第31話 本稿④。
文字数 2,551文字
再びこの木の絵に戻ります。「あの河はどこいったのか?!」。
河は横軸の
時間
へとなり変わります。それだと…「なんか気持ち悪い」と思われたあなた!。その感覚は全くもって正しい!。
まったくの別モンです。そんな置換がきくモンではありません。単純にして乱暴の狼藉の
限りでしかない。でも便宜上そうします(キッパリ)。w。
Re: 時間について。
*あれは創造の【波動】だから、ただ単に”現実”を結んでゆくだけ。
諸相を具現化/実体化/組織化してゆくもの。
*W46の時点では既に振動数はかなり落ちている。
その意味としては、物質性への偏りが自然と大ききなっちゃうってこと。
簡単に言えば、無骨で粗雑で融通の効かない手間のかかる世界となっちゃう。
*下方へ川下へと向かえば向かう程、粗雑さは増し、いろいろと面倒くさい融通便宜の
きかない世界となる。この辺のイメージをもってもらうためのロールの例えだった。
坂は益々急になり、傾斜角はもう立つにはキッツイ立地となってゆく…。
*ここで、源泉への遡行となる(結果としてそうである)、意識的な生の営みがないままに
生きた場合の話をしておこう。
*物質なるものの特徴であり定めである崩壊/退縮/退化/分散が
己の内外にて進行するのはやむなしだ。簡単には老化であったり、老朽化と言うべきか…。
身の回りの方々、諸々の事象事態の変遷においてで察して欲しい。
先に言っちゃう!。生きた印象のダイレクトな感受が欠けているからだ。
あれやこれやの理屈じゃない理屈抜きの真新しい印象ってやつがだ!。
このひとひらの如きの印象の一閃をもって、己がうちのすべては、
あるべきのフォーメーションへと一新され得る。生は矢庭に賦活される。
このことはこの辺で止めておこう…。
*この状況の/状態の変化のことを、益々もって、いよいよ歓迎しない影響下への移行の
ことを「時間の流れ、その経過によるもの」とヒトは勝手に関連づけて呼んでいるだけ。
だが、多分、これは違うぜ…。
*生活世界は無限に分割化ができるー!。微分化のことね。
熟練の職人さんならばミクロの世界も指先一つでなんとでもできる生活世界ー。
水源から始まる河の行程のすべて、その生活世界のすべてを思い浮かべて欲しいまで。
*ほんの僅かな位置的な変化であっても、環境からの影響はえらく違ってきてしまえる。
各人にとっての感受性の限界(つまり粗いせいで)、また生活におけるリズムってのが
生き馬の目を抜くってほどの慌ただしいモンだから、なかなか気づけないでいる。
*気づけないからこそ、そこにある恐ろしさにも無頓着でいられる…。
ゆっくり下って行ってたからよく分からなかった…。
際まで来てようようやっと分かった…。でももう遅いや…。
*時間には二種類あるのだ。
*一つは物理的なもの。時計が表示してくれるもの。
*もう一つはヒトが内面において意識する得体の知れない観念的なるもの。主観的なるもの。
*前者はある意味、ヒトにはあまり関係のないもんなんだ。算盤の玉ほどの意味しかない。
*ところがだ、後者だ!。こいつが曲者なのだ。
この幻の如きを、時間と呼んで実在のものだと思い込んでいる。
*だから~、内面で感じられる主観的な時間ってのは〜、一種、脱落によって引き起こる
現象でしかないのー。つまりは、あるべき、定められし、求めらしの状態から外れること
逸れることに伴って起こってくる感覚。なんか息が詰まるってくるとか、つまらないとか、
とにかく苦痛として感じられる状況状態。(そんでスマホに救済を求めるのだ。)
*有機生命体としての本分を、お座なりにしていることの結果として、
そのことへの警告通知なのかも知れない。自然からのね…。
*まさに下流の方へと、流れにもってかれている事実の反映として、
時間とは意識されてしまうものなんだ。
現に、楽しさの塊となって、全力をあげて何かに取り組んでいる場合、
時間など意識することなどまったくないではないかー。
*完全に目を覚ませれれば、意識的に生存できさえすれば、その観念は、影響力は、
薄らいでいってしまう。例え、物理世界で我が身が死んで腐って体がなくなっていく
としても「それがなにか?」になってしまう…。www。
時の観念から、その縛りから解放される可能性があることだけは、大きな声で言っておきたい。
*天からの流出(emanation)による創造作用は、この地球においてはもう機械的で惰性的な
展開でしかない。なので、天のご意志、上位からからの導きを助けを求めるなら、イレギュ
ラーな振動発信をするしかない。これは真剣な魂からの願い/求め/祈りに他ならない。
*この祈念に対しての、天による反映を応答を、状況の変遷に確認した時が、
正しく信仰者冥利に尽きるってことなのかも知れない。
*いや信仰は関係ないな…。決死の覚悟で真剣に何かに取り組むことが鍵だ。
何も頼るものがないままにリスクをとれる人間こそを天は庇護する。微笑む。
真新しい印象が数珠繋ぎとなって起こってゆく。
爆発的に新規の情報が登場してくる。
求めるを具体化するべくのその道が、はっきりと予見されるようになる。
こういった非日常的な、反自然的な発信が/祈念が個人によってなされるのは、
一体どんな、如何なる状況であろうか?。
多分、生存の可否が問われるような、差し迫った状況に他あるまい…。
*ここで切ります。
〈続く〉
本来は”苗木”の創造について、それの獲得についてがテーマだったんだが…。
出だしが長すぎ。次回はそれやります。
そして、なんと、とうとう、初代恵比寿マスカッツの話も無理からに挟み込みます。
彼女らは、とある時節の自分には、天使にも等しい存在だったんだ…。