第25話 N.49 、マインドが原因。その⑤。終。

文字数 7,442文字

Q:
But the now has no dimension.
I shall become a nobody, a nothing !

しかしながら、”今”には、次元というものがありません。
私は「自分が誰であるのか/何者であるか」の見当がつかなくなってしまいます。

*興味深い話。ここは真実を言っている。ここでの次元とは時と空間のこと。
 ”

”だけにフォーカスするならば…みな自分で確認してみればいいのだが、
 自己に関して認識は何にも持ち得ない。実体なしの、のっぺらぼうみたいなのにしか
 なんない…。今居る場所に関しても、認識は持たれない状態にしかならない。


M:
Exactly. As nothing and nobody you are safe and happy.
You can have the experience for the asking. Just try.
But let us go back to what is accidental and what is spontaneous, or natural.

(まさ)しくそうなる。
この何者でも誰でもないあなたは、安全で、かつ幸福なのだ。
あなたは求めているものに関しての具体的な体験を持つことができる。
ただやってみなさい。

しかし、その前に、偶発性によるもの、そして自発的創発もしくは自然なものの話に戻ろう。

You said nature is orderly while accident is a sign of chaos.
I denied the difference and said that we call an event accidental
when its causes are untraceable.

想定外の出来事(偶然)は、混沌たるものの表れであるが、
自然は秩序に基づくものだとあなたは言った。

私は、その違いに関して否定し、そのことの発生の原因/道筋が、
我々の知性においては追跡できない理解できない場合には、
偶然性による出来事〈イベント〉と呼ぶ。

There is no place for chaos in nature.
Only in the mind of man there is chaos.
The mind does not grasp the whole -- its focus is very narrow.
It sees fragments only and fails to perceive the picture.

自然の中に、混沌(カオス)などというものの居場所などありはしない。
ヒトの心(マインド)の中だけに、混乱(カオス)たるものは、存在するのだ。

心(マインド)は、全体を把握することなどできはしない。---
そのが焦点を当てれる範囲は非常に狭い。
それは、ただ断片を見ているだけで、そこにある全景を認識することには失敗している。

Just as a man who hears sounds, but does not understand the language,
may accuse the speaker of meaningless jabbering, and be altogether wrong.
What to one is a chaotic stream of sounds is a beautiful poem to another.

音声としては聞こえているが、だがその言葉はチンプンカンプン、さっぱり理解できない。
こんな場合だと「意味の分からん駄弁語りを垂れ流するな」と、その話し手に対して、
腹を立ててしてしまうようなことになる。しかしだ、だが、あなたの認識のすべては、
勘違い、思い違いによるものに過ぎないことは分かるであろう。

あるヒトにとっては、ただの雑音としか聞こえない音の流れが、
別のとある人にとっては、美しい詩であるともなり得る。


King Janaka once dreamt that he was a beggar.
On waking up he asked his Guru -- Vasishta:
Am I a king dreaming of being a beggar, or a beggar dreaming of being a king?

をしよう…

ジャナカ王は、かつて夢見の中では乞食となっていた。

目を覚ましてから、彼はグルに尋ねた。

私は、乞食として生きていることを夢に見ていた王だったのでしょうか?
それとも王であることを今夢に見ている本当は乞食なのではないでしょうか?

The Guru answered: You are neither, you are both.
You are, and yet you are not what you think yourself to be.
You are because you behave accordingly; you are not because it does not last.

グルは答えた:

 あなたが「これが自分であると思うところのもの」、
 もしくは、あなたが「それは自分でないと思うところのもの」、
 そのどちらにしても、あなたではないのだ。
 そして、更にはだ、あなたはその両方なのだとも言える。

 あなたは、”然るべく ”振る舞う/生きることによって在る。
 あなたは存在しない。なぜならそういったことはやがてには途絶えてしまうからだ。

*例えば、あの女医さんだ…。根深く刻まれた社会的コードの塊でしかない。
 それを自身の信念のままにと、正しいと思うところを追求し、語り、行動している。
 皆はそれは当然とみなすであろうが、一歩退いて観ればそれは奇怪なるものでしかない。
 恣意的な色合い、我儘さ故のヒステリー、エゴの求めのままに accordingly に感情は
 流され/染められて/振る舞っているように観える。ただの自動人形。救い難いままだ…。

 知性センター、つまりは人格における信念たるものは、容易く変わってしまえるものだ。(かって人類は天動説を信じ、今は地動説に傾いている。これって両方正解なんだけどナー。)
 それは真実/実存に基づかないヒトのかってな思い込みに過ぎないのだから…。
 本当のところは未だちゃんと分かっていなかった(いない)。

*両方でもあるは、乞食になったのなら乞食として生きるしかないしー、
 王となったなら、王として生きるまででいいではないかーの意味かな?。

 
Can you be a king or a beggar for ever?
All must change.
You are what does not change.
What are you?

 あなたは永遠に王または乞食でいられるだろうか?
 すべては変わりゆかねばならない…。
(しかしだ!)
 あなたは不変なる存在であるのが真実なのだ。
 そうであるあなたとは一体何者か?。

Janaka said:
Yes, I am neither king nor beggar, I am the dispassionate witness.

ジャナカは(ここでピンときて)答えて言った:

 肯定(イエス!)。
 私は王でも乞食でもありはしない。
 私の存在は、冷静なる証人としてあります。

*不動不変の観察者?

The Guru said.:
This is your last illusion that you are a jnani(ジニャーニ),
that you are different from, and superior to, the common man.

グルは言った。

 自分が解脱者(真我の実現者)として”今ここに”あること。
 このことがあなたにっての最後の幻想の砦となるであろう。
 普通の人々を意識して、あなたがもう自分は異なるものだと、 
 彼らより優れたものであると自分のことを思ってしまうこと…。

*もう既に上級者向けのアドバイスでしかない。
 仄かな匂い、気配としてでさえも、わたしたるものの意識を持つな!と。
 この分離こそが、他者との比較対象を引き起こす元なのだから。

Again you identify yourself with your mind,
in this case a well-behaved and in every way an exemplary mind.

As long as you see the least difference, you are a stranger to reality.
You are on the level of the mind.

When the 'I am myself' goes, the 'I am all' comes.
When the 'I am all' goes, 'I am' comes.
When even 'I am' goes, reality alone is and in it every 'I am' is preserved and glorified.
Diversity without separateness is the Ultimate that the mind can touch.
Beyond that all activity ceases, because in it all goals are reached and all purposes fulfilled.


閑話休題、

あなたは、あなた自身のことを、あなたのマインドにおいて識別する。

この場合は、よくしつけられた形で(かって受けた教育に基づいて)、
あらゆる点で模範的(社会規範と照らし合わせて)となるよう
マインドが機能することによってだ。

あなたが、ほんの僅かであっても違いを観る限りにおいては、
あなたは現実に対して、部外者としかならない。
あなたはマインドのレベルにいるのだ。

「私は私自身である」が去れば、「私は

在る」が来る。

「わたしはすべてとして在る」が去れば、「わたしは在る」が来る。

「わたしは在る」でさえ去ったならば、後に残るのは、もう現実だけだ。

その現実の中においては、すべての「私は在る」は保存されており、
そして栄光に包まれたものとなっている。

分離のないところでの多様性は、マインドが触れることができる究極のものだ。

それを超えたとなれば、すべての活動は停止を迎える。

何故ならば、すべての目標が達成され、すべての目的は完全に満たされたことを
意味するからだ。


、介入しま〜す」:

*ここは大変興味深いことを言っている。
 全体性なるものに溶け込むことによって自己と他者との境界面は喪失してしまう。
 されど、不思議なことに、在るが何故か残る。これを支えているのは向こうなのか?。
 さらに、その状態は栄光に包まれた(glorified)ものに

とな!…。

 栄光は、達成されたものにこそ贈られる、かってに備わってしまうもの。
 ここには、祝福するものと、祝福とされる属性が何であるかが問題になる。
 なんかと同体/同質となることによって、あちら側の属性がこちらにも顕れて
 くることになるのだろう。

 ヒンドスタンの文化では、それはブラフマーとなるのだろうが、これは神のことだ。
 宇宙の存在目的は、

と至るよう、それの中で、それの一部として
 生きる生命へと進化できるよう、皆に、各個に、しかるべくの道筋を備えることにある。

 一つの達成に対しては新たな環境ステージが用意されるようできている。
 そしてやがての終局の、最終的な達成においては、すべては停止の状態に至ると。
 これは涅槃として語られるもので、新たなる神々の一人の誕生のことなのかも知れない…。〈介入終わり〉
 
 ps. 目標にはできないな…。

 
Q:
Once the Supreme State is reached, can it be shared with others?
一度、至高の状態に至ったなら、そのことは他者と分かち合うことはできるのですか?。


M:
The Supreme State is universal, here and now;
everybody already shares in it.
It is the state of being -- knowing and liking.
Who does not like to be, or does not know his own existence?

至高の状態とは普遍的なるものだ。”今” そして ”ここ”

誰もが皆、すでにそれに関しては共有しているのだ。

それは存在の状態なのだ。---

、そして


誰が[存在などしたくない]などと思うのだろうか?。
または、誰が、自分自身の存在を、自覚せぬままでおられようか?。

But we take no advantage of this joy of being conscious,
we do not go into it and purify it of all that is foreign to it.
This work of mental self-purification, the cleansing of the psyche, is essential.

自らの存在に

噛みしめることのできる喜びがある。
しかし、我々は、この喜びを、利用することには考えが及ばないのだ。

我々、人類は、この「存在そのものの中に入る」ということをしないし、
純粋に存在するだけに留まることにおいて、不純となる/障害となる、
すべての夾雑思念を取り除く、浄化の作業をまったくしない。

*これがマハラジの流派における修行の要諦。
 ただ在るのみを意識する。これは全センター協調において達成せねばならない。
 全放射の関わりを含めて自己とされる。Gにおいては自己想起にあたるもの。

このワーク(修行)は、メンタルなの意味における自己浄化なのだ。
精神/魂/心を浄化することが、最も本質的な目的である。


Just as a speck in the eye, by causing inflammation,
may wipe out the world, so the mistaken idea:

'I am the body-mind' causes the self-concern,
which obscures the universe.

眼球に入ったほんの小さなゴミが炎症を引き起こし、視野のすべてを掻き消してしまように、
過ちとしての観念が、真実としての世界を、一掃し、見えなくしてしまうのかもしれない。

その過ちとしての観念とは:

 私は「この体と連続した思い/心」として存在するもの。

この認識に基づく自己イメージへの考慮が、虚妄なる関わりとしての想念を引き起こし、
そして、そのことが、世界を不明瞭なるものへと変えてしまうのだ。

*現実を、通常の意味とはまた違った意味で、見失わせている。

It is useless to fight the sense of being a limited
and separate person unless the roots of it are laid bare.

制限されているという感覚、もしくは分離されているというこの感覚。
これらの思いと戦うことは無駄なことだ。

その感覚の根本原因たる物事が、あなた自身によって、暴かれない限りは。

Selfishness is rooted in the mistaken ideas of oneself.
Clarification of the mind is Yoga.

わがままなる振る舞いは、自己中心的であるといった状態は、
自己においての誤った観念に根ざすが故なのだ。

マインドの浄化の行為こそがヨガなのだ。』


*ほとんどの想念が雑念、汚れとされる。
 これを静める、治める、取り除く。
 そのことの極論は、小さなエゴたちを殺し尽くすに等しい。
 これは上級者向け…。



〈終わり〉





この25話における内容は、巨大に「すぎるー」(モモちゃん)。
完全に馬脚を顕すことになるので、あとがきは「やらないーーー」。
どうも皆さんお疲れ様でした。

バイなら


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