第41話  Interval (III)

文字数 16,406文字

           もう一回だけこれやらせていただきます!。
       もう少しだけ基礎となるべくの情報を提供をさせといたって、
               いただきたいのです…。w

自分の思いとしては人間はこの宇宙そのものだって言いたいだけ。根拠は

が故に。
それは元々からしてそうなんだ。だからやろうと思えば、本心から願うのであるならば、なんだって叶っちゃう。でもそのためには、宇宙の然るべき階層と、

が、ちゃんと為されなければならない。これがいろいろと難しいんだ。下手すれば脳神経が焼き切れてしまうことになるんでね…。

最終的には上下を流れる河を遡るにおいて、ときの観念は消え失せてしまうってこと。その行程にしか価値はないんだってこと。そして、このことを知るには、真剣に某らかの求めをもって、現実と格闘する、してあることにしかない。それによってこそ、初めて、世界はその真実としての姿を表す、開示することと、な〜るっと…。

また、ことに目覚めてあらない限りは、あっちの河の流れに押し流されての存在としてでしかありえないってこと。もしそうなったなら時間による劣化や消沈が裂けられなくなるってこと、十把一絡げとしての扱いとしかなりえない、してはもらえないであろうってことが、この自分によって語られる。もう断言されてしまうことになるんだ…。

こっちの中にいると、平板にして単眼的な眼差しとなるのは避けられずだ。妬みや嫉みからわけのわからない理屈をこね繰り返すこととなってしまう。そういった発想をしてしまうばかり。最近のものではあの「親ガチャ」や「子ガチャ」ってのがその最たるものになるな。すべては然るべくして、最適をもって、なっている。整ってしまっている。それまのことなのだ。これが真実。ことを活かすか活かさぬかは、その当人のあり方次第になる。自分なんかは、あの両親であったことに、本当に、心から、感謝をしている。これも、今ともなれば、の話しでしかないが…。


まっ、とにかく、三題ほどお付合い下さい。









Re: まず一つ目はあの旧約聖書における創世記より。二日目まで。



1 はじめに神は天と地とを創造された。

  では、この「天」とは何か?
  またこの「地」とは何か?
  どうしてこの二極のみなのか?

  どうして「天」と「地」と、その地下たる「深淵」をとはなっていないのだろうか?

2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

 その強固たるものとしての、”firm”なる大地は未だ形成されていないとな?!。
 その正体実態はつかみ難きのままで、いわば何も未だ実体化がされていない。
 そして闇に覆われた淵があって、その水の表面には神の神魂が覆っていたと!。

 よく分からないので英語のも参照してみよう…。

2 Now the earth was formless and empty. Darkness was on the surface of the deep.
 God's Spirit was hovering over the surface of the waters.

 地球は、それの大地は、未だ形なくして、空っぽ/空虚なる状態。
 そこに認められる”深淵”の表面はただただ暗黒のまま。
 神の霊がその面をホバリングしている。

 これは基本ヒトには知り得ない情報だ。霊視したんだろうね…。
 ここには未だ光ですらない。だから抽象的な表現になってしまう。

 ピンとこないのでこうしてしまおう!。

 ことはあの特異点における話し。
 だが彼の存在において、既に、世界は対象化/構想されてある。
 その面を漂っているのは彼自身もしくは彼よりの意思においての作用/働き。

3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

 これは物事が実体化を果たしたと読む。当然な話し恒星、太陽たるものの出現があった。
 此処においては、具体的なる事象が出現したのニュアンスで読んでみたい。
 簡単に言えばことが「確定された」だ。

 副次的なニュアンスも添えるなら、光たるものの果す効能についても語らねばなるまい。
 光たるものがあってこそ、初めて、ヒトの認識は叶うのだ。ハッキリと明瞭に疑い得ない
 ままに知ることが適う。もう此処に、この環境/状態に至っては、あれやこれやマインドを
 働かせることは不必要になる。なってる。ただ一つの現実、事実が、そこに横たわって
 あるまで。

 もう一つ、光は無限とも呼べるそのすべての色を含んで、無色透明になる。なってる。
 世界に溢れている色のすべては、ことを同源にしているのが真実。
 要は、すべての色は、同体たりえて、かつその姿をかえたるのものでしかないのだ。

 ここにあの般若心経における空即是色、色即是空を思うのが相応しかろう。面白かろう。

 是非もないのだ…。わたしゃ〜このことに今は何も言わない。
 ただあったことだけを記述してみてるだけー。

 閑話休題。とにかく肝心なるは〜「ことは、起こった、始まってしまったー」だ!。

4 神はその光を見て「良し」とされた。神はその光と闇とを分けられた。

 彼は

気に入られた。満足される。ここに彼の価値観たるもののその根拠を知ることが
 できる。真実なること現実的たりえてあること明瞭に確立されたてあること、etc…。

 またこのことの結果として、闇が区分けされてクローズアップされてきてしまう。
 これは何だ?。闇たるものが何なのかに関しては生活感において知り得るもの。
 ものごとが暗幕の内にあって、正体がつかめない状態。
 ある意味、最初の「未だ形なくして、空っぽ/空虚なる状態」のことになる。

 この表現を改めると、
 「未だその形は徹底的に定かではなくして、正体は一切つかみ難く、
  想念においてでしか、それもぼんやりとしてでしか推測できない状態」となる。

 ここでも般若心経の一節を思い浮かばせることができよう。
 もしくは空海によるあの表現もかな?…。

 とにもかくにも、二領域が、光の出現において確定されてしまったのだ。
 どうしたものか、同一次元にこの二つの領域があることによって、
 ヒトの生存圏もまた選択の余地がでてきてしまってる…。
 ※この二つはまったく関係してない。相補性もなにもあったもんじゃない。

5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕となりまた朝となった。第一日である。

 昼は労働するための時間。主体的に働くためのもの。また目覚めて生きるべくしての期間。
 夜は肉体の休息、もしくは昼間に感受した印象の消化整理吸収を目的としてのもの。
 意識は完全に解かれて失われて、副交感神経の働きその支配下へと完全に入る。
 

、すべての一切合切は自動的な生理機能へと委ねられてしまう。
 眠りこそがその過程への参入となる。

6 神はまた言われた「水の間に大空があって、水と水とを分けよ」。そのようになった。

 何を言っているのかよくわからない。なので、先ずは英語のものにあたってみよう!。

 "Let there be an expanse in the middle of the waters,
            and let it divide the waters from the waters."

 直訳するならば、
 「大海の真ん中に広がり(expanse)たるを来たらしめ、そして、
            それによって大海が分かたれるようにしよう」かな?

 ”大空”どっからでてきたー?!(みおちゃん)。
 
 地球はその全体を海に水に覆われての状態だった。
 そこで神は大地を隆起させるをもって大陸を出現させる。
 これによって大地と海とにも分かたれた。そのことを言ってるのかな?。
 

7 神は大空を造って、大空の下の水と、大空の上の水とに分けられた。

 ここはご自身が所在する天界の在り処をその天に定められたとして読む。
 そんで、そこから万物を養うべくしての水つまりは媒体の循環システムを設営
 運営されてあるっと。

8 神はその大空を天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。

  そうして、蒼穹、あおぞらは、どっかの別の彼方としての、天界のある次元と、
  重ね合わせの状態として存在することにになりました〜だ。
  ここに関してはベルゼに正確な表現説明がある。
  自分としては多段階で焦点が結ばれてきてるんだな〜って理解してる。
  間違っても飛行機やロケット使えば行けるリアル空間ようなものではな〜いー。

 *次回「真火星」のその冒頭においては、Canによるあの「Mother Sky」が鳴り響く!。


ここまでで自分としては十分。あとは割愛します。もうやんない…。



自分として読者の皆様の衆目を集めたきは、あの光のスペクトラムに尽きる。

左が空で、右が色なんだ。

空はすべてを併せ持ちながら、然して「不在」たりうる。

無色透明の意味でね。然して「すべてを明るみに出して」しまってる…。

このことはヒトのマインドにおいてだけの話しなんかも知れないが…。

そんで、そのどちらもが、本来は、同体同根であるってこと。

あのマハラジの例えとするならば、自分は装飾品としての金に関してはまったく知らないが、
金そのものに関してはよく知ってる。もしくは自分はパンに関しては作り方も何も知らないが、小麦そのものに関してはよく知っているに関わる。左が金もしくは小麦そのもの。

では問おう!。「彼が理解していることとは一体何なのか?」


この宇宙も同じ。ならばだ、自分さえも同じなのだ。

神が空で、自分が把握する認識する一切が、この宇宙そものが色になる。

自分も、その色としての、その実在、存在でしかない。

こと、このことの理解においてこそ、世界は然るべくしての反映を返してくれることとなる。

すべてを了承理解した上で、確信犯として、『 THE WORLD!』と叫ぶ。

すると、あらあら不思議、その願いは行動に伴って自動的に必然として適うようなる。

世界は、その真の姿を顕してくれるようなる…。

同一体だから、その内に同体してあるものなのだから。

何故なら、我等もまたその正体は、神の、不完全なる神の、一種なのだから。

そのことにおいて、求めるものに相応しい努力をする。

執念たるものを最後まで抱き続ける続けられるならばってのが条件になってはくるのだが…。

誰かの為にってのも、その持続においては肝要になってくるのだが…。

やはり自他を併せ持っての、
自分が世界として含みもっての何か誰かへの「愛」こそが鍵になってくる。
(彼女、妻、子供、家族、仲間、同僚、自分の会社の社員、こんなもんのことを言ってる)

じゃないと長期ではその意志は()たないって…。


闇たるものが何なのかは、もう語る必要はありませんよね〜?!。

この最後にては触れず仕舞い。





Re: その二、もう大人なんだから、そしたらば、もう暗に果たして当然の算盤勘定。


幸せになりたい、幸せにしてほしい。

  このことは、生来的にして、本能的なる世界への期待だ。
  不思議なことに、これはある種の「前提だ」と思いまた信じてる…。

愛してほしい、誰かから愛されたい。

  意外と自覚されてはいないのだが、これこそが貴方の本心としての求めなのだ。
  これなくしては何も意味をなさない。持たない。持ち得ない…。

認めてほしい、認められたい。
価値のある人間だと評価されたい、優れた人間だと評価してもらいたい。
かまってほしい、かまわれたい。
きれいだと言ってもらいたい、可愛いと思われたい。
守って欲しい、守られたい。


これらは根源的にしてなる欲求!。全くもって当然な思いだ。人間に生まれてきた以上、これらの願望は最大限にて肯定されるべきものだ。そして絶対的に全力をあげて希求/追求されるべきものなのだ!。また、人間ならばだ!苦しみ/苦痛/不快として受け取られるもの/事態/環境からは離れたい。取り除きたい。なきものとしたい。これも当然な話し。それはまったくもって自然なること。そう、あの偉大にして完璧なる大いなる自然に適合しまた合致した行いになる。

                 もう完璧にだ。

ここでっ!言いたきはー…現実において〜我々人間がー日常味合うこととなってる”制限”たるものについてだ。困ったことに、残念なことに、なにごとにおいても、無尽蔵ってわけにはいかないってこ〜とー!。なにするにおいたってだ。また、誰においてだったってだ。

実は、あの神においてであったとしても〜、その実際は、やはり!制限/限界たるものが、あるのかもしれない…。この様に思うべきなんだ…。投下できるその資本ってのには、その

がある。使える原資ってのにも絶えず、いつも、制限ってのがかかってきてしまっている。このことは生活において、我々が日常体験しているその実際を、参考に目安に基準にすべきところ...。

もう...あれだわ....「してあげたくったっても、それは今は/まだ/もうできない」ってことになってしまっているの

、ってことになってしまっているの

しれない…。厳正にして神聖なる法に則って、優先すべきものたちへの配分にて、もう使われてしまっているので…。余裕がもうない…。

そこで思い至るべきなのは、思いつくべきなのは、「もし自分に回されている分を節約するならば、それを自分としてでは辞退するならば、不用とされたものは、その余りとしての原資は、資本は、

、使い得るようになるのでは...?」っと。きっと自分より恵まれないヒトが、やや程なれどもなにかを受け取ることができるようになるのでは?っと...。「この世は方円の器の如くしてなり、また、かつ、すべては、あらゆるすべての生命にとって、もう十分にして、ふんだんに、もう溢れんばかりにして与えられてしまってあるのだとするならば、ことは完璧に然るべく自動的に即時即刻、果たされることとなるのではないだろうか?」と...。


その再配分に関しては、その実際に関してを、知る必要はない。まったくない。このことが紛れもなき真実/事実であるであろうと確信するだけでよい。そうそうなんだ...与える側、してあげる、そうしてあげられる立場へと自らの存在を移行させなければならないんだ。もし貴方が「愛」を価値として認めるのならばだ!。これを実際に、直接的に、行うのは他の誰か彼方の「どなたさん」かだ、だけでいいんだ。

これもまた一つの自立した大人になるにおいて、そのこころに意識しておくべきことかと…。

もし貴方が若ければ先ずは、多くのヒト他人家族を養えうに足りるその原資たるものを手に入れることに、そのこころを砕いてあるべきだ。行動をもってしてね。これも間違ってはならないのは誰か他人が持っているものを奪うかすめる横取りするってのとはまた違うんだ。自力で”開門”ってのを果たさなければならない。あなたのその真剣な願い求めによって世界創造たるものを果たさなければならないんだ…。追記:もしことにおいて、図らずしも既存の権益において割り込むことが叶ってしまったならば、それはそれで必然だったのだろう。それが貴方の努力に対しての報奨として定められたものだったのであろう。もうつべこべ言うわずに、ただありがたく頂戴しておけばいい…。

女性はね〜然るべくしての、その本分としてブレない、その形にて、全力を尽くしてあるならば、あれるならば、もう既に完璧に美しい。男が愛してやまない存在になってる〜って。
あの匂い立つようなった娘たちに関しての私の報告を君は読んだか?、憶えているか?!。w。

褒めてほしい、褒められたい。

尽くしてほしい、尽くされたい。

感謝されたい、してほしい。

たいたい」ばかりいつまでも言ってる思ってるんじゃね〜よー「ワーレー」の

天村でした♡!。


補記:

少しでも主のご負担を少しでも軽くせねばとの思いで自分としえはいろいろ努力してきた。
その思いにて苦心することも多かった。具体的には自分は我慢したり辞退したり遠慮したり、
もらっても倍返ししたり、自分においてはもう諦めちゃったりとかね…。

そうすりゃ〜どっかに、乏しくしての人たちのところに、

いくことになるでしょう?。三位は今も、いつも、かっても、これからも、ずっと、永遠に働きつづけておられるわけなのだらから…。その彼等に実際の配分のあり方は任せておけばいい。
彼らのその本質は”愛”の塊、そのものなのだから…。



コラム:これは単なる個人的なつぶやきとして…
貴方の体、それは心臓の処か、両手の掌にか、足の甲の処に、傷跡はないだろうか?。
おそらくは小さい頃にできた傷、その跡。その傷跡は成人した後も、薄っすらとではあるが
しっかりとまだそこに残ってしまっててハッキリと確認できる。不思議。不思議。不思議。
これぞ正しく転写なのだ…。そのことが適った適ってることがどうなのか、なんなのかは
どうでもいい。あなたはかな〜りにかの方と似たような道を歩むことになるであろう。
多分…これは名誉なることではあるんだろ〜ね〜…。


あと一題。それはへんてこな話しになるんだ。現実を踏み外す体験についてなんだ。これがあったればこそ、後に、ヒトは越境することにもまったく頓着しなくなるんだ。さして躊躇することがなくなる…。そういった意味で、事前の種まき、予行演習として、定められていたってことになるのかも知れない。この事態たるものは、ある種の馬鹿でないと整わない…。「そそっかしさ」ってのがある意味トリガー…。


※社会性って言葉がある。これの実際を皆さんはあまり自覚してないとおもう。
※共同幻想としてあるのが本当のところなのだ。空気感染みたいにしてそれを受領する。
※これは暗示、呪いのようなもの。おいそれと解除出来るようなものではないんだ。
※上の”超越”は、これを、すべて、無効化するの意味になる。



ラスト、その三…

Re: 現実を踏み外す。

然してその後に、その勘違いの上にて、世界は図らずしも

ホば、されてしまうを迎へることとなるらん!。その折にパニックとして刻印されしの、その奇っ怪なる体験は、その味わいたるものは、終生忘れること難しなる哉…。とき置きてのその後に、改めて、そのトラウマたるものは再帰ホば、再現たるを、追体験こそを、求めてくることとなるらん…。見掛け、その外見の形は違えども、同じくしての体験を、果すこと、果たしてしまうことと、なりてにそうろう…。

         ちょっとムード出して、それを添えてみましたー♡!。

 内容はまだまだこれからなのですがー、作っちゃった絵だけ、先公開しちゃいますー!。











         なんのこっちゃか、ぜんぜん分かりませんよね〜?!

      ここに掲載の四人は応援部隊。自分一人だけではさみしいんで…。

     まっ、禄でもない、

であることに間違いはありません。

          でも、これやらんことには、先に進めんのよ〜…


                   かしこ



           これが舞台としてのその全景図になる。



 赤の☆印を出発して、市場(★)へと向かい、そして最初の☆印へと徒歩で戻る…。
  
       重要なことは、その時、当事者たるボクは六歳未満であること。
         ちょうど幼稚園の年少さんを終了したばかりである。
              当地へと引っ越し

である。
          

近隣の市場へと、母親に連れられて来てた。
    ところが、帰りは、どうしたものなのか、

帰らされていたのだ…。


            真の舞台、要所となるのが二つの陸橋。


              最初に越えたのが陸橋A







            そして次に渡る、渡ったのが陸橋B





      写真は共に、A側を下流として、上流たるB方向を道路から見上げたもの。
               またその逆サイドからのもの。




繰り返しになりますが、この行程は、初めての道だったのです。引っ越して来たばかりで、あたり周辺に関しての情報はまだなにも持ってない。それも、まだ六歳にも足らない子供として、かなり頭たるものがおぼつかい、茫洋の最たるの、幼き日の、この天村としての子供だったんだからねーーー!。

だから、こっからは、ご自身も、頼りなくしての、あまりことに関しては覚束ない、その限りの人間、子供としてフォローしていって、やってください。想像力たるものが大事になる。その人間における心理状態、そのキャパたるものを加味して、考慮しての、したっての、ことのフォローってやつをやってくださいね〜っと…。




家を母親に連れられて出てから、直ぐに、

あの最初の長い長い坂をくだってゆくってのがあった。
そして、四つ角に差し掛かってから道を左に折れた。
そして、そんなには幅のない土道をぶらぶら、長々とあるいた。
母親に連れて従って歩いているまで‥。

道はどこもかしこもまだアスファルトの敷設前の状況。土道のままだ。
近隣の建物、遠くに見えるビルもこのころには未だ一つもない。
つまりは目印たるものが余りなかったのだ。

やがてに道行きにおいて急な坂道となった。これは本短い区間においてのみだ。
それを上がりきったところで突如、最初の陸橋Aが現れた。












       これを渡り切ると、もうすぐそこは市場としてのエリアだった…。




自転車用の降りる坂。急なんだ。一回折れがあって、そんでから市場エリアへと入る。自分はよく折れてからの最後の坂道で場外へと転落してたもんだ。当時は柵なんてなかったんでね。そこは本屋さんの真ん前。心配して集まってきた人たちの目の前で、ただ、ひたすら、うめいてたんだ。なんなんでしょ?…。※(伏線、また恒常的なることであることを告白して…。)



すぐ左手に本屋さん、文房具屋さん、薬局、お菓子屋さん、肉屋さん、電気屋さん…etc。
右手に見えるマンションはその時節には存在しておらず。ただのガランとした広場だった。



少し離れたエリアに林立してあるビル群も当時はなかった。そこは長らくずっと空き地のまま放置されていたのだ。十数年を越えてだ。ある時を境に突如乱立ラッシュとなったんだけどね…。広域全体的において開発途中、整備の真っ只中としてのありさまだった。植樹も未だされておらず、土道があちこち剥き出しのまんま。つまりは、目視において、なんの手がかりもない景観だったんだ…。



いよいよ、なぜか一人ぼっちで、新たな住居に向けて出発することとなった。たぶんね母親は「来た道わかるな?それ戻っていったらいいだけやからな‥」ぐらいにしか伝えなかったことだろう。そうして出発してすぐの、

が‥、そもそも何を思ってなのか、方向が間違ってる。来たときの弾みでか、同じその方向へと、歩きだしてしまっているのだから…。


         ここで、今更にはなるのだが、重要なることを!。
         そのときの私は、陸橋が、それも


         

などということは、知りもしなかったんだーー!。


長々とした登りの坂をのぼっていった。まわりは一切馴染まぬままなれど、来たときは、たしかに長い坂をくだったので、きっとそれを今度はさかのぼっていっているのだろうなぐらいに考えてたんだろ‥。そして、さっき、来しなに越えた、あの最初の陸橋が現れてきたのだった…。





    そして、これを当然として、幼き日の私は、この陸橋を越えていったんだ。
 ところがだ、幾分か歩みを進めたその時点で、突如、気づいてしまうことになったんだ。
         「ここは、さっき渡った、あの橋とは違う!」と…。

これはショックとしての認識だった。突如のこの気づきにおいて、まるで雷に打たれたかのような感覚を覚えてた。※ここは比喩なんかではなく言葉としての、そのままの体験だった。足はすくんで力は抜け落ちてた。一瞬であったが、私は確かに「

」となってしまっていたのだよ!。惑乱、混乱、恐怖、一種のパニック状態に、幼くしての私はなってた。こころは不安に染められるのそのまんま!。


    このとき、天の会衆らにあっては、喜びとしての歓声が沸き起こっていた。
首尾よくことが運んだことに、そして当初の目的たるものが無事達成されてあったことに。
 皆して、腹抱えての大笑いをもってしてで、喜びを分かち合れておられましたっと!。



       自分には、このことはまったく知る由もなかったんだけどね〜。

           ここで改めて最初に渡った陸橋の写真を‥。



           そして帰りに渡った陸橋をもう一度…、




そして、ことの本番は、ここからになる。ここから始まる。ボクは、そのままにして、まったく見知らぬ道を、確実に、もう完璧に、間違っているであろうと思われるその道筋を、そのままに、突き進んでいったのだった…。


       今ここで、改めて、全景をもう一度ご確認しといていただとこう…。



構成というか構造上の制約からか、幼いこの自分においては他に選択の余地はなかったのだろう。ただ、その道行きを、更に進むにしかなかった。Bとしての鉄橋を越えてから、泥だらけの土道、それもまったく見知らぬ道を、ただひとりボッチで、ひたすらに進んでいったのだ…。

      ちょこちょこと、とぼとぼと、落ち着かぬその不安なる心のままで…。

   もう覚えちゃいないが、きっと恐怖で、そのこころは一杯であったはずさ。
その道行きは長いものに、いつ終わるとも果てるとも知れないものと思われてあったはず。
    何よりも来た道とはぜんぜん違う道であると、分っていたのだから!。

そしてある時点において心にわだかまってあった心配は一瞬にして霧散することとなった。
      最初に出発した、記憶にある場所が、突如現れてきたのだから。
            あとは、もうなんの心配もいらなかった。
           安心して、無事家に到着することができてた。


                    了



自分にしか分からないことであろうが、これは実によくできた仕掛けとしての構成だったんだ。ことに嵌め込むにおいてともなれば、最適なる演出をもってしてで、すべてが整っていた。それも、ことが有効なるは、それとしてありうるのは、そのときの、ただの一回限り!。

最初から然るべく、仕組まれてしまっていたのだよ。その状況下にての体験が、自分において必然として起こり、達成されるべきものとして!。その未だ幼くしてある自分の為に、その時節その事態状況において、課題として、為さしむるべきこととして!。一種の免疫注射?。予行演習??…。ああいった非常事態、例外としての状況下たるものに、そのものに、慣らしておく為に!だ。ああいった状況下であったとしても、無事当初としての行動を、完遂できるよう。一切が、○○のご意思のもとに、準備がなされ、整いが果たされて、しまっていたのだーーー…。

意外とね〜…日本昔話における、あの狐に化かされたとか狸に化かされただとかの話しは、
こういった出来事体験の再構成としての逸話だったのかもしれないね…。



追記:

この部分におけ最も肝心なることは、ことはその幼き日におけるこの私にとっては刻印であったってことだ。世界喪失としての、その体験がそれ。それはトラウマとしてのものであったが為に再帰をきたすことになる。ときを置いて、何度も何度も……。

これは人にとっては恐怖以外の何物でもない。だって極普通、あたりまえとしての現実が、瞬時にて、即刻失われてしまうのだから…。だがだ、それもまた、単なる思い込み、幻想としての世界理解でしかないってのも事実なのだ。

当たり前としてのその現実世界が幻の如く消え失せたその世界内にて、自己を保ってある。これが御大とされての求めであったのだろう。なぜならば、その純粋なる有り様それのみにて在れとの思し召しであったのだから。このことは現在の自分であればこそ理解ができること。現在の自分においてのその有用性の為に〜だ。つまりはこの垂れ流しの駄文をそれなりに意義深いものにすべく〜、そうされてあったのだ!。とある異質にして例外的なる、その立ち位置において、にて、そこにおいてこそ、語りうるその内容を世に放ってあれよ〜だ。

トラウマは再帰をもたらす呪となる。事故現場においては、同じような事故が、役者らをまったく代えてで、再現されてしまうことが多いではないか!。ことは確かに繰り返されてしまってた。この自分においては。その世界喪失常態において、それにて佇むことに〜馴染むようさせる為であり、またこの自分ももうあまりことにおいて気にしなくなった。

世界は突如知らぬもの、まったく分からぬもの、マインドを働かせるに不明なるものになってしまってる。この状況下にて、平静であれるよう、しつけられてきてる。

ある種の不幸なる存在、そのあり方、有り様だとも言えるのだが、どうなんだろう?。

アウトサイダー……。

人の世は虚ろにして曖昧なるものになってしまったが、強固なる実在として神をより頼り、より意識できるようには、なってる、なっちゃってるわな〜〜。世界への干渉は止まない。だが、一方方向のものでしかないのも事実だ。あちらからは、こちらの状態へのその理解が、まったく不可能となってる。だが、意識的な愛に対しては、やはりあの法則の通りに、なってしまってる。なにやら日常他人には覚え難くしての、その正体不明の感情を、みなも私には持ってしまってる。それ、その思いってのが、なんであるのか、またの私が一方的に、無軌道にして勝手気ままなるその流儀にて、放って、やってることのが、なんなのか、そこにある私の動機思いとはなんなのか、これについてもこの自分は語ることはできない。それは必要ないし、許されるべきことでもまたない。

私は貴方に対して愛をもって干渉してるんだよっと…、貴方がこの私に対して抱いているその思いは、その感情は、好きとしてのものでは最初からなくて、愛してあるってことのその現れ、その感情るものの急遽の出現、それとしての事態でしかなかったんだなんて、言える、伝えれる、教えれる訳がないじゃん。このことは当人自身が自力にて覚るべきことになる。

すべては刹那の、それとしてのできごと、その体験になる。後にはなにも残らないし残さない。

だがだ、これもまたそれとしてのときを重ねてゆくならば、なにがが膨らんでいって、しまうものなのだ。幸せの輪が幾重にもなって、世界へと広がってゆく……。

自分は皆におけるその反応に接しての、感受しての、その確認まで。

他にはなにも受け取ることはない。



旧文:
あれはタイプ4にのみ至極有効なるその手段だったのだろう。
刻印がこれをもって為されたのだ。
以降は自分は迷子になるってのが恒例にして慣例、常態となる……。
たったのこれだけだった。


                    おまけ

もの心がついてからも、いつもこんな有様、こんな事態(窮地や辱めパニック)ばっかし。稀に、今も、見知らぬ場所に、どうしたものなのか踏み込んでしまっているんだ…。車やバイクの運転等においてでね。「ここって、いったいどこ?」ってのが、わりかし、繁盛に、頻発してあんだ。そういったことが、実際に、どうしたって、起こってしまうんだーー…。実は別の占星術、中国系においてでは「迷子の星」ってのが、またきてしまってるーーー!…。



                  ま〜た〜…

    強固であるべきはずの現実ってのが、この自分においてでは覚えも悪く、
 不確かなるの限りなんだ…。だから威勢よく、思いっきり、敢えてをもってしてで、
      踏み外させてもらいますをも、よくやる…やらせて頂いたって、
                 もろてるんだ…。



※ここでの現実とは、社会性としてのもの。社会人としてちゃんと身につけておくべき常識、ルール、マナー、道徳、通念、価値としてのコードの大系、その全般になる。共同幻想って言葉で語ることもできる。あくまでも抽象的なるものになるんで。その証拠に現在は、その多くは、たわんで歪んで綻びて、破綻があちこち出てきてしまっている。形骸化がことの実態。またその目的も窮屈なるものばかりに成り果ててて、更に細分化されて、ますますレギュレーションとしてのものが、そればかりが増えてゆく…。ことの一切のそれらの背景にて保たれてあった意味そのものが見失われてしまった、摩滅してしまったからなのだ。盆暮れとしての風習、なくなっちゃっでしょう?。外部から左系としての思想が入ってきたから。それが権勢を握ってしまったから。文化事業マスメディア新聞、洗脳機械と成り果ててのそのフロントを、糞人間たちが掌握してしまったから。ことの原因の一切は敗戦にあり、また直的にはGHQの性っと…。



                  あとぐわき

振り返ってみれば、そういった異常なる状況ってのが、この自分においてともなれば、幼き頃より、絶えずいつも多く数限りなく、嫌になるほど準備されてきてたんだ。w。まずは二歳のとき、父親の車に母共々乗せられていて、突如田んぼの中に飛び込んでしまっ

から始まる。※(このときは、父は教習所通いをスキップして、運転の練習を実地にしてたんだ)。記憶に焼き付いてあるのは、自分はぬかるみとしての田んぼに、足を

ながら、真剣に、一歩一歩を、じっくりと、必死こいて、歩いている…。これが自分たるものにおける、最古の記憶になる…。

幼稚園の年少さんの頃は、なぜだか合奏においての指揮を任されてやってる。発表会のときには頭にかぶっていた三角錐の帽子が後ろに倒れてしまったのだけど、そんなことまったく気にせず指揮に熱中してた。後ろ手に先生が駆け寄ってきて、帽子を元の状態に戻してくれてた。

この異常にして濃密なる、非日常としての体験は、もうほんとうに山程あんだ…。そのすべてを語ることなどまずできはしない。それにその殆どは、恥ずかしい限りの、世間の皆様に向けて話せるようなもんではないんだ…。

自転車でね〜空中で一回転したのはだね〜、その当時、流行ってたハンドルの位置変更ってやつをやったのさ。ドロップハンドルを

って回してあげてきて、バイソンの角みたいにしたりまして、もってきてたんだ…。そんなことすりゃ〜、当然ブレーキハンドルは目の前に、掌にあてられてしまってるわな〜。そんで、前屈みで、急な坂下、全速力で下ってきて、それに全体重かけたともなれば、握っても〜たならば〜、そりゃ〜すんごい前転が空中にてなされる果たされてしまうことにもなるわいさ〜…。よく無事でおれたことかと思うよ…。なんと、そのときには、幼い妹二人が後ろにて同じく自転車に乗ってついてきていたんだ。二人からはなにも聞いていないが、びっくりしてただろうね〜。兄ちゃん空中で自転車乗ったまま回転しよりよったと‥。そんで訳のわからん形で、「ドシャン」と落下しよりよったって‥。

基本、あの両親の元で、その長男として生きたってことがもうすでにかなわん事態を引き起こしてたんだ。お二人共にとても激しい人間であったんでね。この自分が長男であったってことで、とてもお二人は期待を寄せていたってこともあるんだが…。

これにおいての面白いのが、二人は昼間はすっごく忙しかったんだ。会社やってたんでね。夜はだいたい夜の8時9時の帰宅。二人揃って帰ってくる。だいたい疲れ果ててで、疲労困憊で、神経がいたく高ぶらせた状態にて。会社経営においては、いろいろと気を揉むことが多かったんだろうさ。そんで、どうしたものなのか、どうしてなのかまったくもって未だにわからないんだけども、同じく、

で、

、荒れ狂うんだ…荒れ狂いまくってたんだ…それもだんだんとエスカレートしながらのものとして。そういった展開だったんだ。話の矛先は、やがてには、

回ってきてしまうのが常なることだったんだ…。まあこの話はもういい…。

えっと、ここで言っときたかったのは、両親は二人共家におらずでしょう〜、だから昼間は、もう完全にこの自分は自由だったんよ!。監視の目がなにもない。まったくない。悪くいえばほったらかしの状態。幼くしての妹が二人いたんだんけどね。とにかく昼間の時間帯は、学校終わってからは、ほんと自由に、なんでもやることができた。新天地としてのニュータウンは、まだ未開拓の森林地帯が多かったこともあり、探検するにおいて、遊ぶにおいてともなれば、それは無尽なるものとしてそこにあったのだ…。※本屋さんでは、好きな本を付けで買うことができた。このことは大きい。※エロ漫画雑誌を店前で、立ち読みできたこともまた大きい!。

どうよ〜この振幅は?。振れ幅は、緩急は!。

だから〜〜〜ズット、言ってきてるでしょう!。

すべては然るべくして準備されて整ってしまってる

なんだーーってー!。

※ホロスコープにてハッキリ表されてる。ごっつ、90°180°ってのが多いことなってる。
※この人生がえらくドラマチックに、また確執多くしてのものになるんは、もう最初から、
 決まってた、決まってる、ことだったんよねー!。

そして、これは自分からの大切なメッセージになるのだが、実際は貴方と神の他には、誰も現実にはいないんだって…。別の違った表現をするならば、プラクリティとしてのそのすべてのものは、神の代行者、写し身、神とまったく同じくしてのものになるんだってこと。また貴方自身も、その心も肉体も、そのプラクリティによってで、出来上がってるんだって…。未だ未熟にして不完全なる状態としてだが。真に神となるに相応しいものにするべく、育て上げられているんだ。それとなるべくして導かれている。ありとあらゆるものの形をとって、それらに姿を変えて、善導してくださっているのさ…。スパルタなりもてで…。

※結晶核として、分霊ってのが与えられてる。それは「神の破片」ってことになる。


ことにおいての…その一切は、それらがそうで、そのようにであることの原因は、理由は、

                    『愛』

                  からであるっと。





                    崇





※えっと、最後に、ここは3Fなので、最後における神は、「この宇宙は」ってことで、
置き換えを皆様サイドにて、皆様の脳内、マインド内にて、行っておいてくださいねっと…。







       「このひとは…、単なる

鹿

、ちゃうんやろか?…」(読者)











     馬も、鹿も、違いたるものが、元からよう分からん人間やったんやけんどね…。















Re: 暗い夜に…

A地点の近くあんのは、小学校のプールなんだけど、夏のある日の晩のこと、高校生のときか?、ボクは、ふと思い立って、深夜に一人出かけたのさ。あの十字架のヨハネのように…。その晩はすんごく蒸し暑くってさぁ〜、また眠るにしても、やや早い時間だったんだ…。高い金網のフェンスを、できるだけ音を立てないようにしながら、静かに、息凝らせながらにして、登って、越えてったんだ…。そんで、中に入ってからは、速攻真っ裸になって、これまた水音を極力たてないようにしながらに、プールん中入って、そんでおっかなびっくりしながらも、密やかに、裸で泳いでたんだ…。不安で一杯でさ〜、泳いでても、さして有り難みはなかったんだけどね。達成感ってもんだけは確かにあったな〜。青春における一種の

としての一コマ、できごとさ〜…。

ことのアイデアを思い立ったなら、そうしたイメージが思いついたならば、もうそれをやらずには、果たさずにはおられなくなるんだ〜…。自分はそういった性分なんだ…。娘が、この自分と、おんなじ、瓜二つの目をしてるんだー!。「ヤッバー」。あいつ〜、煙草すっとる…。

だいぶ年月が経ってから、これもまた真夜中のことではなるのだが、深夜の校庭で、座禅してたときには、流石に用務員さんがやってきて注意されてしまった。「ご熱心なご様子ではあります〜」からはじめられてた…w。
   


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