第16話  N.77 、偽りの観念。 その③。 

文字数 3,240文字

Q: How can you say you do nothing? Are you not talking to me?
 何もしてないなんて、どうして言えるのですか?。
 あなたは今、私と話しているではないですか?…。

M: I do not have the feeling that I am talking. There is talking going on, that is all.
 話しているといった感覚は、私にはないんだ。
 話し合いが続けられている…ただそれだけだ。

Q: I talk.
 私は話をしています。

M: Do you? You hear yourself talking and you say: I talk.
 ほ〜、そうなのかい?。
 あなたは自分自身が話しているのを聞けば、「私は話す」とあなたは言うんだな。


Q: Everybody says: ‘I work, I come, I go’.
 誰もが言いますよ:「私は働く」「私は来る」「私は行く」。


M: I have no objection to the conventions of your language, but they distort and
destroy reality. A more accurate way of saying would have been:
‘There is talking, working, coming, going’.

私は、あなた方の言語のしきたりに、異論を挟むつもりはないが、
それらは現実を歪め、かつ破壊するものだ。

より正確な言い方をするならば:
「話しが、働きが、来るが、行くがある(存在している)」なのだ。

*(自動性において、自己の主体性を離れたところで、自分の行いは生起してる。
  この事実を、まずは自覚できないといけない。)

For anything to happen, the entire universe must coincide.
It is wrong to believe that anything in particular can cause an event.
Every cause is universal.

何かが起こる為には、宇宙全体が[一致/合致/符号]しなければならない。
特別に何かが(単独で)、イベントを引き起こすことができると信じることは間違っている。
すべての原因は、宇宙的な、ものなのだ。

Your very body would not exist without the entire universe contributing to
its creation and survival.

あなたの体、それの機構そのものが、全宇宙の創造と存続、(そして進化)へと貢献
しているのだ。この目的なしに、あなたの体が存在することはあり得ない。

I am fully aware that things happen as they happen because the world is as it is.
To affect the course of events I must bring a new factor into the world and
such factor can only be myself, the power of love and understanding focussed in me.

世界が、正に、そのようにであるが故に、事象とは起こるべくして起こってくるものなのだ。
私は完全に、このことを認識している。(直覚で、一切の思考の介在なくの自覚にて)

もし、事象の成り行きに、影響を与えるのであれば、

”を、私は世界内に持ち込まねばならない。
そのような要素とは、自分自身でしかあり得ない。
愛と理解、これらの力の作用が、私の内にて、(現在も)集約されている。

*(

私自身の関与が日常には欠けている。日々が気に入らなければ、
  彼の参加を心がける、できるようにするのだ。かな?)

*(愛と理解。これは理想や思い込みではなく、
  現実的に彼が内にて感じて、感じさせられていることなのだろう。)

When the body is born, all kinds of things happen to it
and you take part in them, because you take yourself to be the body.

体が生まれてくると、あらゆる種類の出来事がそれへと起こってくる。
そして、あなたはその出来事らに巻き込まれてしまう。
何故なら、あなたは、自分を、体としてあると、思うようになっているからだ。

You are like the man in the cinema house, laughing and crying with the picture,
though knowing fully well that he is all the time in his seat and
the picture is but the play of light.

あなたは映画館に入った男のようだ…。
流れ、過ぎ去ってゆく映像を見ていて、笑ったり泣いたりをる。

だが、心の片隅では、十分理解している。
本当の自分は、ずっと自分の席にいて、
上映されている映画は、投影機によてもたらされた幻影にすぎないことを。


It is enough to shift attention from the screen to oneself to break the spell.
その魔法を解くには、注意を、スクリーンから自分へと移すことだけで十分だ。

When the body dies, the kind of life you live now ―
succession of physical and mental events ―
comes to an end.

肉体が死ぬと、あなたが今生きている斯様な人生、
つまり肉体的な、精神的な、出来事の連続は、
終幕へと至る。

It can end even now ―
without waiting for the death of the body ―
it is enough to shift attention to the Self and keep it there.

体の死を待たずして、今でもそれを終わらせることはできる。
注意を真の自己へと移すことによって。
そこに(気づきとしての意識を)保ち続けるだけで十分なのだ。

All happens as if there is a mysterious power
that creates and moves everything.

すべては「起こる」。(ただそういったものなのだ。)
まるで、不思議な力のようなものがあって、
すべてを創造して、かつ全部を同時に動かしているかのような…。

realise that you are not the mover, only the observer,
and you will be at peace.

あなたはムーバーなんかではなく、オブザーバーに過ぎないことに気づきなさい。

(映画の登場人物なんかではなく、ただの観客の独りであることを。)

そうなれば、そうあれれば、あなたは平和でいられる…。


〈続く〉


次回、77における最終話です。
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