第29話  本稿②。

文字数 1,722文字



Re: 大瀑布

この写真は、

が、W48(地球)を通過した後の終わりの節目を表している。
この瀑布の下は、W96の世界になる。滝で始まり瀧で終わる。
それらの中間にある”河”が、

のモデル。

真横から見ると、垂直の直線になることは、お分かりいただけるだろう。
直線は The Ray of Creation の表し。横から見れば

不可知になる。
時の概念は、ヒトの世においてのみ有効としときたい。

だって、『栄光は父と子と聖霊に!』『世の始めから、今も、いつも、世々に限りなく、
終わることなく、永遠に』ってこのアナウンスが【 栄唱 】としてあるじゃない。

だけをもって、そうなっている…。

要はヒトにとっての日常的な

を限定された範囲で持ち込んでみたまで。
水の流れ、河の行程に、それを託すことができるかな〜と思ったまで。


Re: ちょっと脱線ばなしをしまーす。

実は今回はこれがメイン。

作家、筒井康隆先生の作品に『急流』なるタイトルの作品がある。
時間の進み方が加速度的に早くなってゆき、主人公がパニクリまわる話し。

「朝便所に入って出てくると、もう夜になっている」
「家を出る時には雪が降っていて、会社に到着した時は夏のまっさかりで汗びっしょり」
「海水浴場では遊泳が禁止された。沖で泳いでいるうちに冬になり、
 凍死するやつが続出した為だ!」

そしてラストの落ちはこんな感じ…。

「20XX年から先に、時間はなかった」
「そこでは時間が滝になって、どうどうと流れ落ちていたのであるー』

悪趣味で、おふざけ的な作品。

多分年取ってから感じる時間の進み具合に危機感を覚えたところで得たアイデアなのだろう。
しかしだ、そこはあの筒井氏である。躁的超頭脳の回転において未来を予知しなかったとは
誰にも言えまい?。自分は読了後、それが本当になる可能性はあり得るのではないかと少し
不安に感じたものだ。なにか「ずしり」と共感覚めいたものを覚えたのを憶えている。

多分、その時の読後感も影響しているのだと思う。
自分の河の流れの例えにおいては…。

  最後には一切合切を急流にて押し流し/流し去り、
  彼方の、見知らぬ別世界へと連れ去ってしまう。
  すべては抹消されてしまう。何一つたりとて残らない。残り得ない。

なに、ここに大層な話を持ち込もうって訳ではないのさ。
ヒトの人生、その課題、そして誰しも避けることの叶わない死の訪れについてを
無理から印象付けたいな〜っと思ったまで。


そうそう、六道輪廻図においては[無常大鬼]なる怪物によって同じ内容が表現されている。
構図において回転する輪がヒトの一生。その輪をがっしり掴んで、抱え込んで、離さず、
いままさに飲み込まんとしているのが[無常大鬼]。





これの説かんとしているのは貪瞋痴を離れて、輪廻の輪に舞い戻るようなことの
ないようにしなさいかな?。早よ、この世の

より脱出しなされだ。



さ〜て、まとめをやってしまおう。

今回は脱線止まり。

  河を遡るのが生だ。真っ当な生き方だ。

  何処かで力尽きて、息絶えるとしても、それが正しい務め。

  死んだ後のことは、塵芥に分解されて魚の餌になった後のことは、

  自分としては、イエスにお任せしたいと思う。

  ただそれだけ…。



〈続く〉



PS.
水って怖いよねー。すべてに浸透貫通し、何処にでも連れ去って行ってしまう。
生命を育むと同時に、一切の

解除して、その生命が獲得した”力”の
すべてを無効化してしまうこともする。何もかもが跡形もなくされる…。


筒井康隆氏は、人類史上、最高の作家の一人だと自分は思う。
ノーベル文学賞は遠にもらって然りだ。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み