのお話しの落ち。そんで怒りを覚えたコピーとしての主人公は、このオリジナルを殺してしまいましたとさっと。ここでのロボットは実は人間としてのものでしかない。マインドにおいて、そのプログラム、プロトコルに従ったままにて、生きている人間のことでしかない。だから、立派な殺人が、本物語においては行われてしまってるー。

「自分がこの自分としての意識を獲得した時、自分はなんと戦場の真っ只中にいました。」

                   そんで

「悲劇としてのこの状況、これの原因を作り出していたのは、この自分こそであった。」

      この二点の括りはだけは実は正解なのだ。現実の実際において……。

     ただ、この結末へと至るまでのその筋道、この物語がまったくダメ!。

 両者ともに自分なのでその

殺すことは出来ない。また同じく自殺もできない。

      これこそが鉄壁にして絶対のルール。このゲームにおいてでは……

   マインドにおける、その内容が、不在なることを心底悟る、理解するにしかない。

その事実をもって、人格においての縛り、エゴとしての不在なる自分を捨てる、殺す、死ぬ。

      もしそれができたなら、もはやあなたにとって、戦場はなくなる。

           そんなもん元からどこにもなかったのだ…

     夢も希望も名誉も金も、欲しい物、執着したくしてのそのすべてが……

自分だけを愛してくれる人さえも、いない、おれない、存在しなく、できなく、なる〜……

 指針は己がこころが教えてくれる。あとは、行為のそのあとに、理屈がついてくるまで。

      自分でも何をやっているのか分からいであろうが、それでいい……。」



        最後にこの二枚の絵をここに置くことのその訳は説明しない。

結局は一つの神話が現代において形成されてしまっているのだ。間違った偽りとしての神を、それとしての全能者を、

と。これの正体は、実は、この世界に生まれ落ちた、堕ちた、落とされてしまった、かっては神の子としてあった存在なんだけどね…。すべて分からんようになってしまってて、どうしてか、尽くが全く自分の思い通りには行かないもんなんで、そんで絶望してしまってるんだ…。恨んでる、怒りを燃やしつづけている場合もあるにはある。でもなんとか勇気を振り絞って、脱出の為の、そのことにおける努力、また奮闘を涙ぐましい程までにもした結果、その果に、なんと、すべての災禍を作り出していたのが、実はこの自分自身であったってことを発見、理解するんだ…。なだばだ、この偽りとしての神を、エゴのとしての自分を、この自分の手によって、もってで、葬り去ることにおいてでしか、その脱出の道は、その可能性は、ないってことになるんだな〜……。

*聖書においてともなれば、「あなたはこの世においてともなれば、社会に対しては、
 もう死んだものだと思いなさい」がガイドとしてあるね。(キリストに倣いてだったか‥)
*ことを

…これらには別段問題はないと思う。
 むしろ当然の話し、反応だろさ…。
*でも問題は、その怒りの対象としてのものを、貴方自身が、どうにかしなきゃならないって
 思うことにこそある。問題は、ことの成立ちを、その経緯を理解してないことにこそある。

の話しを思い出して。表としてのものを、強制的にそれのみにおいてで変える
 ってのは無茶な話しなんだ。析出って現象の前には

サチュレーションを迎えてる。
 そうなっていてこその、それらあれらの出現、また顕現なんだ。
*表としてのそれらは最早どうにもなんない。もうどうにもならない、もうどううしようも
 ないってことに、心を砕いて、それらの変革においてで、必死こいてでしてもってで、
 そして、その挙句に、その結果において、患ってしまう、病んでしまっているってことで
 あるならば、その行為の努力の一切が、すべてが、ある意味、無駄無意味ナンセンス…
 であったって〜ことになる。
*でも世界を理解するといったプロセスにおいては、これもまた必須なる行動ではあるな…。

追記:この自分は、六十年代のことを良き時代であったと、そしてそのことの成果として結ばれてあったのが七十年代だったと捉えている。そんで、その七十年代に青春を過ごせたことは幸せだったと…。でもさ、それらにおいても、先行する五十年代や四十年代ってのがあったればこそのわけで、それら先行する時代としての内容は実情は、現実は、それはそれは酷いものでもあったわけさ。一事一時のみを取り上げて、良いだの悪いだの、正しいだの間違ってるだの、幸せな時代だ不幸な時代だったってことは一概には、所詮は言えないんだ。過去未来のそのすべてが

あってこそのその

局面でしぃ〜かぁ〜なぁ〜いっと……。

Attend to yourself, set yourself right --
mentally and emotionally. The physical will follow automatically.

まずは!貴方自身の、自分自身の面倒を、しっかりと見てあげてなさい。

自己を、正しくしてのものとして、健全なるものとしてあるよう、あり得るよう。

意識レベルにおいて、また感情のその状態においても。

物理的、物資的なる構成部分は、(つまりは肉体身体は)
それらの状態において、基づいて、従って、自動的に、副次的にて、
整ってあるものなのだから…。(あるに

のだから…。)

You talk so much of reforms: economic, social, political.
Leave alone the reforms and mind the reformer.
What kind of world can a man create who is stupid, greedy, heartless?

あなたは改革しなきゃならない事柄において、ついてを、多く語る:

  経済システムとしてのものの、そのあり方において!
  社会としてのそのもののあり方、構造、体制!
  政治たるものの、そのやり方において!

そんな改革革新なんてもんは、うっちゃって、放って、おきなさい。
貴方達を扇動してある、自らを改革者だと名乗ってある者たちの、
その声に、踊らされぬよう。感化されないように。

愚か者、バカ、強欲なるもの、虚栄心の権化、
心なき者の、その限りのものとしてあるならば、
こういった者たちによって作られたるの世界ともなれば、
それは、いったいどのようなものになり得ると、いうのだろうか?!。

*大部は愚かであるのが現実で、そこに僅かばかりほんの少し彼らより利口なだけの人間が、
 口を挟んでくるんじゃないってことで、この話しは締めくくってもいいだけどね…。
 マハラジはそんなことはせずに、この質問者たる彼が、現実に働きかけることができる
 その対象ってやつを、明確にしてくれる。その行為には確かな意味があるんだよって。


Q:
If we have to wait for a change of heart, we shall have to wait indefinitely.
Yours is a counsel of perfection, which is also a counsel of despair.
When all are perfect, the world will be perfect. What useless truism!

もし私達が、人類のすべてにおける、そのハートの変化を変革を、
待たねばならないのだとしたら…、それは、いつ果てることなくしての、
もはや永劫としての時間を、前提にしなければならなくなります。

貴方のおっしゃることは、それは、人として、完璧完全なる者らに向けての話しです。
それはまた、私達の様な不完全な者らに向けてともなれば、絶望を抱かせる話でしかない。
人類その皆が、全員が完璧であるとき、世界もまた完全完璧なものとしてあるのだと…。

なんて公理たるものは、役に立たないものであることか!。

M:
I did not say it. I only said:

そんなことを私は言った覚えはない。わたしが言ったのは、:

You cannot change the world before changing yourself.
I did not say -- before changing everybody.
It is neither necessary, nor possible to change others.
But if you can change yourself you will find that no other change is needed.
To change the picture you merely change the film,
you do not attack the cinema screen!

あなたは自身を変えることなくして、その前に、世界を変えるなんてことは、
出来はしないんだってことを言いたかったまでだ。
皆を変えずして、世界を変えるこはできない、などとは言ってない…。

自分以外の他の誰かを、他の人々を、
貴方の身近にいるその誰かそれかを、
変えるってことは、必要でもなければ、
そもそもからして、そんなことが、出来るわけがないのだ……。

しかしだ、もし貴方が、貴方自身を変えることができたなら、
そもそもの初めから、他の誰かを、変えるなんてことは、
全く必要ではないってことが分かるであろう。

ことを映画館における話とするならば:

貴方が、もし、その上映中の映画が気に入らない、気に食わないのであれば、
映写されている

、変えればいいだけの話しではないか…。

投影されてあるだけの、

絶対にない!。

Q:
How can you be so sure of yourself?
How do you know that what you say is true?

貴方は、どうして、そんなにまでも、
ご自身においての考えに、確信が、持たれてあるのでしょうか?。
自分が語っていることが、真実であると、どうして分かるのですか?


M:
It is not of myself that I am sure, I am sure of you.

(今のこの時点において)私にとって確かなることは、私自身のことではない。
私にとって、(確実に正しいもの/こととして)、確信が持たれていあるのは、
貴方についての/おいてのことになる…。

☆(ここの物言いは非常に興味深い部分になる。前段との関連性においても…。)

All you need is to stop searching outside what can be found only within.
Set your vision right before you operate.
You are suffering from acute misapprehension.
Clarify your mind, purify your heart, sanctify your life --
this is the quickest way to a change of your world.

貴方が

、貴方自身の、その内においてで

ものを、

で、貴方の外部/周辺にて、それらを探すことを止めるだけだ。
もう、それだけの話しでしかないのだ。

貴方が行かんとするその方向を、その前方を、正しく見れてないといけない。

貴方にとっての、その苦しみたるものは、深刻な誤解の元に、起こってきてるものになる。

        貴方の意識を、より明晰なるものへと、
        貴方のハートを、より清くしてのされての状態へ、
        貴方の生き方を、聖化されたるのその自覚においてで変える。

        自分の魂が希求してあるその願いを周りに人々においてで叶えてあげる。
        自分においての充足は、世界に託したまんまにして、切り捨ててしまう。
        もう忘れてしまいなさい。何故ならば、あなたは……。(天村)

この指針に従うことこそが、貴方が生きているその世界を変えるにおいての最短の道になる。

Q:
So many saints and mystics lived and died.
They did not change my world.

多くの聖人たちが

この世に存在し、また多くの神秘としてのその世界に到達し得た人々
もまた、

この世にて生きていた…、そして、彼らとしての教えを残して死んでいった
ことを私は分ってます。ですが!私達が生きてあるこの世界には、何の変化も変革も、
起きても、起こっても、いないじゃ、ありませんかーーっ!。

M:
How could they?
Your world is not theirs, nor is their yours.

そんなことが、いったい、どうして彼らに、出来る、出来たというのだろうか?。

貴方にとっての、生きてあるこの世界は、彼らにとってのものではない…。
また、彼らが生きてあるその世界は、貴方にとってのものではないではないか…。

Q:
Surely there is a factual world common to all.

ですが…、実際は、誰も彼もにとっての、

プラットフォームとしての現実が、
確実に、世界としては、存在して、あるではないですか!。

M:
The world of things, of energy and matter?

有形なるものにおいての世界、エネルギー、そして物質性としての、
それらにおいて我々が制限されてある世界のことを言っているのかね?

Even if there were such a common world of things and forces,
it is not the world in which we live.

それ、それらにおいての、物質性と力場において支配されてある、
その世界が、共通のものであったとしてもだ、
それは、我々人類が生きている世界だとは言えない‥呼べないものだ…。

Ours is a world of feelings and ideas, of attractions and repulsions,
of scales of values, of motives and incentives, a mental world altogether.

我々にとっての、世界と呼ぶべきものは、フィーリング(感覚)や感情における好き嫌い、反発等からくる思いや想念、思考として編まれたるもの、価値としての判断をするにおいてのその基準や目盛り、行動をもたらす、それを果たすにおいてのその動機、動意、衝動…。そして何よりもそれらすべてが果たされたことの結果として受け取る報酬のこと、それにおいての目算/目論見。心の内における、これらすべての内容が、繰り広げられているその場こそが私達にとっての生きてある世界になる。

*外部とのリンクが張られているっと。相互作用が営まれているんだ、あるんだっと。
*でも終局、問題となってくるのは自身としての納得、ことの反映の受け取り方だっと。
*簡単なモデルでは人は外の世界に積極的に果敢にて関わりを持ってなけれならない。
 持たなければならないんだ。その運びに対して世界は反映を確実に返してくれる。
*その結果が気に入らなかったならなにかやり方が、ことの最初の動機が間違ってたんだろ。
*バカでないならば、それとしてのものに拘泥してないのなら、そのおかしげなところを、
 改めてゆくまでのこと。ことの成果は、

結ばせてあらねばならないっと。

Biologically we need very little, our problems are of a different order.

生物学上、我々の肉体にとって、必要なものは、ほんの僅かばかりでしかない。
我々にとっての問題となってきているものは、またそれは違った序列におけるものになる。

Problems created by desires and fears and wrong ideas can be solved
only on the level of the mind.

問題は、欲望、願望、執着、欲しがり、強欲、欲張り…、そしてあらゆる未だ在らぬこと、
至らぬこと、さらには絶対に有り得ざることにおいての、恐怖、妄想、杞憂、心配、深慮…
それらの思いによって、引き起こされているのだ。

この問題を解くにおいてともなれば、
ただ、当事者におけるそのマインドを、


上げるにしかない……。


*意訳がひどいんだけど、まっ当たらずとも遠からずっとって事でご容赦してもらって、
 マインドのレベルってやつにおいても、

、説明しとく。

、それのレベルが高いだの低いだのが言えるのか?。
*極論的には「気づき」としてのその明敏性、感度にあるとしておこう。これは自分のこと
 だけじゃなくって、全景においてのことになる。周りのすべての人のことに関して。
*その取り込んだ情報の処理は、これまでに自己が経てきた経験においてその理解において
 となるのは間違いない。結局自分が自分においてどれでか理解しているのかが大事になる。
*実行力たるものも完璧に俎上に上がってきてしまう。自己において動けなかったものが、
 他人の為においてで動けるわけがないではないか…。
*基本人は、人のその心、マインドは、習慣としての癖それの塊、その束でしかない。
 個人のすべての思いや思考は、それらにおいて自動的にで組みあがってるまで。
 それらのにおいての関わる記憶に基づいて、編まれてしまってる。
*それらによる、それらにおける行動やら発言は、だから機械的なものだとも言える。
 それとしてのもに、なっちゃっているんだ。何故か?。性急に、気忙しく、ことを
 片付けることも、また習慣になってしまうので。なってしまってるので。社会人に
 なったればこそのことなんかも知れない。
*だから、無意識的なる作動まったくもって無自覚なる行動だったってこともしばしばある。
 また心中において、やりたい、やらねばって思ったことが、不思議なほどできない…。
 口も開かなければ、手も足も動かない。一歩がどうしても出せない…出ない…。
*勝手に、もう自動的に、どうしたもんなんか自分は怒ってる、怒ってしまってる‥とかね。
 ヤフーニュースのお題目なんか見てるとどうしても怒りばかりになってしまってるとかね。
 本件における特別追加:
 あそこみれば分かること。日本国そのものを、つまりは日本民族そのものを、毀損する、
 駄目にするべくしてのオペレーションが行われている。ずっと長くに渡って。あからさま
 なる侵略が進行してってる。あそこにあるのは、その精神攻撃を目的としてのものばかり。
 それとしてのものばかり。そのことには異常に執念を燃やし続けてる。ではその主体たる
 ものの正体はなんだ?!。誰だ?。そしてその真の動機は、その目的は?。
 極論から云えば、それは人間を超えてある存在だ。了
*同一化しまくりてばかりではしんどいので、少〜し距離を置けるよう努力をする。
*習慣として、情報に対しての反応ってのは急速にして激越なるものとしてもありうる。
 それらに染ま切らないよう、注意を絶えずしておく。そうしてしまう、そうなってしまう
 ってことを、暇つぶしの材料にしないように‥。完全に即座に

、次へゆくっと。
*本質的にはどうでもいいこと、我に直接関せぬことなれば、我においてともなれば、もう
 どうしようもない、どうにもできないことは、放っておくっと。たとえ、その気がかり
 なるもの、ことが、身内であったとしてもだ。
*絶えず、いつも、その思念を

いないように……。
*無念無想にて、されど目覚めてある状態を、絶えず日常において噛ませてあるように……。

補記:たぶん数秒としてこの状態においてでは保たないであろうから少しアドバイスを…。
   ただ在るってことにだけに、

。十全にその空間にていればいい。
   多分、外界に関しての

明敏にして明晰になってる、なってしまってる。
   あらゆるすべてのことの

分って、

…。
   そんでそんでもってで、呼び出しコールとしての変化ってのも、また察知されてまう。
   貴方以外には誰も存在し得ないので孤独。ならばだ、私としての意識も無くしてしま
   わなければ平静では確実におられないっと……。
   
You must conquer your own mind and for this you must go beyond it.

貴方は、自身のマインドとしてのものを、

あらねばならないのだ。
そして、それに対しては、上位なるもの、神としてのものとして、あらねばならない。

*ちょっと大げさに訳した。
 Conquer ってのが難儀なのだ。基本、癖の方が圧倒的に貴方に対しては強いはずだから。 
 これも小さな努力のその積み重ねをもってでしかできない。とりあえず怒ることの一切から
 手を引くことをお勧めしておく。また、なにか飢餓をもって飛びつきやすくなっている行動
 があれば、その前には、一歩引いて、じっくりと、ときたるものを、あえて置いてみる。
*力づくばかりにならないで、会話も説得も、しっかり試みる。
 不思議なのは、その思いたるものをしっかり意識して、これの思いを私は手放しますって、
 思うだけで、それの効力/干渉は消え失せる、消え失せてしまってるってこともあるんだ。

Q:
What does it mean to go beyond the mind.

」とは、どういった意味なのでしょうか?

M:
You have gone beyond the body, haven't you?
貴方は、自身の体たるものにおいてともなれば、既に超越した存在である。違うかね?。

You do not closely follow your digestion, circulation or elimination.
貴方は、自身の体内におけるその消化吸収のプロセスを、操作する必要はないであろう。
血の巡りであったり、不要物の排除としてのその工程においても…。

These have become automatic.
これらのことは自動にて行われている。

In the same way the mind should work automatically, without calling for attention.
同じようにして、マインドとしてのものも、その機能も、

働くもの、働かせてあるものとして、あらせることができる。如何な注意をも

引かせることもなく…。

*十全に果たされてある機能にて、為すべきを完璧に果たしてくれているので、


 ことのすべてを、任せておける。最早、気にしないでおられる。

This will not happen unless the mind works faultlessly.
このことは、マインドが、過つことなく、機能してないその限りにおいては、起こらない。

We are, most of our time mind and body-conscious, because they constantly call for help.
我々は、大概、いっつも、心において、また身体のなんらかの不調等においてで、
こととの関わりが切れない、終わらないままなのだ。

何故ならば、それらは、絶えることなく、いつも

求めている状態に、
なってしまっているからだ。

Pain and suffering are only the body and the mind screaming for attention.
痛みであったり苦しみというものはだ、ただ単に、こころと身体が、

、注意を、意識を、引くべくして、
悲鳴をあげているってことにしか当たらない。

To go beyond the body you must be healthy:
肉体に支配されず、それに対して、超越してあれたなら、
貴方は確実に健康体としてあれる。

To go beyond the mind, you must have your mind in perfect order.
こころにおけるその思考思念に惑わされず、巻き込まれず、
それらに対しての制御としての力をもって、これを超越できたならば、
貴方のこころは、完璧なる秩序の元に、ただ機能してあるだけのものとなる。
それとしてのものになるのは確実なのだ…。

You cannot leave a mess behind and go beyond.

だがだ…貴方は、

としてのその思考、それとしてのパターン、偏向、癖、おぞましきものでしかないものにおいての向かっての嗜好、偏愛、執着。他人らを見るにおいての不公平さ、不親切さ、恥知らず千万なること。真実に対しての不誠実の限りなること、混沌汚穢としてのそれら全部の一切を、全て、徹底的に、完璧をもって、片付けなければならない。でっないと、超越することなどが、適うわけが、出来るわけがないのだから……。


             ちょっとここで脱線、

     Re: 矢吹駆の告白、その彼によるリモースをもってしての独白。

   想像しうる限りの悪、それはなんだろうか?。いや悪といえば未だ逃げ場がある。
   二元論の悪には、ミルトン以来、どこあしら高貴な反抗者という面影があるのだから。
   日本語では《悪だ》というよりも《汚い》というところころだ。
   それも「小汚(こぎたな)」あるいは「薄汚(うすぎた)ない」と強調したほうがいい。
   ロシア語では、「陋劣(ろうれつ)だ」「卑怯(ひきょう)だ」ということになるらしいが…
   父親殺しの悪よりも、捨て去った婚約者から金を盗むことの方が、
   ロシア人らにとっては、よほど耐え難い、卑劣なる行為になるなのだから…。

   (ナディア)「あなたはいったい何を言いたいの?

   考えうる限りでもっとも

這い回る


   ……

、ボクの

姿

!。正体なのだよ……。  
          (「サマーアポカリプス」より抜粋。ちょい改稿せり)

再開:

The mess will bog you up.

こころの内における無数の無知そしてまた混乱。それらをもってしての混沌、その有様は、
貴方をやがてにおいては、ドツボたるものに、嵌まらせることになるのは確実なることだ。
そして、その状態からは、もう絶対に逃れられないようにしてしまうであろう。

'Pick up your rubbish' seems to be the universal law.
And a just law too.

「自分が出したゴミは、自分が、自分にて、自分で、拾って片付けなさい。」

これは確かに普遍的にしてなる規範である。

貴方が心の内に溜め込んだ、溜め込んでいる、いらないもの、本質的ではないもの、この自分とは本質的に全く関わりのないものへの関心興味、がらくた、ゴミ、クズとしての知識情報知見、それとしてのものでしかない記憶情動思い感情、それらのすべてを、それらとしての一切を、自分の人生から、取り去り、捨て去ってしまいなさい。これは、他の誰も、やってくれないこと、やれないことなのだ。

そして、これは、人として守るべくしての戒律としてのものでもある……。

Q:
Am I permitted to ask you how did you go beyond the mind?

もし、よろしければ、
貴方がどうやって、如何に心としての、それにおいての自分たるものを、
越えていかれたのかを、超えることが出来たのかを、
お尋ねしてもかまいませんでしょうか?

介入:
   ここまでの、これまでの言葉のやりとりにおいて、それによってで、
   この場としての空間と、またそこにある時間そのものにおいて、
   質問者は、なにか違和なるを、特別なるものであることを、

取っていた。
   共に、ここにて、親和してあったことによって、ある事実を、直截にて、理解してる。
     「この人は本当にマインドとしてのものを超越してある方なのだ!」と…。

M: By the grace of my Guru.

我が師で在った方の、その寵愛(ちょうあい)を、受けるをもってしてだ。

Q: What shape his grace took?

その寵愛(ちょうあい)たるものとは、
いったい、どういった形のものだったのでしょうか?

M: He told me what is true.

彼は、私に、何が真実であるのかを教えてくれた、伝えてくれたまで。

Q: What did he tell you?

その方は、なんと、あなたに話されたのですか?。

M: He told me I am the Supreme Reality.

彼は私にこう言ったのだ。「貴方は至高の現実なのだ」よと。

Q: What did you do about it?

そのことにおいて、貴方は何をされたのでしょうか?

M: I trusted him and remembered it.

私は、彼のその言葉を信じて、これを

のだ…。

Q: Is that all?

それですべて、全部なんですか?!

M:
Yes, I remembered him; I remembered what he said.

そうだ、それだけだ。
私は、彼のことを憶えていた。
彼の言ったことを”しっかりと”憶えていたのだ。

Q: You mean to say that this was enough?

つまりは、これだけのことで、もう充分であったのだと?!

M:
What more needs be done?

これ以外に、なにが必要なることで、あることか?!。(これは嘆息をもってのセリフ)

It was quite a lot to remember the Guru and his words.

私は実に多くを、我が師のことを、憶えていた。
そして、彼の言った言葉を、だ……。


介入:

どうもこの辺からことの事実を実際を知ってる人、分っている人と、そのことの事実の確認が未だ未体験な人、知らない人、よって分ってない人とのやり取りになってしまってる。言葉のその

あるその意味が、真実が、既に、経験において、あるのか、ないのか…。

マハラジが覚えているのは、その師とされての存在が、かって持っていたその印象になる。
その彼が放ってあった

にあって、

、マハラジが覚えたその印象のことなのだ。これは味わいとしての、直接的であり、リアルとしての、その限りとしての体験だった!。

それがあってこそ、至高の存在だの、マインドを超えて在るってのが、如実に、直截的にて、当事者らにあってはダイレクトもて、確信され、察知されて、覚えられてしまってた。よって、これこそがあったればこそ、彼が語ったその言葉にも、なんらか意味が内容が、しっかり添えられてきてたんだ。

ある種の体験は、それが稀であるが為に、生涯忘れ難くしてのものになる。
またそれを根拠として、その師の言葉もまた、忘れることがもう絶対にできなことととして、
自覚されてしまっているのだ。:終わり…否!、終われんて……

こっからは急所にして最も大事なるところ!

人において神聖なることを覚える、感じてしまってるってのは滅多にないことだろう。
その、それとしての人が、人間が、現実に自分の目の前にいて、
貴方も、私と同じくして、神聖なる存在なのだよっと、それとしてあるのだよっと、
これが真実なんだって語ってくれていた、あったまで。

これが体験としての以降の修行のスターターとなったものであり、
また究極のゴールとしてのそのもの、それの提示ともなっていた訳だ。

ことの最も重要なることは、では、その異常なることに、特異なることに、未知としての未体験なることに、

、さて、誰であったのか?

ってことになるんだ。

それは確実に、日常における、常日頃におけるその平々凡々とした自分ではあるまいて……。

特異なることに、例外的なることに、格別、別格なることに、驚嘆をもってした迎え入れずにはいられないとしての、その思いを抱かせた、そこにあるその何かを感じ取っていた、そして”ハッ”としていたその自分とは、

だ。

気づいてくれていたからこそ、(あと)は、(のち)に、波及的なるをもって、自分の中の一切は、それについて、それにおいてで、のめり込んで行ってしまったのではないのか?!。興奮も感動も驚嘆も、二次的なる出来事にすぎない。そのことの次点の展開でしかな〜いーー!。最初に〜

ものいた!。それが契機であった。それをもってして、

起こって、行ったのだ。

そのとき、どうしたものなのか、貴方は、偶然に、自然をもって、目覚めてあったのだよ。
そのことの自覚は、まったく、ないだろうがね…。

だが、なんにおいてもそうなんだろうが、いざ月日を、ことの後に、重ねたならば、すべては朧なるがままに、なってゆ〜く〜…。全て忘れ去られていってしまうようになる…。

なんだよな〜その個人にとっての、本当に大切な仕事、そのあるべくしての努力たるものが必要になってくるのは、課題となるのは…。

忘れるようなこととなっては絶対にいけない。絶対に

!。このことにはどうしても覚悟が、その自覚が、認識がいる。強固なる意思をもって、このことを、決して、絶対に、忘れない、忘れてはいけないんだってことを、自分に言い聞かせてあらねばならない。
この思いこそが鍵。

この想起をもってしの

をもって、それとしての事態を構えた、

が想起/連想されてくる。その瞬間に、もし、真の当事者としてのプルシャが存在してたなら、それをも含めて、すべてが、もう一度、俎上に上がってくることともなる。(だからこそ、もう延々と、尽きること終わることなく、確執と葛藤におけるその地獄としてのものに、日常がなってしまうのは…。眠りとしての、旧来としてのその日常に再び傾いてしまうのか、それとも目覚めとしてあるその状態を取り戻すべく、恒常化させるべく戦う、努力してあるのか。)

それはか細き限りのリンクでしかないのだが、それしか、もう手がかりはないんだ。だから〜、マハラジが、憶えていたって言ったならば、それはもうたいへんな努力をもってしての、その行為、まさに苦闘としてのものであり、また死闘としてのものでもあったんだ。このことは間違いないんだ…。

ことの全ての始まり、ことの架け橋、その事態の

となってくれていたのは、彼マハラジが師として拝めるその人間の”愛”だった。それもまた奇跡的なる愛であったのだってことが言える。その場にて発せられる言葉やなんやらのことではなくって、まさに臨在そのもによってで、知れてしまう、覚えられてしまうものの(たぐい)であった…。真実の愛。それそのものとしての丸ごと。だからこそ「寵愛」って言葉を、”Grace”を、彼は使ってあったのだ。もし自分ならば、親しみのその限りをもってしての、この自分への優しくしてのその思いやり、愛の発露のそのままにであったが故にって、するけどね……。:ほんまの終わり


再開:

My advice to you is even less difficult than this -- just remember yourself.

私からの貴方へのアドヴァイスを、最小限にてするならば、
「あなたは、貴方自身を、覚えて/憶えて/思い出していなさい」。
絶えず、いつも、どんな状況にてあるときも、いるときもー!。

'I am', is enough to heal your mind and take you beyond.

「私は、今ここに、私そのもの、その完璧なる総体として、在る

このことを偽りなくして、貴方の全身全部をもっての実感として、
いつも、絶えず、感じ、確認できたなら、もうそれだけで充分なのだ…。

こうして、これとしてあることは、貴方のこころを、完全に癒す、完璧に修復する。
それが本来あるべくしての、その姿/状態へと、回復させることとなる。
そして、それを超えて在ることさへも、貴方は、(やがてには)できるようなるのだ。

Just have some trust.

貴方において、必要となるのは、”信頼”だけだ。

I don't mislead you. Why should l?

私は貴方を間違った道へと誘い込むようなことはしない。
そんなことがどうして必要であることか!。

Do I want anything from you.

私は、貴方からは、なんにも、求めてはいないではないか?

I wish you well -- such is my nature.

私は貴方が十善であってほしいと願う。
こうとして、あることこそが、私としての、あるがままなのだ。

Why should I mislead you?

斯様なる私が、どうして貴方を、誤らせるようなことをするだろうか?。

Commonsense too will tell you that to fulfil a desire you must keep your mind on it.

世間一般において語られてある成功の為のその秘訣においても、
自分が願う、その願望を、満たしたいのであれば、
絶えずその願いたるものを、こころに留めおいていなさいとしてのものがある。

If you want to know your true nature, you must have yourself in mind all the time,
until the secret of your being stands revealed.

もし貴方が、自分自身たるものの、その真実の姿を、知りたいと、それとして、ただ在りたいと願うのであれば、貴方は絶えず自分自身をこころにおいて保ち続けていなければならない。

(確認し続けて、意識し続けて、それが適うフォーメーションを結び続けて、保ち続けて、それとしての状態を当たり前としてのものへと、そこにくつろいでいれるあれるよう自分を習慣づけるべくして努力して、し続けてあらねばならない…。)

それも…、この行為、その努力は、貴方としての存在が、その正体がなんであるのかの、
その秘密が、それ自らによって打ち明けられる、そのすべてが、自明となる、成り果てる
それとしての状況に至るまでだ……。

*(長いか短いかは誰にも分からない。人それぞれ。前世からの持ち越し分による。らしい)

Q: Why should self-remembrance bring one to self-realisation?

   自己想起としてのこの事態は、
       どうして、その個人の実現化を、
           引き起こす、もたらすものなのですか?。

M:
Because they are but two aspects of the same state.
Selfremembrance is in the mind, self-realisation is beyond the mind.
The image in the mirror is of the face beyond the mirror.

それがどうしてなのかと言えば…、
それら二つは、基本、

における、その二つの側面に過ぎないからだ。
自己想起はマインド内における、そこにおいての結実/現象、
実現化、(真に)現実化、実体化されたる自己たるものは、マインドを超えてあるもの…。

 鏡たるものにおいて、
   その中にて、そこに写ってある自分の、その顔は、
     その鏡たるものを完璧に超えた、超えてある、何か別の、何者かの

なのだ……。

*これもまたあれだは…表象と、それとしての、おいての実体そのものの話だわ……。
*基本、どうしたものなのか、この実体は外部からは探りを入れられない。測り難い。
 それとしてのものとしてあり得ないその限りにおいては、ただの与太話…。
*連結連動されてるので、一つでも欠ければすべてが

。不成立。
*基本、見てる、気づいてる、観察しているっていうのが、とりあえずの枢要、核、要。
*これには善悪という判断は、その観念は、ない。そんなもん在るはずがないんだ…。
 そんなもん元から端からとっくに超えている。

できる、
 それとしての機能を担ってあるまで。(たぶんね〜これは神の末端としての存在だわ…)

Q: Fair enough. But what is the purpose?

分かりました。
では、その状態へと至ることの、その目的とは、いったいなんなんでしょうか?

M: To help others, one must be beyond the need of help.

他の人々を助ける為に(のみ)だ。
その彼たるものにおいてともなれば、その必要性を超えた存在でなけらばならない……。

*だからマハラジはこうやって訪問者らの質問に答え続けている訳さ…。


*目の前にての実践実行をもって自らが語ってあるその内容を証明してってるって訳…。

*自己想起をもって、またプルシャとしての臨在を果たしてあるならば、この彼はもう普通
 一般の世間との関係は切れてしまってるわ。自然とそうなってしまってる。

*この彼たる存在や、それに

存在等が、もし、何らかの電波の受信によって、
 自然からの、自然によるコールにてで、主体的に、主導的にてで動き出したならば、 
 周りは、彼のその思惑動機たるものにその構想目的たるものに気づくことはまずできない。
 その当事者たる彼自身にももしかしたら皆目ことの見当はついていなのかも知れないが!。

*この一事は、底知れぬ、計り知れない、そしてまた、終生終わること、果てることのない
 孤独としての事態を、この個人にもたらす。この彼は神の寵愛をもってしてでしかその内
 にあることを、ひしひしと味わう、噛みしめてある、そうしていないともはや生きてある
 ことなどができるはずが、なくなってしまうのだ。

*マハラジとしてのその感慨はまた特別で、宇宙樹そのものとの自身の自覚らしい。
 神々としてのそれらすべても、彼自身のその大樹におけるこ根っこのようなものとして、
 自己の一部としての理解が、その達観、整理が、自然と為されてしまっているようだ…。
 
 

Q: All I want is to be happy.

私としての願いは、

幸せに、なりたいだけなんです……。



      これは天村です


M: Be happy to make happy.

幸せである/いる/在れることこそが、幸せなのだ。

Q: Let others take care of themselves.

でしたらば、他者らにおいては、関しては、彼ら自身にて、
その面倒を見させておきましょう…。

*この質問者は割と頭の切り替えが、こころの思いの割り切りが切り捨てが「早いね〜」。
 過剰なる行き過ぎとしての関与か、無関心、無関与としての放擲かのどちらかってか?。
*ことの成り行きは自然に決まってくるんだって。簡単に二分割なんてもんが、
 自己の立ち位置においてで、その選択が、できるわけがないんだ。
*そのときその状況に、適宜にて、最適なるをもって、
 応えてある、あれるまでなんだって……。
*一切に関して無関与、無関心、切り捨てとしてのその思いともなれば、
 その貴方は、無責任、場外としてのその存在になる。つまりは、(いち)ハスナムだ…。

M:
Sir, you are not separate.
The happiness you cannot share is spurious.
Only the shareable is truly desirable.

貴方は(世界から)分離、独立、孤高しての、されての存在などではまったくないんだ…。

幸せなれば、それは、本物の幸せなんかではない。
誰もが共有できる、できてこその、
そういった幸せ

、真に求められるべくしての、
目指されるべくしてのものになる…。


*誰か他者との間における分かち合いが為されてる、起こってる。
 交歓として状況がその事態が発生してしまってる。
 これこそが、幸せってものの指標。
 例えば宝くじが当たってとんでもないお金が自分の手に入った。幸せ〜!。
 でもそのままじゃ、可能性のまま、それの退蔵死蔵でしかない。
 いろんな高価なものを自分のものとするべく買いました〜。幸せ〜!
 でもそのことの満足もまた、あまり長くには続かないっと。
*では、恵まれない人達に何かを寄贈するってのはどうだ?。
 これになりたればだ、どうも、なにやら幸せとしてのその実感が薄い、頼りない。
*所詮、モノやらお金は、副次的なる要素でしかなく、ことの核心たるものはまた別。
 まったくの別物!。

*簡単なフォーミュラ:

  幸せであれば、それとしてありたれば、あなたは何かを放射する、してしまっている。
  静かにそのままにていてもいいし、何かの行動活動へと向かってしまうやも知れない。
  起点としての出来事、その内容は、一切、正体不明であるってのが


  それは貴方自身の深奥に眠るもののみが成し得る、上位界としてのその本質との
  同調接触、そのことによる、そのことにおける、贈与と呼ぶべくしての、
  その事態でしかないのだから…。

  とうにもかくにも、幸せをであると感じつつ、それたるのを覚えつつ、
  貴方は何かを放射してしまってるのだ、自然と放散してしまってあるのだ。

  なにがどうなってのことだったのかは真実は分からんて、皆目見当もつかないが、
  貴方としての、その深奥なるものが、賦活されて、されてしまってて、
  その本性を表しにかかってきてる…。その真実なる求めのままに、願いのままにもてで、
  その今のあり方を、その行動を、

、取捨選択してあるまで。
 (ことはあくまで自然なるのままだって、天真爛漫としてのその姿でしかないんだって。)
 
  

、この正体不明なる到来物に、その波長に自らの感受性を合わせれた、
  合わせてしまった者達は、その貴方の周りに集いし他者らは、
  どうしたもんかいな、どうも自分は楽しいぞと…関わることにおいての手応え、
  生における充実感たるものを取り戻してしまってる。原因不明の悦びにて、
  自分が今あること、なってしまっていることに、ただビックリしてしまってる…。
  とりあえずは、貴方のその参加を、その介在を、好んであるようにはなる。

  真に理解深くにてある人ならばだ、自分は今、真実としての愛に、
  触れて染まって同調してしまってるんだってことに、気づけるんだけどね〜。


追記:その当人おいての悦びたるものもまた一律ではない。山の天候みたいなものさ。
   またその発現が、万人にて、好まれるものでは決してない。
   当然に、気に触ってしまうって方々も、存在する。存在してる。
   要はだ、死ぬまで試行錯誤をもってその出力を練っていかなくちゃならないんだ。


再開:


Q:
Right. But do I need a Guru?

なるほど…確かに愛たるものとは、そうしたものであってこそなのかも知れません…。

では、そうしたものの、持ち主になる為には、それとしてのものになる為に、

私には、師たるものが、導師が、導き手なるものが、
自分の側に、居てもらう、絶えず居てくださる必要が、あるのではないでしょうか?!。
(ちょっと悲鳴入りだろね)

What you tell me is simple and convincing.
I shall remember it. This does not make you my Guru.

貴方が語られたことはシンプルにして、また説得力たるものが、異常に強力にありました!。
(どうしたものなのか、「サウンドするに余りあるものとして」受け取られていた)
私は、貴方の語れたことを、決して、忘れません!。
ですが、このことが、貴方を私の導師、教師としてのものにするわけではありません。

*今回の逗留も、ホン短い一時だけのことでしかない。直に本国に戻らなければならない。
 なので、この質問者は、この時点にて、大いに絶望してしまってる。もうマハラジに、
 会えない、二度と会えなくなってしまう、その教えを、身近に、適宜にてで、聞けなく
 なってしまうので…。

M:
it is not the worship of a person that is crucial,
but the steadiness and depth of your devotion to the task.

誰かの個人を、崇拝することは、さして重要(crucial)なることではない。
しかし、揺らぐこと無くしての、そしてまた深くして(踏み込みをもってして)の、
貴方に与えられてあるその仕事への”devotion”は、Crutialなものになる…。

*献身、専心、傾倒、没頭、没入、その身を、そのこころのすべてを、捧げて在る状態。
*帰依、信仰、勤行等なにか、自分を、世界を、遥かに超えてあるその存在に向けての、
 おいての、それの目的のおける奉仕、協賛、協力としてのあり方。
*結局は、そちら側へと、その身をその存在を明け渡してしまってあること。
*同体化としてあるが、その結果なのだが、そのことは、
 実際の努力その行為の持続のみにてで保たれてあるるもんなんだっと。

Life itself is the Supreme Guru;
be attentive to its lessons and obedient to its commands.

貴方が、実際に現実に、生きてあるこの人生こそが至高のグルとしてのものなのだ。
その教えたるものに(興味深い、意味深長、奥深いものだと)魅せられてありなさい。
それが指し示してあるその命令に従ってありない。

*そこに自然と備わっている貴方への求めをどう理解するのか、できるのか?。
*また、その求めに素直に沿う、従うことが、貴方には果たしてできるのか?!
*本当のことを云うと〜、そこに貴方の選択権はないんだ…。
*分からんわけが基本ないし〜、また避けることの適わないような状況として

臨む。

When you personalise their source, you have an outer Guru;

貴方が、この(教え示唆としての)源泉を、個人性の形おいて望む、求めるならば、
貴方は、貴方の外に、それを、導師としての、誰かの臨在の形にて、持つことになる。

when you take them from life directly, the Guru is within.

貴方が、

、自らの、その人生から得るならば、
導き手としてのその存在は、貴方の内のもの、その内にて、在るもののことになる。

Remember, wonder, ponder, live with it, love it, grow into it, grow with it,
make it your own -- the word of your Guru, outer or inner.
Put in all and you will get all. I was doing it.

「覚えていなさい‥」。その不思議なることに動揺を覚えていなさい。貴方は、注意深く、しっかりと、目を覚ましていなければならない……。また、あったことにおいて、その後に、その全体像においては、熟考を行ってあらねばならない。(

、その一瞬においてのみでしか、起こり得なかったことばかり、その連続だった。よって、注意深くして、目覚めとしての状態を、保っても、いなければならない…。重要なることは、簡単には、そのことを明かさない。察知されない、し得ないもの!。意識にて捕らえることが、簡単には適わない、そんなことこそが、ばかりが、重要なるものとしてある。)

それと貴方は共にありなさい。それの中へと、それそのものとなるべく成長を遂げなさい。
それと一緒に成長することを願い、求めなさい。それを貴方自身のものとするべく…。

貴方の思う”グル”は外部としてのものなのか、内部としてのものなのかの、どちらかなのだ。

それら二つとしてのものを、一つにしてしまいなさい。
それのことができたなら、貴方は、その両方を、両者を手に入れたことになる。

私自身は、それで、やってきた……。

All my time I was giving to my Guru and to what he told me.

私は、自身が持つその


我が師に、そして、彼が私に語ったことにおいて、
捧げてきたのだ……。

*このすべての時間を捧げることがどうしてできたのか?にも考えを及ばすべきである。
*簡単に云えば、このマハラジもある時点において第二の河に移ることが適ってたのだ。
*それまでは…極貧の限りであり、家族を養うにおいてのその重責に喘いであった。


Q:
I am a writer by profession.
Can you give me some advice, for me specifically?

私の職業は、作家としてのものになります。
この職業作家としてあることにおいて、
あなたからの何か助言を、いただくことは出来ませんでしょうか?。

できましたらば、具体的なものとして…。


M:
Writing is both a talent and a skill.

執筆としてのその行為は、才能と、スキル(技量としてのもの)に基づく。

Grow in talent and develop in skill.

その与えられてある才能を活かすことにおいて、あなた自身を成長させる。
またスキルたるものにおけるその技量、テクニックの、進歩、発達、洗練において。

Desire what is worth desiring and desire it well.

求め願うにおいては、そうすることにおいて、(真に)価値あること、意義あるものを。
貴方は、願ひにおいては、それを健全なものとして持つ必要がある。
求めたるものは、その希求/願望は、「健全なるものとして!」あらねばならない。

*ここは良心たるものの尺度において、一切違わぬものってことでまとめれる。

Just like you pick your way in a crowd, passing between people,
so you find your way between events, without missing your general direction.

ことは、人がたくさん行き交ってあるその渋滞の中を、あなたが無事安全に渡ってゆくそのことに似ている。人でごった返しているその駅の構内で、そのスクランブル交差点で、うじゃうじゃと、わさわさと、人が、こんがらがったままにて行き交うその群衆の中を、貴方はどうやって自分が生きたい方向へと進んでいってるのだろうか?。

大切ななのはこのことがこの自分はちゃんと自然にもうできてしまってるってことなんだ…。

そこには基本、人としてあるべきのルールたるものはない。そんな型苦しい話しではない。すべては、そこにあること、そこに備えられている状況任せだ。全体は変動変化著しきをもって進行しってる…。なので、ことは、確実に、思考や考えをもって行うべきことなんかではないであろう…。その場、そのものにおいて、その渦中の中にて、即断即決をもってして、ゆくべき道、ゆくべき方角を、柔軟に、可変的にて、暫時、選択して、進行を、自分自身、

、行っていかねばならない…。

人と人との間を縫う…もしくは、人々の流れに押し流されてってしまう。大きくゆくべき方向からは逸れてしまってる!…ぶつかってばかりなので、もうイライラしてしまう。もうめちゃくちゃに、周りのすべての他人に、腹が立つ!。

貴方は、こうした動的なる混乱、妨害抵抗渦巻くその中を、その渦中を、それとしての状況を、貴方としてのゆくべき道、その方向を、違わぬようにして、進んでいかなっちゃならないのだ……。

It is easy, if you are earnest.

難しいことのように見えても、実は簡単なことでしかない。
もし、あなが、

、ありさえすれば……。

*群衆の中を行くは、単なるたとえ話。でも、これにおいての奥義たるものはだ、
 機敏にて、注意深く、全景としての動きに注意を払った上でのことになる。
 では、それは誰か、どこが、主としてやってた?。知性センターでは間違いなくない。
*また何をもってして、その渦中の自分は、覚醒しえてたのか?。目的への真剣度でしょう。


コラム:
Re: 群衆の中をゆく!
印象深かったのはドイツと台湾だ。ドイツにおいては(そこはフランクフルトだったのだが)その滞在のタイミングにおいては、自動車のモーターショウと重なってしまってたのだ。それもよりにもよってその会場の前の道を歩かなければならなかった。人の群れでごった返していたのだが、不思議なことに、まったくぶつからないんだ。ぶつからなかったんだ…。彼らからすれば、自分の存在は、空虚なるもの、無きに等しきものとしてあったようだ。*引っかかりが起こり得ない程までにも、そのショウに向けての関心が強かったのだと思う。新車に関しての興味において、自分としての世界内への没入を完璧に果たしてしまってたのだ。それもあらゆるすべての全員がだ!。台湾においてもことは不思議だった。動的、混沌として人が行き交う場所であっても、まったくぶつからない、引っかからない。彼らは巧みに、あくまでも気楽なモードにて移動してってた。そこがどこであろうがなかろうがともだ。ではここ日本は?。これは場所による。また年々変化してきてる。都市部、繁華街においては不躾なるマナーの人が増えてってる、きているような?。みんなこころの余裕がなくなってきてしまってる……。


Q:
So many times you mention the need of being earnest.
幾度ともなく貴方は真剣であることの必要性を語られます。

But we are not men of single will.
しかしながら、我々人間存在は、一つの意思の元に、統合されたものではありません。

We are congeries of desires and needs, instincts and promptings.
存在としての我々人類は、欲望、必要性、本能、そして反射衝動、
それらの集合体、ごった煮、寄せ集めとしてのものでしかありません。

They crawl over each other, sometimes one,
sometimes another dominating, but never for long.

それらの衝動は、お互いに、覆い重なり合っており、あるときは一つにてありながらも、
別のあるときには、まったく別のものが、強力になって、その覇権を握ってしまってる。
しかしながら、どれにおいてであったとしても、ことは長く続くことも、またありません。

M: There are no needs, desires only.

そこにて働いているのは切実な必要性なんかではなく単なる欲望としてのものでしかない…。

Q: To eat, to drink, to shelter one's body; to live?

食べること、飲むこと、自分自身の身体を守ること、生きてあることはどうでしょうか?

M: The desire to live is the one fundamental desire. All else depends on it.

生存してあろうとする欲望、これは基本的な欲望だ。
他のすべての欲望は、これに依存してあるまで。

*種々多様なる欲望は、本体としてのその幹から分かれ出た枝葉のようなものであると。
*その幹においての願望は、ただ生存としての状態を保っていたい。
 その状態においてで、在り続けたいとしての思い願望欲望渇望なのだと…。
*興味深い総括だ。
*例えば自分は音楽が好きだ。それを欠かすことはできない。音楽を聴くことは感覚的なる
 楽しみになる。慰安であるし、精神安定剤ととしての役割も持つ。でも、この感覚的なる
 認知は生存体において付随してある認識機能の一つである。命ある肉体であってこその
 その情報の受け取りなのだ。命あってこその物種。
*だから賢い人は、命を大切にして生きることを第一義なるものとして大切にしてる……。

Q: We live, because we must.

我々は生きてます。何故ならば、そうあらねばならないからです。

M: We live, because we crave sensory existence.

そのダイレクトなる確認、認知。
自らが本当に生きて実在してるってことが、
自分が真実に実在しているってことが、
如実に、あからさまなるをもって、手に取るかのようにして、
確認/認知/自覚することが可能であること。
そうした認知が適ってこそのその生存なのだ。
我々は切望なる希求を願望もって、この確認を求めるからこそ、
我々は生きるのだ。



介入:
人のその人生における究極の課題は、感覚に基づくそのすべての執着愛着から離れることにある。感覚器を通して我々は世界を認知している。そこに好悪の好き嫌いの判断をもって自己としてのその生活世界を創り上げるのだ。このことに間違いはない。それこそが正に自然な有り姿だ。だが、ここに一つの考えが、教えが存在している。感覚的なる快のそのすべてをも手放していかねべならないのだと…。聖書のみならず、ヒンドスタン系の教えにもそれはある。
我々が生きてあるこの世界の摩訶不思議なる所は、ことが、どうにもこうにも上手くいかないってところにこそある。すべては裏切り、逆手なるのその味わいにおいて、現れてくるようになる。特に人の人格面、エゴとしての意識面においてはそうなのだ。あの「聖墨菲(セイントまふぃ)の法則についてを念頭に置いてここは語ってる。やがてにおいては、いや事事において、屈辱を、辱めを、エンバラシングを、当事者においては、それを、これを、味合われるよう、すべてが整ってゆく。そうなるゆお仕組まれてしまっているのだ。このことがなぜなのか、どうしてなのかを考えたときに、これは、この世に対しての絶望に誘うべくしての誘導なのだと自分は理解する。人の世たるものにおけるその非情なることをヒシヒシと覚えさせられるよう。何故か?。感覚的なるものに対しての固着、執着、偏愛を離れよとしてのその教えであるが故にだ。そういったものの、その全てを、最終的には手放してゆかねばならないのだ。何故か?。ブッダにおいてともなれば、その対象たるものは、貴方が握りしめんとしているものとは、ただの空なのだからだと…。聖書においてのその教えならば、天国に入る為には、この世たるものにおいては死ななければならないととの暗にしての教えがある。今回のマハラジが使ってある超越としてのこの言葉の真の意味は、この五感をもってしてなる生活世界のたるものの認識ではあらずして、なにか…そう

、霊知としてのなにかの知覚ラインをもってしてこそ初めて把握される世界への、その身の移行のことを言っているのかも知れない…。なんとなく分かり難い話だろうから、こんな表現にしたのだが、世界を超越するということはだ、現在我々皆が生きてあるこの世界から、また別の世界へと(天国?)、そちらっ側へと、向こうの世界へと、移行することなんだろう。簡単に云えば、この世からは、もうあなたの所在は、消えてしまうのだ。

、あなたの居場所はもうない。その中にはもう組み込まれてはいないんだ。たとえ居たとしてもだ、その世界は貴方を承認することはない。そのことの結果ってのもまた残酷なものになるのだが……。だがきっと、貴方は、そのこころの内においては、誰よりも、確実に、幸せでいる/あることであろう……。了

ps.やはり言っておこうか、一つ一つ楽しみとしてのものが、かって愛着をもって迎え入れていたそのすべてのものが、その効力たるものを失ってゆく。取り除かれてゆくのさ、時の流れにおいてで緩やかに…。苦しみの他にはなにも残りゃ〜しない。きっと全体的にはイエスが十字架の上で死んでいったのと同じ流れなんだろさ。誰一人として、なにも親身なるものは貴方の側には居なくなる。居たくともどうしても、どうしたことなのか、いれないんだ…。でも、ことがそうであることこそが、離脱としてのイニシエーションになるんだろうさ。

とその身を、その貴方としての存在を、完全に、そのすべてをもって渡るにおいての……。


再開:

Q: A thing so universal cannot be wrong.

ことは普遍的なることであり、それが間違いであることなどありえません…。

M:
Not wrong, of course.
In its own place and time nothing is wrong.
もちろん間違いなどであるはずかない。
その然るべくしての場所、その然るべくしてのそのタイミングでありさえすれば、
貴方が持つ、その抱いてあるすべての願望に、衝動に、間違いなどは、ありはしない。

But when you are concerned with truth, with reality,
you must question every thing, your very life.
しかしながら、もし貴方が、真実や、現実といったものに対して、執心してあるのならばだ、
貴方は、すべての事柄に対して、人生そのものにおけるすべてに、疑いをもって、当たらなければならない。

By asserting the necessity of sensory and intellectual experience
you narrow down your enquiry to search for comfort.

感覚的なるを特徴とするその体験の必要性、
知的なるをもってしてなるその体験の必要性、
これらが必要だ大事だと、生きるにおいてのこの自分の楽しみなのだなどと
思い込み主張し、自己正当化してあることによって、それにおいてで、

貴方は、自身が本来、本当に目的とすべきその対象の幅を狭めてしまっているのだ。

いつのまにか貴方は、快適であること、楽であること、安心安定であることの方を、
求め探すようになってしまってる。自己にとっての慰安となるべきものを、
探すことにおいてで、専心してしまっているのだ……。

嫌々介入!:
えらく耳痛い内容が入ってきてしまった。先の音楽の話しをしたばっかりにか?!。
極論するならば、すべては感覚をもってしての、その情報の摂取に行き着く。
この感覚たるものは、生きた肉体に、この自分が収まっていてこその話しだ。
五門ともっての通しての、その自分の外より取り込んだ情報において、
執着をもってはならないって話なんだろうか?。
ことはすべて快感原理に基づいてある。

たぶんね…感覚器をもって外界を探る探査することにおいて満足を求めてはいけないって
ことなんじゃないかな?。特に、その貴方が求めるものが幸せだってことの場合はだ。

外界にて起こる諸々の事象は、物品等は、感覚においては確かなるものとして捉えられやすく、
実体のあるものではあるが、そこに、そのものに幸せたるものの根拠はないと。受信において、それによってで結ばれた印象は、儚くして、実は実体のないものでしかないと…。一時は満足のゆくものであったとしても、それとしての効力はやがてには確実に尽きてゆく…。無常ならざるものなしって、この話も普遍的なる真実である。

幸せであること、幸せになることが、キーワードであるならば、求めるべきものは、
自己の内側における、その深部、核そのものに、関わることになるはず…。

もう簡単に正解としてのものを、その内容を言ってしまうのならばだ、人格としてのその人工のものによる、おける、その拘束から貴方は解き放たれなければならない。それは社会性として必須にして絶対に必要なものではあるが、それはあくまでも方便の一つ、それの一種としての考えの元にいなかればならない。ぞんざいに言っちゃえば、それらに根拠なんてもん一つもありゃしない。例えば国境なんて概念は人間社会においてのみの話じゃない。台風はそんなこと考慮してないかくんないじゃん…。自分はベンツに乗ってます。ロレックスの腕時計です。年収一千万超えです。だから?!って思っちゃうよね〜。こんなことに目をくらまされているようじゃダメだよって話でしかないと思う。貴方が頭において願うことではなくて、本心として思うこと願うことにまいしんしてなさいーってことなんじゃないだろうか?。…なに?それの声が聞こえないって?!。ぜんぜん自分としての本懐がありません、みつかりませんだって〜!。………貴方はね〜未だ本当に悲しい思いをしたことがないんだ…。もしくは、幼くしてあったころの、その貴方としてのそのこころを忘れて来てしまったのだ…。悦びを喜びをも、本当はまったく知らない、そんな人生だったのさ…。自己の本質を知る、それがどうしてやれば、なにをもってすれば喜ぶのかが分からなければならない。同じ人、人間であるならば、自分(の本質)が喜ぶことは嬉しいことは、きっとその人にとっても同じであるはず。先ずは自身において起爆する、させる必要がある。どういった体験であれば、それとしてのものになるのか?だ。とりあえずは全能父なる神って存在が天にてはおわすので、この方にお願いしてみては?ってことでここは終わり。

あっそうそう、自分においての音楽を聴くとしての行為、その実態としてのものを明かすならば、一つに自分内においての想像力を働かせる上におけるそのエンジン、そのカタパルト、材料になる。それにおける契機。よってその成果物は自己のものとして、内部にて新たに結晶化されてある。もう一つには、信仰心を賦活することを目的、楽しみとしており、その感覚情報、つまりは音楽を聴くにおいての

、音楽それそのものというよは、情緒的にしてなるその派生効果そのものだってことになる。何を聴いても、イエスとされてのその人生へと思いへとつながっていってしまってる。讃える、喜ぶ、信頼する、その行為としての思いに浸ってるっと。精神安定剤としての効果だってのが真実のところなんだろね。終わり


再開:

Q: I seek happiness, not comfort.

私が求めてあるのは幸せとしての実感で、快適な暮らしなどではありません!。

M: Beyond comfort of mind and body what happiness do you know?

こころにおいての、そしてまた身体における、その安心、安全、快適、充足なること…
これらを超えての幸せたるものを、貴方は、知っている、分ってはいるのだろうか?。

Q: Is there any other?

それら以外にも未だ何かあると?。

M:
Find out for yourself.

自分自身で(その答えを)見つけなさい。

Question every urge, hold no desire legitimate.
すべての衝動において、
それらがはたして貴方にとって適正なるかどうかを、
自己に、疑問を投げかけて当たりなさい。
自身の知性、良心に照らし合わせて、その目的が、適正なるものであるのかどうなのか、
筋が通ったものであるのかを、よっく、吟味してから行動にあたらなければならない。

Empty of possession, physical and mental, free of all self-concern,
be open for discovery.

精神的な物質的なるに関わらず、貴方がその心にて覚えてる信じてる価値感としてのもの、
それとしてのものだと信じて疑わないでいる、それらのものとしての、そのすべてを、
もの、状態、味わい、に対しての向けての、そのすべての

たるものを

それがあるだのないだにおける、貴方自身、勝手に、闇雲に、一人合点をもってでしてで、
そのこころに抱いているそのすべての思い考え、失望/憂い/患い、怒り憎しみたるものを、
ぜんぶ、空っぽに、放下して、しまいなさい!。(w)

     Aqua(アクァ) lateris(ラテリス)  Christi,(クリスティ)  lava(ラヴァ)  me().

「キリストの御脇腹より溢れいでたるの水、この我を、洗い清め給へ!」。
*水による洗礼。天の御国に住まいするにおいて、いらぬもの不要なるもの邪魔になるもの
 それら一切を、この我より、力づくをもってしてでも、お取り上げください。

再開:
然るべくしての新たなる発見、了解、理解、悟りが起こり得るよう、その(我見にてがっちがっちに凝り固まった)頭を、その(干からびた気概なき限りの)心を、真っ白、まっさらにして、オープンなる状態に、オープンなるのその限りもて、その様にて、(本然たるのを取り戻して)、開放したるのそのままにてで、在りなさい!。


介入:力入れもてで意訳に励んでも〜たんで:
我見、我意としてのものから離れよが、メッセージなんだとは思うんだが、ことは簡単じゃないって…。どうやれば、まっさらなそのこころを取り戻せるのだろうか?。長年に渡って培ってきてしもたいろんな考えや感情のパターンは簡単には変えられない。すべては癖としてこの現在の自分たるものを形成してしまってる。これを人格って自分は呼ぶのだが。世間と上手くやってゆく、付き合ってゆく為のプロトコルの集積体。それが基づいてあるコード大系のその保管庫、そのフィールド(場)。

簡単にいく..これは外殻としてのもので、根拠があまり実態としてはないんで、そんで、どうも満足充足感ってやつからすると、線香花火程度のものしかもたらしてくれない。そんで、どうも欲求不満ってゆうか、不幸せとしての心情に恒久的に落ちてしまうってことになる。そんで、絶えず幸せって何だ?とかどうやったら幸せになれるの?なんてことになってしまうんだ……。ことは、その外殻を通して、それのみをもってしてでは無理なんだ。その内らっ側に在るもの居るものこそが出張ってこないと…。その限りにおいてでは。

例えば結婚だ。これは形を求めてってのも一つだが、ことの実際は、両者の中身においての、その相性において、惹かれ合ったが為に行う、その選択肢になる。両者はそのことに気づける敏感である必要がある。頭(人格)においてでは、どうもそこまで気になる/気に入る存在ではなかったの

、どうもしっくり

。一緒に居てどうにもこうにも落ち着いて和してしまってるーっ!。ならばだ、そういうことなんかいな〜っとして、決着を付けるまで。意外とその後の二人しての生活には、いたく満足しています〜って。了


再開:「残りはもう僅かだから!」

Q:
It is a part of Indian spiritual tradition that mere living in the proximity
of a saint or sage is conducive to liberation and no other means are needed.
Why don't you organize an Ashram so that people could live near you?

インド、ヒンダスタンにおいての精神的な伝統では、
聖者として認められて人のすぐ近くにて住むか、もしくは、
賢者としての人間から、開放に向けての修行においての指導を、
直接に仰ぐ/受けるのか、これら以外にその方法はなかったはずです。

マハラジ、貴方は、教えを授けることを目的とした施設、
ご自身とされての僧院たるものを、どうして構えないのですか?。

そうされたなら、人々は貴方のお側にて住まいすることさえもが適うではないですか。



M:
The moment I create an institution I become its prisoner.

自身としての、自身の名を冠してのその団体を構えた途端、
私はそれの、それにおいての、囚人と成り果ててしまう…。

As a matter of fact I am available to all.

実際のところ、私は、

に対して、開かれてあるんだよ。
*(縁さへあれば、すべての訪問者に対して、私としての教えを授ける。ただで…。)

Common roof and food will not make people more welcome.

共通の建屋においての屋根があるから、一緒に食事ができるから、
こういった事柄が、人々の訪問をより奨励する、歓迎するわけではないのだから…。

'Living near' does not mean breathing the same air.

「近くにて一緒に生活する」
このことが、彼と同じ空気を呼吸する、しているを、意味するわけはない。

It means trusting and obeying, not letting the good intentions of the teacher go to waste.

   それ(アシュラム)が、(暗に)前提としているのは、「崇拝」と「服従」なのだ。

       良き志にあるその教師たるものの、その善意としての意向を、

           無駄にするようなことがあっては、(決して)いけない…。

介入:

基本、組織化が為されたるその時点で、物事はリスクを抱えることになる。
要所となるのは、その組織が新たなる賢者を生み出しうるのかに掛かってくる。
二番手、三番手が、その組織の運営に参加してくることが大事なのだ。剣ヶ岳。
何人、優秀なる番頭さんが持てるかで、持てているのかで、
その組織の意義は価値は決まる。

殆どが、それとしてのものに育ってはくれないんだ。
でっ、後に残されたのは、残されるのは、
程度の低いエピゴーネン等によってのその糞のような権力闘争ってことになる。
偽物ばかりが幅を利かす、硬直仕切ったばかりの、ままの、その組織と、なってしまう。

基本、団体としてのその体をとった時点で、失墜は、頽落は、避けがたくなってしまう。
バカの寄り合い所体になってしまうんでね。盲信や、追従、おべっかで、人が悟るように
なるわけでもあるまいし…。

イエスとブッダにおいてともなれば、これはまた特例、例外になる。
ミッションとして磔刑とされるを、前提とされた上での教会の示唆だったし、
また神々に強いて請われてのその教えの伝授伝導であった訳なのだから…。

神憑りとしての現象は、絶えず、どこででも、この日本でも起こってる。
でもその彼らが自らの教団を立ち上げたその時点で、
ことは皆おかしくなっていったのだ。

:終わり


再開:ラストスパート!

Have your Guru always in your heart and remember his instructions --
this is real abidance with the true.

師との邂逅において、その折に、

貴方が覚えた、その彼の印象を、心にて、”ズット”、留め置いておくのだ。

彼が貴方に語った、あなたに向けての、そのインストラクションたるものを、思い出し、

決して忘れることなく憶えておく!。

ジス イズ りある アビダンス ウイズ ザ トゥルー。

これこそが、リアルなる、永続性を伴った、真実と共に生きとしてのあり方なのだ。

*要は、それしかアンカーとしてのものはないんだ。
 それが抜け落ちたその時点で、漂流がはじまってしまう。
*くどいけど、ことにおいてその印象を持ったは誰なのか?!。
*何が何を察知したことによって、その特別なる印象が貴方の中に結ばれたのか?。
*本物は本物を知る。だから、誰もの中に、本物はあるし、居るんだ…。

Physical proximity is least important.

(師のお側に)物理的に近くに在る、近接してるってことは、さして重要なことではない。

Make your entire life an expression of your faith
and love for your teacher -- this is real dwelling with the Guru.

貴方の人生のそのすべてを、貴方の信仰を現す/顕す/表す、その機会だとして捉えなさい。

そして、貴方の思いを、貴方の師を愛するその思いそのものの…、

こうして在るってことこそが、

       本当の、

      師と共に生きるってことの、その意味なんだ....。


                   了


















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