第36話  N.45 、去来するものに実在はない。②。 

文字数 10,375文字

続行...

Q:
How is it that in spite of so much instruction
and assistance we make no progress?

 これ程までに多くの教えと援助がありながら、
 どうして私たちは進歩しないのでしょうか?。

M:
As long as we imagine ourselves to be separate personalities,
one quite apart from another,
we cannot grasp reality which is essentially impersonal.

 我々が、自分たち自身のことを、個別に人格(人権)があるものだとみなす限りに
 おいては、一人は、完全に、他者から”分かたれたもの”としての認識に基づくこと
 となる。本源的に、現実は、個人などに帰属するようなものではない。この奇妙な
 錯覚によって、我々は、”現実”を把握することが不可能になってしまっているのだ。

「私たちが自分たちを他者からまったく離れた、分離した人格だと想像する限り、
 本質的に非人格である実在を理解することはできない。」

First we must know ourselves as witnesses only,
dimensionless and timeless centres of observation,

 ことの最初に、我々は、我々(の意識)自体を、
 ”単に”「事態を目撃する

」としてあることを理解せねばならない。

 観察の行為自体が為される意識の中心としてはだ…。
 これに、時や空間や次元などの概念はまったく通用しない。

「まず私たちが次元も時間も超えた観察の中心である
 観照者としての私たち自身を知らなければならない。」

*繰り返しとく。『ただ単に、観察

を行うもの…』。
*それはナンの恣意性も持たない。ナンの求めを持たない。
 ただただ冷徹に客観的に見つめるのがその特性。
*これを認識するのはある一事でのみ。何かの対象を価値あるものとして意識したその瞬間に
 

それは

のだがから。Oが存在してない状況では、それは不存在となる。
 だからちょっと難しいのだ。それを発見することは。SとOがあってこれの結びつきに同一化
 して、そのままの限りなら不可能。対象認識が進行中に、その渦中において、又まったく別
 の視点からことを観ることが必要になる。このSは修練において生みださざる得ないもの。
 S’と呼ぶべきもの。観ることの努力の結果、やがてに析出される。
*とある風習で、死者を一晩見張るってのがある。何を見張るのか?。
 

(虫)が天に上がって、神様に生前の罪/悪行を報告するのを阻む。
 それって…これのことでしょ。仏教系のお葬式で自分も参加させられました。
 その見張りってやつを。深夜の時間帯の一角を担当させられた。嫁のばあちゃん。

and then realise that immense ocean of pure awareness,
which is both mind and matter and beyond both.

 そして、それから、悟るべきなのだ。
 知るがままの認識の世界とは、
 まるで広大なる大洋の如きものであることを。

 その純粋なる認識の世界とは、
 こころ(マインド)と物質性の両方を従えるとともに、
 同時にそれら二つの世界さえをも超越した世界なのだ。

「そしてそのとき、マインドと物質の両方であり
 そのどちらをも超えた広大無辺で純粋な意識の大洋を悟るのだ。」

*宇宙の丸ごと”が”か?。ダイレクト・コネクトにおいて。

Q:
Whatever I may be in reality,
yet I feel myself to be a small and separate person,
one amongst many.

 ”私”なるものが、真実においては、如何なる存在であろうとも…、
 しかしながら、私には、自分というものが、見すぼらしく、卑小で、
 孤立しているかのように…大勢の中の一人でしかないと感じられるのですが…。

「実在において私が何であろうと、
 私は小さな分離した数多くの中の一人の個人だと感じます。」

M:
Your being a person is due to the illusion of space and time;
you imagine yourself to be at a certain point occupying a certain volume;
your personality is due to your self-identification with the body.

 あなたの個人としての自覚は、時間と空間の観念に基づいてしまっている。
 これら時空の観念は、[幻想/錯覚/鋳型]にすぎない。あなたは「自分は確かに、
 この場所において、自分は自分としての空間を占領している」とイメージする。

 この、あなたの個人としての認識は、あなたが、あなた自身の体と
 同一化することによって初めて成立するものなのだ。

「あなたが個人として在るのは、時間と空間という幻想のためだ。
 あなたが自分をある容積を占有する、ある点だと想像しているからだ。」

「あなたの人格は身体との同一視によるものだ。」

*絶え間ない自己同一化の問題がクロースアプされている。
*しかしだ、このマインドの様式/作法そのすべては、自然が用意したものではないのか!。 
*これがあるからこそ、ヒトは独自にて世界を読み解く能力が備わったのだとも思う。
*ベースは知恵の実で、その獲得は、過ちによるものだった所に何かの問題があるのかな?。

Your thoughts and feelings exist in succession,
they have their span in time and make you imagine yourself,
because of memory, as having duration.

あなたの考えや感覚は連続性の中に存在する。
それら考えや感覚は、なんらかの活動や作用がなされる”期間”というものが存在する。
*(spanと表現するのは、それがホン短い間のことでしかないことを含意している)

そして、その短い期間において、あなたは自身を主体イメージとして想起する。
その記憶を原因として、自己には間違いなく連続性があると勘違いするのだ…。

「あなたの思考と感情は時間の連鎖の中に存在し、記憶があなた自身を
 ある期間、存在し続けていると想像させるのだ。」

介入:

そろそろ、えらいことをマハラジは説き始める。

大変にショックな話しをだ…。

記憶の実際は、まばらにして、まだらなものでしかない。空きのある、記憶のない、
無意識/無自覚としての時間がやたらめったら点在している。このことは自己観察において、
絶え間ないあれやこれやの気分や考えへの自己同化を、実地に観察できれば分かる話し。
意識ある間でもいろいろなのだが、更にだそれにプラスして、欠落の、茫漠たるの、ウロが
入りたるの、そういった時間が

ある。そんでも行為自体は止まず。自覚無く、
えげつないことやってる。そんで(救い難いのは)その事実を全く憶えていないってことー。

それでも、なのに、自己の連続性は保たれてあるとするならば、これはもう欺瞞でしかない。
引っ掛かりがないよう、そこに違和感を感じないで済むよう、そうしてくれてる何か共犯者めいたものがいるってわけだ…。つまりはそいつがマインド。これがその間隙における帳尻合わせをそれとなく行なってくれている。なので、自分がいつも同じ自分であるなどと考えるのは、自分に対するいかさま、勘違い、思いこみにすぎない。このことは自分では、終ぞ、気づけないようになっている。マインドが裏方で果たす、この暗示/再編集/洗脳、宿主との関係をねんごろにするべくの斡旋のおかげで…。

この舞台構造そのものを

と、ヒンドスタン系は認識する。


*再開:

In reality time and space exist in you; you do not exist in them.
They are modes of perception, but they are not the only ones.

 あからさまな現実においての話をするならば、
 時間と空間は、あなたの(意識の)中に存在する。
 あなたがそれらの中に存在するわけではないのだ。

 それらは認識におけるモード[作法/枠/型/様式/流儀]なのだ。
 しかしながら、それらが唯一というわけでもない。

「実際には、時間と空間があなたの中に存在する。
 あなたが時間と空間の中に存在するのではない。」

「それらは知覚の様式だ。
 だが、それらがすべてなのではない。」

Time and space are like words written on paper; the paper is real,
the words merely a convention.

 時空というものは紙の上に書かれた言葉の文字のようなものだ。
 確かに、紙そのものは現実だ。
 だが、言葉は(ヒトが作りだした)慣行としての創作品にすぎない。

「時間と空間は紙の上に書かれた文字のようなものだ。
 紙は現実だが、言葉は表現のための約束事にすぎない。」

*大変分かりやすい比喩だ。観念は実在を持たない。観念はマインドの中のみにて有効。

〈今日はここまで!〉

おまけ:

振り返り。

M:
「それらは知覚の様式だ。だが、それらがすべてなのではない。」

*これこそマインドの/人格の/知性の、進歩/高度化たるの、その中身、それの精華では
 ないか!。知恵の実たるものの最たる恩恵。この面における考案/発達がなければ、
 数学や物理、哲学、コンピューターの利用などあり得るわけがない。
*Mは、何も、この観念としての世界を捨てろなどとは言わないだろう。
*要は、自覚の問題なのだ。主となるべきが、その為の、相応しいポジションに着く必要が
 ある。このことに従って、後は、(マインド含めての)他が、これの意向に自動的に従う
 ようするだけ。
*人格のエゴの我執の、超越/超克がヒトにとっては課題となっているまで。
*最後の「すべてではない」は、なんのことを言っているのか分からない。
 他にも制約を果たしている幻想があることについてなのか、それともダイレクトコネクト
 による本源的な了解の道筋が別途あることを言っているのか?。どちらか。


即時、適法最適にて、即応が叶いますように!。
機械性のままでは、これは、まったくといい程、行い得ない。
しようと思ってても、いざとなれば、相応しき運びとはならない。
融通無碍は如何にして手に入れる?
身の内に潜む、囚われて在る

、自由になりさえすればいい…。(崇)


*再開。

M: How old are you? あなたは歳はいくつだね?。

Q: Forty-eight!  四十八です。

M:
What makes you say forty-eight? 
 何をもって、あなたは四十八だと言うんだろうか?。
What makes you say: I am here? 
 何があなたに「私はここにいる」と言わしめるのだろうか?。

Verbal habits born from assumptions.
The mind creates time and space and takes its own creations for reality.

 言語的な習慣は、[仮説/仮定/便宜上]から生まれたものだ。
 マインドが、時間やら空間の[概念を/観念を/イメージを]創造する。
 そして、己が創造物をもって、それらを現実のものとしてしまうのだ。

「憶測から生まれた言葉の習慣だ。マインドは時間と空間を作り出し、
 自らの創造を実存とみなすのだ。」

All is here and now, but we do not see it.

 すべては今ここにある。
 なのに、私たちは、”それ”を見ない/理解しない/受け止めようとしないのだ…。

「だが、私たちはそれを見ない。」

Truly, all is in me and by me. There is nothing else.

 本当の、真実(こと)を話すならば…

 


 


 

…。

「本当は私の中に、私によってすべてが在る。」
「他には何もない。」

介入:

*限りなく

に聞こえるではないかー!!!。
 でもこれがマハラジにとっての真実なのだ。もう疑い得ない、まさに現実そのもの…。
*変換するならば、『すべて、私が認識するあらゆるものは、私が創造したに過ぎない』
 『私の中に、あらゆるすべては立脚点を持つのだ』←⌘つまりはマハラジは神だとでも?。
*もしかしたら、これは仏祖が唱えた『唯我独尊』の境地なのかも知れないー!?。
*あなたさまは、もしや…「ニュー・ボーン・ブッダ?」。Chicoで眼前に現れたのは
 あなたでは?。没年月日: 1981年9月8日(享年84歳) とあるので、ことの約五年前には亡く
 なられている…。
*天村某なる者においては、すべては二重性として捉えるまででここまでの認識にはいない。
*片側は、世界が(神/自然が)何らかの目的をもって創造/演出されている超リアルな幻。
*もう片方は、自分とは違う、また別個の生きた人間そのもの、現実そのものとされている。
 ただしその存在は限りなく自分と等しく、まったくの実在感(リアル深度)を伴っている。
*新たなる人間関係を築くことに怖じけることはあまりないな。慎重に値踏みはするけど。
 強引に危ない冗談の世界「アマ〜ンズ・フ〜ラフ〜ラニン・シッタルニッタル・ワールド」
 にひきづり込む、巻き込むのが私の愛情表現。それは突如、誰にでも、いきなり、見境な
 く、気づいた時には始まっていーるー…。

*再開:

The very idea of 'else' is a disaster and a calamity.

他の/他には/その他の」こういった概念(の創造)こそが、災難であり災禍なのだ。

「””という考えそのものが災いなのだ。」

Q:
What is the cause of personification, of self-limitation in time and space?

 我が身において、これを自分だと思うようになったのは、
 いったいなにが原因だったのでしょうか?。
 時と空間において、これらに制限されることによって自己を認識する...
 この習慣の発生の原因は?。

「人格化の原因、時間と空間の中での自己限定の原因はなんなのでしょうか?。」


M:
That which does not exist cannot have a cause.
There is no such thing as a separate person.

 存在を持たないものに、その起源や来歴などあるものか。
 分たれた、個別の個人などありはしない。
 ただそれだけのこと。

「存在しないものが原因を持つことはできない。」
「分離した個人というようなものは存在しないのだ。」

Even taking the empirical point of view,
it is obvious that everything is the cause of everything,
that everything is as it is,
because the entire universe is as it is.

 経験上の見地からしても、
 すべては、すべてが、原因となっていることは明白な事実だ。

「経験的見地から言っても、すべてがすべての原因で在ることは明らかだ。」

*変換:↓
 すべての現象は、すべてを包含する宇宙の構成、そのすべての要素が、
 関係していることはは歴然とした真実だ。

 すべては「そうで」「そのようにで」あるのが、そのまんまなのだ。(w)
 何故ならば、宇宙としての全体性そのものが、
 まさにそのようにして在るものなのだから…。*(これが『自然』の意味ー!)

「すべてはあるがままだ。」
「何故ならば、宇宙全体があるがままだからだ。」→「自然だからだ」

Q: Yet personality must have a cause.

 しかしながら、個人性というものには、なんらかの根拠があるはずです。

「それでも人格に原因はあるはずです。」

M:
How does personality, come into being?
By memory.

 如何に/どのようにして、個人性というものは、
 現実の中に登場してきているのだろうか?。
 それは”記憶”においてだ。

「人格はどのようにして存在を持つのだろうか?」
「記憶によってだ。」

介入:
個人的に、

(記憶/観念)が、すべての元であるとは思わない。

”なるものがあると

いるから。
③の中で、できるようであれば語ってみたい。

少し触りだけやっておくと…。
それは、周りとの関係性において、(個人としての)独自色が著しく際立っている場合だ。
そうであるが故に、自然と最初の最初から孤立性/隔絶性が宿命づけられてしまうような?。
酷い例えだが、惑星群の中にて恒星たるは、同じ星、同じ係累としてあり得るのだろうか?。
こちらの呼びかけ/思いにも関わらず、不可避的に隔絶が自覚されてしまう魂のフィールド。
開かれてありながら、周りからの影響/関係を十分に受けながらも、その孤独性を自覚せずに
はおれない魂…。簡単に言えば醜いアヒルの子的存在だ。だからこそ自分はキリスト教徒と
なるべくと導かれたのだと思う…。

だらだらと戯言いってるが、感受性の問題なのだ。
それは、あまりに鋭すぎる…。拾ってくる感受する情報量があまりに多い。
それは…同時に”あの道”を背景にて伝ってくる情報をも含んでいる…。

他人の視線って気づくのって早いじゃん。
”何において”この気づきが起こっているか知ってる?。
空間をナンらかの”ビーム”が走っているわけじゃない。

中断。
 そして、
再開。

By identifying the present with the past and projecting it into the future.

 過去に渡っての蓄積されてきた記憶、そして未来に向けての夢の投影。
 これらをもって、現在の”私”たるものは自覚され/規定されている。

「現在を過去と同一視し、未来へと投影することによってだ。」

Think of yourself as momentary,
without past and future and your personality dissolves.

 あなた自身を、とある刹那の、一瞬においてのみの存在として考えてみなさい。
 過去に関する何事も、未来に関するあれこれも、一切の関わり事は消えてなくなる。
 そうであれば、あなたの個人性/個人としての認識は、完全に根拠を失い、そして
 解消してしまうことになるだろう。

「あなた自身を過去も未来もない、一時的なものとして考えてみなさい。」
「あなたの人格は消え去るだろう。」

介入:
真実ではあるが言葉足らず。
人格からの分離が決定的となるまでで、マインドの機構そのものは背景として残る。
よって、そこからが聖戦の始まりなのだ。バッファー(人格)の破壊を目的とした…。
追記:皮肉なもので、戦えば戦うほど、両者ともに強化されていってしまう。そんで、
何やっても所詮は無駄なことなのだとの絶望の感慨がもたれてくる。この思いの深まり
こそが必要なんだ。死たるを意識的に死ぬはそれは恐ろしい事態。これによって初めて…。
よくできてるんだ。
*再開。

Q: Does not 'I am' remain?

(ならば、あなたの教えの要諦としての)

 『

』も残りはしないのでしょうか?。

「『私は在る』は残らないのでしょうか?。」

M:
The word 'remain' does not apply.

 「残る…」とかどうとかいうのは、

においては当てはまらない。

 「残るという言葉は当てはまらない。」

'I am' is ever afresh.

「私は在る」は絶えず、永遠に、新鮮にして鮮明なる確信としての
 自覚としてあるものなのだから…。

「私は在るは常に新鮮なものなのだ。」

You do not need to remember in order to be.

 あなたは”在る”ことにおいて、何かを覚えておく必要はまるでない。

「あなたが在るために、覚えている必要はない。」

As a matter of fact, before you can experience anything,
there must be the sense of being.

 実際、事実として、あなたが何らかの経験をするためには、
 そこには、あなた自身の存在としての[事実/感覚/自覚]が
 なくてはならないものなのだ。

「実際問題として、あなたが何かを経験する前に、
 そこには

がなけければならないからだ。」

At present your being is mixed up with experiencing.

 現時点における、あなたの存在は経験と混ぜこぜになっている。

「現在、あなたの存在は体験することと混同している。」

*現在を処理するマインドによる覚知の内容と、存在自体の判別がついてない?。
*だから自覚的に判別がつくようになりなさい?。

All you need is to unravel being from the tangle of experiences.

 あなたにおいて、必要なことのすべては、
 存在を、経験とのもつれた関係から解き放つことにある。

「あなたに必要なことは、体験のもつれから存在を解きほどくことだけだ。」

Once you have known pure being, without being this or that,
you will discern it among experiences and
you will no longer be misled by names and forms.

 純然たる、まさに『存在する』の意味での、

と、
 なり果てるの感覚を知りさえすれば…。

 これやら、あれやらとしての、ラベルの紐付きの存在としてなんかでは全くなくで…。

 あなたは『自己の存在』たるを…
 経験としの(記録された)記憶とは全く別ものとして
 見分けることができるようになるであろう。

*例:高二の時は生徒会長やってて、一流大学ストレートで、そんで一流保険会社に
   入ってさ〜、今じゃ年収数千万で、身長百八十近くって、ハンサムで、スタイル
   よくってさ〜、これが「俺っちじゃ〜ん」。 ←死ぬほど裏山鹿。

 名称やら、タームやら、コードやら、社会的通念など…
 肉体としてやら、目に映る様子としてやら、見栄え容姿など…
 
 こうした観念としてだけの、幽霊のようようなものによって、
 勘違いして/見当違いして/


 そんでもって馬鹿げた行いをしてしまうことは、
 もうなくなるだろう。

「一度あなたが、あれやこれとして在ることのない純粋な存在を知ったならば、
 もはやそれを体験の中から認識することも、名前や形によって惑わされる
 こともないだろう。」

Self-limitation is the very essence of personality.

 自己を限定すること。
 あれやこれやの思考をもって、自己たるのイメージを形作り、
 そのことにおいて、よって、制限を制約を自身に加えてしまうこと。
 これこそ、個人性なるものの

なのだ。

「自己限定は人格の主要な本質なのだ。」


〈③へと続く〉



*まあ私めの翻訳は、おふざけ満載の、ストレス発散の面もあるから…。
 絶対に名訳を目指しているわけでは



*そりゃ、厳格に、真面目に、この仕事に取り組んでおられる方々からすれば、
 嫌われるわ「なーっ!」(フツオ)(w)



*再掲:

『あなたにおいて必要なことのすべては、あなたの存在を、
 経験とのもつれた関係から解き放つことにある』

一旦、神ではないかとあなたが思う、その天の存在も、聖書等のキリスト教文脈から学んだ
の諸所の教えも、それら一切合切を捨て去り、純然たるあなたそのものへと帰りなさいだ。
これが個人的な、私へのメッセージとなってます。

これは、ある種の、聖霊よりの示唆として、真摯に自分には受け止められている。
人生の局所、それぞれ節目において、そこで必要とされる課題が現れてくるまで…。
神がそれを求められるが故に、神を一旦脇に退けてを、せざる得ないのかも知れない。

つまりは、やはり、今さら洗礼も必要なかったと…。

「AMのみに沈潜するといった時間を今のあなたはとりなさい」ぐらいかな?。

いやいや○○に向けて、これからの

なのだろう…。


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