第3話  N.86、未知なるものは、 その③。

文字数 5,267文字

Q: When you sleep, are you conscious or unconscious?
あなたは眠っている間、意識があるのですか?、それとも無意識なのでしょうか?

M: I remain conscious, but not conscious of being a particular person.
意識はあるが、特定の、個人のものとしてではない。

Q: Can you give us the taste of the experience of self-realisation?
あなたは、我々に、自己実現の経験を、味あわせることは可能ですか?
(神我なるものを実現すればどんな風になるのか、先持って経験したいのです)

M: Take the whole of it!
その味わいのすべてを(今ここに)もっていくがよい!
It is here for the asking.
求めるもの、正にそのものが、今ここにある。

But you do not ask.
なのに、あなたは求めない。
Even when you ask, you do not take.
求めるときでさえ、あなたは取ろうとしない。

Find out what prevents you from taking.
何が受け取ることを阻んでいるのかを知らなければならない。

Q: I know what prevents -- my ego.
私は阻んでいるものの正体を知ってます。ー それは私の(人格)エゴです。

M: Then get busy with your ego -- leave me alone.
ならば、あなたのエゴとよろしくやってなさい--私を(もう)一人にしてくれ。
私をもう煩わせないでいてほしい。

As long as you are locked up within your mind, my state is beyond your grasp.
あなたがあなたのマインドに閉じ込められている間は、
私の(解脱者としての)状態は、あなたの理解の遥か彼方のものでしかあり得ない。

Q: I find I have no more questions to ask.
私は、もう、お尋ねすることがなくなってしまいました...。

M: Were you really at war with your ego, you would have put many more questions.
あなたが、本当に、あなたのエゴと戦っているのなら、
あなたはもっと多くの質問を持てただろう。

You are short of questions because you are not really interested.
質問が少ないのは、あなたが本当には興味がないからだ。

At present you are moved by the pleasure-pain principle which is the ego.
現時点では、あなたは、エゴそのものであるところの「快楽/苦痛」の原理に
よって動かされている。

You are going along with the ego, you are not fighting it.
あなたはエゴに沿って生きている。
あなたはそれと戦ってはいないのだ。

You are not even aware how totally you are swayed by personal considerations.
あなたが、個人的な考慮(都合)で、あなたの行動全般が一体どれだけ
「左右されている/支配されている」のか、
知ってさえ(分かってさえ/気づいてさえ)いない。

A man should always revolt against himself, for the ego, like a crooked mirror,
narrows down and distorts.
人間は、絶えず自身に逆らうべきなのだ。なぜなら、それはエゴなのだから。
エゴは「歪んだ鏡」みたいなものだ...、視野を狭窄し、真実を捻じ曲げる。

It is the worst of all the tyrants, it dominates you absolutely.
エゴは、あらゆる暴君たるものの中で最悪のものだ。
それは、あなたを絶対的に支配してしまう。

Q: When there is no ‘I’ who is free?
「私」がないとするならば、いったい誰が自由になるのでしょうか?

M: The world is free of a mighty nuisance. Good enough.
世界がだ。大いにウンザリさせてくれるものから自由になれる。

それだけで十分だ..。

Q: Good for whom?
では、”誰”にとって、(このことは)、良きことになるのでしょうか?

M: Good for everybody.
みなにとってだ(笑)。

It is like a rope stretched across the street, it snarls up the traffic.
(エゴ)は通りに張られたロープみたいなものだ。交通の邪魔になる。

Roll up, it is there, as mere identity, useful when needed.
Freedom from the ego-self is the fruit of ” self-inquiry ”.(*)
ロープをそこから巻き上げなさい。それを単なるアイデンティティだと思って。
それ(アイデンティティ)は、必要とされるときには役にたつ。
エゴとしての自己から、自由になることこそ、
自己(の要求/を探求する)にとっての成果なのだ。

Q: There was a time when I was most displeased with myself.
以前、私は、自分自身に憤りを感じてました。

Now I have met my Guru and I am at peace, after having surrendered
myself to him completely.
今はグルに出会えましたので、私は心やすらかに過ごせてます。
私自身を、完全に、彼に「明け渡し/委ね/預け」ましたので...。

M: If you watch your daily life you will see that you have surrendered nothing.
もし、あなたが日々の生活を注意をもって観るならば、
あなたが何も明け渡していないことに気づくだろう。

You have merely added the word ‘surrender’ to your vocabulary
and made your Guru into a peg to hang your problems on.
あなたは単に、「サレンダー」という言葉を、語彙の中に持っているに過ぎない。
(それの本当の意味を理解もせずに)
そしてあなたは、師を、あなたの問題を結わい付ける杭にしたまでだ。

Real surrender means doing nothing, unless prompted by your Guru.
本当の意味で、「サレンダー」とは、師に促されること以外、何もしないことなのだ。

You step, so to say, aside and let your Guru live your life.
あなたは歩む...それは言うなれば、
師の脇に控えして、「彼」に、あなたの人生を生きてもらうに等しい。
(これがサレンダー)

You merely watch and wonder how easily he solves the problems which to you
seemed insoluble.
あなたは、なんと彼は簡単に問題を解決するのかと見てて不思議に、ただ思う。
それらの問題は、あなたにとって解決不可能と思われたものだ。

Q: As I sit here, I see the room, the people. I see you too.
ここに座っているで、私は部屋を見渡せます。
ここにいる人々、そしてあなたも見えるのです。

How does it look at your end?
(たどり着かれた境地において)あなたは、どのよう見えているのですか?

What do you see?
あなたは何を観るのですか?

M: Nothing.
なにも...

I look, but I do not see in the sense of creating images clothed with judgements.
私は観る。しかしいろんな判断や意見をまとったイメージ...
これを湧かせて、の意味で、見ることはない。

I do not describe nor evaluate.
私は言葉を紡ぐこともしなければ、(良い悪いの)評価/判断もしない。

I look, I see you, but neither attitude nor opinion cloud my vision.

私は観る。私は了解する。
しかし、気持ち(感情)が、意見が、私の視野を曇らせることは共にない。

And when I turn my eyes away, my mind does not allow memory to linger;
そして、私が視線を他方にやったなら、私のマインドは、
記憶が居座ることをもう許しはしない。

it is at once free and fresh for the next impression.
即座に自由解放にされる。
そして次の印象に対して、真っさらの状態になっているのだ。



〈続く〉




つけたり:


Re: self-inquiry

”自己探求”って訳されてる。
ラマナマハリシのキータームなんだって。
ラマナは苦手なんだよな〜。


以下はWikipediaを機械翻訳したもの。


(サンスクリットビチャラ、jnana-vichara またはātma-vichārとも呼ばれます)は、

ラマナマハリシが推奨する「私」または「私は」という内なる意識に対する
絶え間ない注意です。 「私」の考えの非現実性を発見する最も効率的かつ直接的な方法。

ラマナは、「I」 思考は消え、「I-I」 または自己認識のみが残ることを教えました。
これにより、「存在に対する楽な認識」が得られ、これにとどまることにより、
この 「II」 は徐々に 「I」 思考の上昇を引き起こすバサナを破壊します。
「私」-思考は再び上昇することはありません。それは自己実現または解放です。



理屈屋が書いたのか、全然意味が分かりませんね〜。

「 I 」は大勢いる。キリスト教では「レギオン」だ。

消えねえよ。滅ぼそうとすれば全力で争ってくるよ。
戦えば、そしたらば、益々、強力になって行くよ。
目的意識を固く持つことがすでに背理になる。

各個人でその陣容、状況、性質は違うよ。
えらくタチの悪いのを囲っている人もいるよ(ME)。
落ちねえよ( all 三又調で)

でっ、内的「軋轢/闘争」になるわけですね。
これが真の意味における聖戦と呼ばれるもの...。

記述者が言っている「 II 」って本質や真我のことなんだろね。
最初から完全体で完成してるって...。

正しくもあり、誤りでもある。

沈んでしまったアトランティスをサルベージするにはめっちゃ重労働がいる。
地殻変動とやらの為に、幾層ものプレートの下敷きになってしまってるんだから。
よって、かなりのエネルギーが(個人によって違うが)必要。

超・超・長期の努力がここに必要となる。(輪廻数億回との説も...)

それと天からの、仏たちからの、導きも必須。

真の努力のあるところには、その片鱗を味わう機会が、間違いなく準備されます。
これは出来不出来は関係ない。”背一杯さ””切なさ””いじらしさ”が鍵なんだろうなと思う。
憐れみとして、元気付けとして、『平安』が与えられるのです。

これは幸いに恵まれましたので、保証できます。
何ものとも比べようがない情緒で、ほんの一時だけ満ちる。。。





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