第34話 本稿⑦。
文字数 4,565文字
木はイデア的なるもの。
神の意志において宇宙のすべてが創造された。それは巨大にして複雑なるシステム。
すべては彼の求めにおいて仕え絶えず働いている(人間以外は)。
一時も休むことなく、永遠に…。
それの特徴は、ざっくり括れば三つ:
・相互浸透(活性元素)、相互給餌が原則。
・そして、愛を動力源としての労働への服務。
・至高の最高位の神の元に、やがてには、至り/帰りつかんとする進化への意志。
まあ、これは「本質論的には…」の話し。
魂というものが無事誕生し、主導権を握れたならば、の話し。
より意識的な存在へと成長してゆくレールに乗れているならばの話し…。
その宇宙の本質的な一単位が抽出されたものが木。
その仮象が木として表される。
そう、だから、それさえも、何かの例え/抽象化、投影としての仮象でしかない…。
でも、何かの事業の/国の、立ち上げに携わったもの、
ことの始まり、そしてことの不思議な成り行きを知るものであれば、
生きている何か、生ける超越的なるものが、ことの背後に関係してあることに気づける。
(理論的に、これは不死だ。この宇宙が存在する限りにおいては…。)
創業者からすれば、自分は何か魔法使いにでもなったかの様な気分にもなろう。
(それとも提督?。)
もしくは、この会社という「箱」は、私の会社という「器」は、
我が力を/能力を存分に発揮するための、増幅するための装置として
意識されている?。(つまりはガンダムだね。)
共に間違いだとは言わない。好きにすればいいと思う。
思いの強さ、執念の深さこそが、世界変革の鍵なのだから。
そこに何をもって原動力とするかは個人の勝手!。
でも…ことの責任重く、その経営たるの行いは危険きわまりない。
でッあれば、神の/宇宙の庇護を受けれるものとしといた方がいいと自分は思ふ。
両者は、共に/同時に、その存在を開始することになるのであろう…。
〈暗転〉
Re: アニミズム
人間の霊魂と同じようなものが広く自然界にも存在するという考え。
自然界にも精神的価値を認めこれを崇拝する宗教の原型のひとつで、世界各地でみられた。
今日でも、各地域の先住民の間で現存し、また、さまざまな宗教や民俗、風習にも
その名残がある。
日本でも古来、森羅万象に精霊が宿っていると信じられ、唯一絶対の神が存在し、人間を裁く
のではなく、あらゆるところ(山、海、川、動物、植物から家、厠にいたるまで)に精霊=神
が宿って人々を守っていると考えてられていた。
アニミズム思想は、日本のように気候風土が比較的穏やかな地域でみられるという指摘がある。これは、自然を克服すべき敵対者としてみなす必要がなく、自然に対する畏敬の念が生じるからと考えられている。(環境用語より)
これは選択可能な思想なんかではありません。
このタームに関して御託は山ほどあるのだけど、むりごとばっかり。
これは生理的感覚、認識に基づいたものなのー。
理屈の前に、ことの現実/実態が先ず先にあたー。
生活圏において、ことの実感/実体験は、色濃いものであたー。
生感覚/感情において、まさにリアルなものと経験されていたー。
*この辺は「Mudmen」を読むのがイメージを得るのには役立つ。
宗教以前と言うか、それの誕生の原動力になった状況ー。
*高次感情センターへのアプローチがその頃の人間には容易かったのだろう。
とにかく、こちらが勝手できない程までに、強固にして強制的な力たるものがあったー。
それの支配下の中、物事の意味はとらえられていたー。
多分、これは今も変わらず、正解なのよ。有効な理解の仕方なのよ。
でも〜、この認識を生々しく生きれる国民全体のアベレージは、
極端に低下してしまった。薄らいでしまったー。
人類全体がと言ってもいいー…。
〈暗転〉
Re: 再掲、馬渕睦夫大使 特別講演より。
*ちょいと振り返り。
大嘗祭は最初の新嘗祭のことですね。
ですから、あの時に、陛下が天照大神と共食される訳です、新米をね。
共食されて(天照大神と)褥を一つにされる訳ですね。
それでっ!、天皇陛下におなりになるんです…。
だから、天皇陛下っていうのは天照大神のことでもあり、
瓊瓊杵命(ニニギノミコト)のことでもあるんです。』
〈暗転〉
Re: 三大神勅を改めて読み解いてみよう。
これこそ日本の国体の要なのだから…。
それは天照大神から賜った「三つの戒」に基づくものと言ってよいだろう。
①天壌無窮の神勅(てんじようむきゅうのしんちよく)
豊に生い茂るあの瑞々しい聖なる国は、
これわが子孫が代々治めるべき地である。
我が子よ、行って治めなさい。さあ、お行きなさい。
お前たちのその王たる御位は、天地と共に永遠に栄える事でありましょう。
瑞々しい稲穂が豊かに生茂る、良い米が実るとれるへと変換。
そして大神が関わる国であるが故に、日本は聖なる国であると。
「我が子」と呼ぶ人間がいる。これは「イエスと同じステイタス」であるとさせて頂こう。
要は、血筋をもって、大神と直接的な交流が可能とされている人間であることを意味する。
そうである、あなたこそが、この国の主として、この国を治めなさいだ。
あなたの王としての御位は、天地と共に永遠に栄える。つまりは「終わりはこない」だ。
なんの問題もない。
むしろ、そうであってくれればと自分としては思う。
大神であってすれば、いかな人意の介入にも関わらず、ことはその思いのままに整う筈だ。
それでこそ神なのだから…。
少し嫌言を残しておく:
先の大嘗祭こそ、その実際の機会であった筈だ。
ビフォアー・アフターの映像が隠されているのは何故だ?。
本当に交流があったならば、その有り無しを陛下ご自身の口より
公表しては頂けないものなのか?。
現在の日本の現状において考えるならば、まさに今こそ、大神よりのお言葉を
聞きたいと皆誰もが思っている筈なのだが。
平成における推移が酷すぎたから令和にも希望が持てないままでおりまする…。
②宝鏡奉斎の神勅(ほうきようほうさいのしんちよく)
わが子よ、この鏡をご覧になる事は、私を見るのと同じであると考えよ。
この鏡をお前の住む宮殿内に安置し、お祭りをなすときの神鏡にしなさい。
ここは余りにも秘教的な教えに過ぎる。
空に大神を観ることは、マハラジの状態になれと言うに等しい。
この部分をもって、神道は、神聖なる宗教であることの証しとなる。
追加:
鏡は、マインドのことでしかない。一切は静まり返って停止した凪の状態にある。
透徹した澄みを今のそれは備えている。その結果として、真の実在たるものを反映する。
究極の堅固強固なるリアルを、正にこれこそ宇宙の実体そのものとなるものを。
これは例えなんかではない。実際の話し…。
③斎庭稲穂の神勅(ゆにはいなほのしんちよく)
私が高天原に作る神聖な田の稲穂を、わが子に授ける事としよう。
高天原で大神自らの手により神聖な神田で作られた稲穂を、
天孫自らが地上にもたらし広めなさい。
また、天孫の子孫である天皇も同様にしなさいと言われています。
可能性において二重化される。上位界としての高天原、つまりは天上界。
もしくは海の向こうにあるかっての生活圏。この二つが同立するのだろう…。
そこより種と苗がもたらされる。持ってきた。
それを植えて、稲作をもって国民みなの飢えを凌ぎなさいだ。
米の美味さを知るものとしては、ありがたいことこの上ないになる。
米はマナみたくして、天上界からの恵まれものであることは腑に落ちる。
それほどまでに幸福感をもたらせてくれるものなのだから。
皆で作って、新米を皆で食べたならば、もう言葉には表せない…。
とにもかくにも、農耕を農業を、大事にしなさいだ。
植物の、その恐ろしき生産性の高さよ!。
愛情もって、精魂傾けて育てれば、たわわに、あほほど、実る。実ってくれるー。』
今回のまとめ:
前提は、神なるものを、最高至上の権威として、
尊び仰ぎ信頼する社会意識/共同観念があること。
問題は、これ/これらを、実在のものとして、各個が日常において承認/意識できるか?。
肌感覚に近いほどまでに、リアルなものとして信認できるか。
これは、その人間の情緒的センスと存在(実行力)が関わってくる。
霊妙なるもので、かつ奥深い深淵なる存在である。
だから、気づく人は気付けるだろうが、大部においては難しい。
意識的に、敢えて、お隠れになっている嫌いもなくにしもあらず…。
そこで必要になってくるのが、求められてくるのが神官職だ。
神と民との仲介を担う役目の人間。民を代表して、神と直接的な交流を果たす役目のヒト。
問題は、これが本当に叶うヒトなのか?、実際は適わないヒトではないのか?。
要は、霊的覚醒を(恒常的に)成し遂げたヒト存在であるのかどうか…。
でも、もう、こういったことさえ関係なく、民意の代表としてだけで、
御本尊は認めてくださる/受け入れて下さるのかな?。
たぶん現代はそういうレベルの、曖昧にして糢糊な時代となっちゃったのだろうか…。
しかし、個人的な拘 りとしては、実体験として交流をもてる人間であって
欲しいと願うばかり。その限りにおいてのみ、日本は世界最良の国の一つとなれるのだから。
神意を伝え得る存在であって欲しいと願う…。
ただのハリボテ、ただの象徴に過ぎないのならば、日本は、やがてチベットと同じ憂き目に
合うこととなるだろう。ただ霊性の源からの命令には完全に従う、有事には決然たる態度を
とれる国であって欲しいと願うばかりなのだが…。
幼きままに留まり、それの純真なるを価値とし、その子供じみた思いのみにて、
困った時の神頼みが、その国民性のすべてであるとするならば、
なんの具体的な、実際的な対処もせず、すべてを神頼みのままにするのならば、
神意は、現実に/確実に、ヒトの頭を飛び越えて、その対処をドラスティックな
ものとして引き起こされるのは間違いのないこと。
○○○の噴火と大地震がセットになるな…。
でも、これでは、あまりに情けなくって、悲しくって、
不甲斐のない限りに自分には思えるのだが…。
長きにわたり、落胆の限りでしかなかったのだが、
一事がそんな思いを吹き飛ばしてくれてた。
あの日、あの土砂降りが進行する中、突如雨が止み、空に虹がかかったことによって!。
それは2019年10月22日のことでした…
ことは、私の狭量なる邪推など歯牙にもかけずして、
まるで、それを嘲笑うかのように引き起これり。
憂慮は完全に吹き飛ばされてしまっていたー…。
締めとして、どなたかのツゥイッターを転載:
「即位礼正殿の儀」が始まった途端、雨がやみ、皇居をまたぐように低い虹がかかり、
日が差し青空が見え始め 富士山も姿を現して祝砲がとどろく。
ご成婚の時もパレードの時には晴れ間が出ましたよね。
天照大神の御許、これが日本、代々大切に神事を行ってきた皇室への
神々のお礼と祝福なんでしょうね。 」
蛇足:
私は私なりに気を張り続けている。
それは、また…別の、ささやかなれど一助とならんが為に。
まずは多くの人が願わなきゃ。
その為には、しっかりしたビジョンを持てないと…。
途中のは、モモウメの影響だろねー。
おはり
神の意志において宇宙のすべてが創造された。それは巨大にして複雑なるシステム。
すべては彼の求めにおいて仕え絶えず働いている(人間以外は)。
一時も休むことなく、永遠に…。
それの特徴は、ざっくり括れば三つ:
・相互浸透(活性元素)、相互給餌が原則。
・そして、愛を動力源としての労働への服務。
・至高の最高位の神の元に、やがてには、至り/帰りつかんとする進化への意志。
まあ、これは「本質論的には…」の話し。
魂というものが無事誕生し、主導権を握れたならば、の話し。
より意識的な存在へと成長してゆくレールに乗れているならばの話し…。
その宇宙の本質的な一単位が抽出されたものが木。
その仮象が木として表される。
そう、だから、それさえも、何かの例え/抽象化、投影としての仮象でしかない…。
でも、何かの事業の/国の、立ち上げに携わったもの、
ことの始まり、そしてことの不思議な成り行きを知るものであれば、
生きている何か、生ける超越的なるものが、ことの背後に関係してあることに気づける。
それ
を表すなら「木」にしかならない…。(理論的に、これは不死だ。この宇宙が存在する限りにおいては…。)
創業者からすれば、自分は何か魔法使いにでもなったかの様な気分にもなろう。
(それとも提督?。)
もしくは、この会社という「箱」は、私の会社という「器」は、
我が力を/能力を存分に発揮するための、増幅するための装置として
意識されている?。(つまりはガンダムだね。)
共に間違いだとは言わない。好きにすればいいと思う。
思いの強さ、執念の深さこそが、世界変革の鍵なのだから。
そこに何をもって原動力とするかは個人の勝手!。
でも…ことの責任重く、その経営たるの行いは危険きわまりない。
でッあれば、神の/宇宙の庇護を受けれるものとしといた方がいいと自分は思ふ。
イデア的なるもの
、そして事業たるそのもの
、両者は、共に/同時に、その存在を開始することになるのであろう…。
〈暗転〉
Re: アニミズム
人間の霊魂と同じようなものが広く自然界にも存在するという考え。
自然界にも精神的価値を認めこれを崇拝する宗教の原型のひとつで、世界各地でみられた。
今日でも、各地域の先住民の間で現存し、また、さまざまな宗教や民俗、風習にも
その名残がある。
日本でも古来、森羅万象に精霊が宿っていると信じられ、唯一絶対の神が存在し、人間を裁く
のではなく、あらゆるところ(山、海、川、動物、植物から家、厠にいたるまで)に精霊=神
が宿って人々を守っていると考えてられていた。
アニミズム思想は、日本のように気候風土が比較的穏やかな地域でみられるという指摘がある。これは、自然を克服すべき敵対者としてみなす必要がなく、自然に対する畏敬の念が生じるからと考えられている。(環境用語より)
これは選択可能な思想なんかではありません。
このタームに関して御託は山ほどあるのだけど、むりごとばっかり。
これは生理的感覚、認識に基づいたものなのー。
理屈の前に、ことの現実/実態が先ず先にあたー。
生活圏において、ことの実感/実体験は、色濃いものであたー。
生感覚/感情において、まさにリアルなものと経験されていたー。
*この辺は「Mudmen」を読むのがイメージを得るのには役立つ。
宗教以前と言うか、それの誕生の原動力になった状況ー。
*高次感情センターへのアプローチがその頃の人間には容易かったのだろう。
とにかく、こちらが勝手できない程までに、強固にして強制的な力たるものがあったー。
それの支配下の中、物事の意味はとらえられていたー。
多分、これは今も変わらず、正解なのよ。有効な理解の仕方なのよ。
でも〜、この認識を生々しく生きれる国民全体のアベレージは、
極端に低下してしまった。薄らいでしまったー。
人類全体がと言ってもいいー…。
〈暗転〉
Re: 再掲、馬渕睦夫大使 特別講演より。
*ちょいと振り返り。
大嘗祭は最初の新嘗祭のことですね。
ですから、あの時に、陛下が天照大神と共食される訳です、新米をね。
共食されて(天照大神と)褥を一つにされる訳ですね。
それでっ!、天皇陛下におなりになるんです…。
だから、天皇陛下っていうのは天照大神のことでもあり、
瓊瓊杵命(ニニギノミコト)のことでもあるんです。』
〈暗転〉
Re: 三大神勅を改めて読み解いてみよう。
これこそ日本の国体の要なのだから…。
それは天照大神から賜った「三つの戒」に基づくものと言ってよいだろう。
①天壌無窮の神勅(てんじようむきゅうのしんちよく)
豊に生い茂るあの瑞々しい聖なる国は、
これわが子孫が代々治めるべき地である。
我が子よ、行って治めなさい。さあ、お行きなさい。
お前たちのその王たる御位は、天地と共に永遠に栄える事でありましょう。
瑞々しい稲穂が豊かに生茂る、良い米が実るとれるへと変換。
そして大神が関わる国であるが故に、日本は聖なる国であると。
「我が子」と呼ぶ人間がいる。これは「イエスと同じステイタス」であるとさせて頂こう。
要は、血筋をもって、大神と直接的な交流が可能とされている人間であることを意味する。
そうである、あなたこそが、この国の主として、この国を治めなさいだ。
あなたの王としての御位は、天地と共に永遠に栄える。つまりは「終わりはこない」だ。
なんの問題もない。
むしろ、そうであってくれればと自分としては思う。
大神であってすれば、いかな人意の介入にも関わらず、ことはその思いのままに整う筈だ。
それでこそ神なのだから…。
少し嫌言を残しておく:
先の大嘗祭こそ、その実際の機会であった筈だ。
ビフォアー・アフターの映像が隠されているのは何故だ?。
本当に交流があったならば、その有り無しを陛下ご自身の口より
公表しては頂けないものなのか?。
現在の日本の現状において考えるならば、まさに今こそ、大神よりのお言葉を
聞きたいと皆誰もが思っている筈なのだが。
平成における推移が酷すぎたから令和にも希望が持てないままでおりまする…。
②宝鏡奉斎の神勅(ほうきようほうさいのしんちよく)
わが子よ、この鏡をご覧になる事は、私を見るのと同じであると考えよ。
この鏡をお前の住む宮殿内に安置し、お祭りをなすときの神鏡にしなさい。
ここは余りにも秘教的な教えに過ぎる。
空に大神を観ることは、マハラジの状態になれと言うに等しい。
この部分をもって、神道は、神聖なる宗教であることの証しとなる。
追加:
鏡は、マインドのことでしかない。一切は静まり返って停止した凪の状態にある。
透徹した澄みを今のそれは備えている。その結果として、真の実在たるものを反映する。
究極の堅固強固なるリアルを、正にこれこそ宇宙の実体そのものとなるものを。
これは例えなんかではない。実際の話し…。
③斎庭稲穂の神勅(ゆにはいなほのしんちよく)
私が高天原に作る神聖な田の稲穂を、わが子に授ける事としよう。
高天原で大神自らの手により神聖な神田で作られた稲穂を、
天孫自らが地上にもたらし広めなさい。
また、天孫の子孫である天皇も同様にしなさいと言われています。
可能性において二重化される。上位界としての高天原、つまりは天上界。
もしくは海の向こうにあるかっての生活圏。この二つが同立するのだろう…。
そこより種と苗がもたらされる。持ってきた。
それを植えて、稲作をもって国民みなの飢えを凌ぎなさいだ。
米の美味さを知るものとしては、ありがたいことこの上ないになる。
米はマナみたくして、天上界からの恵まれものであることは腑に落ちる。
それほどまでに幸福感をもたらせてくれるものなのだから。
皆で作って、新米を皆で食べたならば、もう言葉には表せない…。
とにもかくにも、農耕を農業を、大事にしなさいだ。
植物の、その恐ろしき生産性の高さよ!。
愛情もって、精魂傾けて育てれば、たわわに、あほほど、実る。実ってくれるー。』
今回のまとめ:
前提は、神なるものを、最高至上の権威として、
尊び仰ぎ信頼する社会意識/共同観念があること。
問題は、これ/これらを、実在のものとして、各個が日常において承認/意識できるか?。
肌感覚に近いほどまでに、リアルなものとして信認できるか。
これは、その人間の情緒的センスと存在(実行力)が関わってくる。
霊妙なるもので、かつ奥深い深淵なる存在である。
だから、気づく人は気付けるだろうが、大部においては難しい。
意識的に、敢えて、お隠れになっている嫌いもなくにしもあらず…。
そこで必要になってくるのが、求められてくるのが神官職だ。
神と民との仲介を担う役目の人間。民を代表して、神と直接的な交流を果たす役目のヒト。
問題は、これが本当に叶うヒトなのか?、実際は適わないヒトではないのか?。
要は、霊的覚醒を(恒常的に)成し遂げたヒト存在であるのかどうか…。
でも、もう、こういったことさえ関係なく、民意の代表としてだけで、
御本尊は認めてくださる/受け入れて下さるのかな?。
たぶん現代はそういうレベルの、曖昧にして糢糊な時代となっちゃったのだろうか…。
しかし、個人的な
欲しいと願うばかり。その限りにおいてのみ、日本は世界最良の国の一つとなれるのだから。
神意を伝え得る存在であって欲しいと願う…。
ただのハリボテ、ただの象徴に過ぎないのならば、日本は、やがてチベットと同じ憂き目に
合うこととなるだろう。ただ霊性の源からの命令には完全に従う、有事には決然たる態度を
とれる国であって欲しいと願うばかりなのだが…。
幼きままに留まり、それの純真なるを価値とし、その子供じみた思いのみにて、
困った時の神頼みが、その国民性のすべてであるとするならば、
なんの具体的な、実際的な対処もせず、すべてを神頼みのままにするのならば、
神意は、現実に/確実に、ヒトの頭を飛び越えて、その対処をドラスティックな
ものとして引き起こされるのは間違いのないこと。
○○○の噴火と大地震がセットになるな…。
でも、これでは、あまりに情けなくって、悲しくって、
不甲斐のない限りに自分には思えるのだが…。
長きにわたり、落胆の限りでしかなかったのだが、
一事がそんな思いを吹き飛ばしてくれてた。
あの日、あの土砂降りが進行する中、突如雨が止み、空に虹がかかったことによって!。
それは2019年10月22日のことでした…
ことは、私の狭量なる邪推など歯牙にもかけずして、
まるで、それを嘲笑うかのように引き起これり。
憂慮は完全に吹き飛ばされてしまっていたー…。
締めとして、どなたかのツゥイッターを転載:
「即位礼正殿の儀」が始まった途端、雨がやみ、皇居をまたぐように低い虹がかかり、
日が差し青空が見え始め 富士山も姿を現して祝砲がとどろく。
ご成婚の時もパレードの時には晴れ間が出ましたよね。
天照大神の御許、これが日本、代々大切に神事を行ってきた皇室への
神々のお礼と祝福なんでしょうね。 」
蛇足:
私は私なりに気を張り続けている。
それは、また…別の、ささやかなれど一助とならんが為に。
まずは多くの人が願わなきゃ。
その為には、しっかりしたビジョンを持てないと…。
途中のは、モモウメの影響だろねー。
おはり