第1話  N.86、未知なるものは、 その①。

文字数 5,978文字

邦書ではP. 459〜。内容的に少々割愛します。
次回「いかに...」に転載する抜粋の補足目的として翻訳。
意訳含めるが、直訳ベース。


M:All that happens in your consciousness is your Guru.
あなたの意識に日常起こる、そのすべてが、あなたにとっての導きなのだ。

And pure awareness beyond consciousness is the supreme Guru.
マインドを超えて在る、その純粋な意識体(気づきの本体)こそが至高のグルなのだ。

You ask questions when you are in trouble.
あなたは質問をする。あなたが困ったときに。

Enquire who is giving trouble and to whom.
調べてみなさい。誰が、誰に、トラブルを与えているのかを。

Realisation is of the fact that you are not a person.
あるものの実現化...

真実としては、あなたはあなたが考える「あなたという個人」ではないのだ。
常識的に、(皆が)自分とはなんなのかと問われて、頭に思い描くものではない。
人格として、四六時中同一化しているものは、真実のあなたではない。

Therefore, it cannot be the duty of the person whose destiny is to disappear.
よって、それは(あるものを実現化するのは)人格にとっての義務ではありえない。
それ自身は消え失せるべき運命のものだ。
*(エゴは全力をあげて実現化を阻んでくる。消えたくないので。)

Its destiny is the duty of him who imagines himself to be the person.
(個人にとっての)”運命”とは、ある(勝手な)イメージ/臆見のもと、
自分を、かれこれの「個人」だと[規定する/夢見る/認識する]ものらにとっての、
義務/責任として、(発生してしまう)、存在(してしまう)ものなのだ。
*(運命なるものは人格にとてのみ有効とな?...。これコントロールはできない。
  がっちし宇宙のシステムの中に組み込まれていて然るべき現れにしかならない。)

Find out who he is and the imagined person will dissolve.
『彼』(自意識)が本当は誰で/何であるのかの(解を)を見つけ出しなさい。
そうすれば、空想されていたこの個人はやがてに消え失せることとなる。

Freedom is from something.
自由とは

になる。

What are you to be free from?
あなたが自由になる

ものとはなんだろうか?

Obviously, you must be free from the person, you take yourself to be,
for it is the idea you have of yourself that keeps you in bondage.
明らかに、あなたはあなた個人から自由にならなくてはならないのだ。
あなたは、あなた自身を、あるべき姿へと。

あなたが、自身に関して考える/信じる、すべての観念が/想念が、
あなた自身を拘束状態に、奴隷状態に、押し留めているのだから。

Q: How is the person removed?
この個人とやらは、どうやったら取り除けるのでしょうか?

M: By determination.
決心によって(確固たる意志によって)だ。

Understand that it must go and wish it to go --
it shall go if you are earnest about it.
それは去らねばならない。このことを理解しなさい。
そして、

願うのだ。
もしあなたが真剣にそのことを願うのなら、それは去ることとなる。

Somebody, anybody, will tell you that you are pure consciousness,
not a body-mind.
誰かが、誰でもいいのだが、あなたに告げる...
あなたは純粋な意識そのものなのだと。
体とマインドの一括りなんかではないんだと。

Accept it as a possibility and investigate earnestly.
まずは、この言葉を、可能性として受け入れてみなさい。
そして真剣に、調査/観察/分析をしてみるのだ。

You may discover that it is not so, that
you are not a person bound in space and time.
あなたは、

ではないことを発見することだろう。
あなたは空間と時間に縛られた個人なんかではない。

Think of the difference it would make!
このことの違いが、どう働くことになるか考えてみなさい!。

Q: If I am not a person, then what am I?
もし私が個人としての人間でないのなら、では、なんなんですか?

M: Wet cloth looks, feels, smells differently as long as it is wet.
濡れた布は、濡れる前と比べれば、感触も/匂いもまったく違う。

When dry it is again the normal cloth.
乾いてしまえば再び普通の布になる。

Water has left it and who can make out that it was wet?
水けはそれを去った。
では誰がそれが濡れていたと”今”分かるだろうか?

Your real nature is not like what you appear to be.
あなたの真実の本性は、
あなたが(表に)表しているようなものではないのだ。

Give up the idea of being a person, that is all.
個人として存在しているといった考えを捨てなさい...それがすべてだ。

You need not become what you are anyhow.
あなたが、

になる必要は、とにかくないのだ。

There is the identity of what you are andthere is the person superimposed on it.
あなたとしての本来性は(最初から)存在している。
なのにだ「それの上に!」
個人なる(俺/私といった)誤った観念が重ねられているのだ。

All you know is the person, the identity --
which is not a person --
you do not know, for you never doubted,
never asked yourself the crucial question --‘Who am I’.
あなたが知るすべては個人としてのものだ。
ザ・アイデンティティ...
これは個人ではないのだ...あなたは分かっていない。
...あなたは、かって一度も疑ったことすらない
...かって一度も自身に向かって問うたことがない、
『私は、いったい誰なのか?...何なのか?』この決定的な問いを。

The identity is the witness of the person and sadhana(修練)consists
in shifting the emphasis from the superficial and changeful person to
the immutable and ever-present witness.
(個としての魂/本来性)ザ・アイデンティティは、個人の「ザ・証人」なのだ。
そして(人生における)修練なるものとは:
表面的であり、変わりやすい個人なるものから、
[不変/不動/不易]にして常在の、この証人(観照者)へと焦点を移行させることにある。

Q: How is it that the question ‘Who am I’ attracts me little?
I prefer to spend my time in the sweet company of saints.
どうしてあの質問、”私は誰なのか”は、私を引きつけるに、
わずかにしかならないのでしょう?
むしろ私は聖者たちとの交わりに時を過ごすことを好みます。

M: Abiding in your own being is also holy company.
あなた自身の存在の中にとどまることもまた聖なるものとの付き合いになる。

If you have no problem of suffering and release from suffering,
you will not find the energy and persistence needed for self-enquiry.
もし、あなたが苦悩することがなければ、
そして、その苦しみから解放されることを心底願わないのなら、
あなた自身の、”self-enquiry”、(正真正銘の本然から)の求めに応えるための
エネルギー、そして努力を支える執念を持つこと/見いだすことは、
決して、叶わないだろう。*(ここ抜粋に使いたいの...)

You cannot manufacture a crisis. It must be genuine.
あなたに”危機”なるものを創造することはできない。
それはあなたにとって、『正真正銘の窮地』でなければならないのだから。

Q: How does a genuine crisis happen?
それはどうやって起こるのでしょうか?
それはどのように整えられるのでしょうか?

M: It happens every moment, but you are not alert enough.
それは絶えず起こっている。
ただあなたが十分に注意を払っていない、気づいていないだけだ。

A shadow on your neighbour’s face,
あなたが関わる人々の顔色の変化の中に、

the immense and all-pervading sorrow of existence is
a constant factor in your life, but you refuse to take notice.
計り知れないほどに...、そして

充満している生きることにおける悲しみ...。
これがあなたの人生おける不断の要素なのだ。
しかし、あなたは、これに気付くこと(認めること)を拒絶する。

You suffer and see others suffer, but you don’t respond.
あなたは苦しむ。
また苦しむものたちを見る。
しかし、あなたは何もしない...。
(あなたからは、何の反応、行動も、アクションも、起こりはしない)

Q: What you say is true, but what can I do about it?
仰ることは本当です。
しかしそのことで私に何ができると言うのですか?

Such indeed is the situation.
これが正しく状況なのです。

My helplessness and dullness are a part of it.
私が無力であること、そして怠惰であることこそが、それの一部なのです。

M: Good enough.
十分だ。

Look at yourself steadily — it is enough.
あなた自身を絶え間なく見なさい(観ていなさい)...それで足りる。

*(Gにおいては自己観察なるタームが採択されている。でもマインドが、もしくは
  他のセンターが観察しても、あまり意味がない。それで足りるのはある意味、
  失敗した自己観察。本当に観るの主体となるべき

は、苦しみの中で
  こそ確認できる。これは間違いなく自分だと誤り得ないものだとして...。)
*(これから観れば、これも本当の自分ではない...これもだ...更にはこれもだ...が起こる。
  そしてやがてには、途方に暮れて、生きる屍のように....。ほとんど違うやん、違うかった
  やんとなるので。)

The door that locks you in, is also the door that lets you out.
あなたを閉じ込めるドアは、あなたをあなたを外へと連れだす為のドアでもある。

The ‘I am’ is the door.
”我在り”がドアだ。

Stay at it until it opens.
その中に留まるのだ。そのドアが開くまで。

As a matter of fact, it is open, only you are not at it.
ほんとのことを言えば、それは開いている...。
あなたが、そこに、いないだけなのだ。

You are waiting at the non-existent painted doors, which will never open.
あなたは待ち続けている。ありもしない絵に描いただけのドアの前で。
それが開くことは(永久に)ない。


〈続く〉



『もしあなたが真剣にそのことを願うのなら、それはやがてに去ることとなる。』

*おっそろしく時間がかかる場合もある。かく言う


 三十数年を経ても未だ...。
 とてもとてもタチの悪いものを結晶化させてしまっている





ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み