第13話  八支則

文字数 6,591文字

本稿は、”あの方便としての嘘話”を補完するためのものです。
それもコンパクト版。本体は未だ待機中。←公開した。あの「シチュー」のことです。

では改めて、創世記より:



For Adam and his wife,
the Lord God made tunics of skin, and clothed them.(King James V.)

『アダムとその妻のために、
 神は獣の皮膚(皮)を剥いで衣(チェニック)をつくり、彼らに着せた』。

これを「準霊的存在たるヒトが、獣の肉体に入れられた」と解釈した。可能だと思うよ。
その目的は獣性との闘争が霊においてなされる為に。もう確執葛藤は避けられない。
この火が激しく燃えたつことによって初めて浄化は果たされる。

以下に、ヘブライ文化圏由来のものではない、ヒンドスタンにおける権威ある戒律を
あげてみたい。同じ論調がひそんでいるかどうかを確認してみてください。

太古の昔にパタンジャリなる聖人が記したとされる教えの書、
ヨーガ・スートラより、八支則なるものをまずは取り上げます。
これをベンチマークとすべく。


1-1.暴力ふるってはいけません。殺生は絶対にいけません。


 命あるものの、その命を奪ってはいけない。
 傷つけるようなことをしてはならない。言葉であってさえ…。
 元々の本意は、”相手に苦痛を引き起こさない”とされている。
 モーゼの十戒にも同じ内容がある。
 イエスにおいては、山上の垂訓に類する内容がチラホラと…。
 そして発展形としての『すべて、他人になされんと汝が欲することを汝はなせ』がある。
 動物の世界では弱肉強食が食物連鎖を支えているので当たり前。


1-2.誠実に生きなさい。正直、真実、真理、悟り等を指針とせよ。

 反語的に「嘘をつかない」が解説としてよく用いられるが、何か焦点がボケるような…。
 相手/世間に迷惑かけるのも理由だが、自分自身を偽る癖がつけば、これは後日大変な
 障害となる。秘訣はだ、自分を、その自尊心(プライド)を、また執着するあれやこれやを
 手放してしまうことにある。たぶん、そういった試みの機会は、一生を通じて山程あると
 思うよ。Passio Christi, conforta me. の祈りの元に。あれはね〜方便どころか真実丸出し
 かもよ?。十戒の中では「偽証するなかれ」がある。やっぱり嘘はダメよになるのかな…。


1-3.他人のものを盗んではいけません。

 無神経。恥知らず。図々しいにも程があるってなもんだ。だがこの衝動は根深い。
 これこそ獣性の端的な現れ、その本能の最たるものではないだろうか?…。

 男女を年齢を問わず盗みを行わないものはいない。意識的,無自覚的にはさて置いといて。
 状況が整えば簡単に即座に「ゴー」のスイッチは入ってしまう。これに抗うことは並大抵の
 ことではない。激しい苦悩が伴う。幼ければ意思は弱く抵抗は不可能だ。 

 しかしだ、奪われる側の立場ってのはどう考えとるんだろう?。
 大人ともなれば相手の立場に立ってその顛末を想像することはできるはず。
 彼はとても困ることになる…。

 相手の存在が希薄とされるなら、いずれ、あなたの生きている世界も、あやふやなものに
 なってしまう。現実から遊離した状態へと知らず知らずのうちに、やがて完全に至って
 しまう。確実に…。

 それは人としての感性が機能不全となってしまうことを意味する。
 結果、本当の幸福は完全に失われる。見失われる。
 夢見で、かってな思い込みだけで、人生、世間を渡ってゆくこととなる。

 「おお、こッ~わー」。


1-4.禁欲。自己統御。

 本来の意味は、「簡素に生きる

…。それの実践でなんもかんも捨てて、
 孤独に生きるとなった。しかし、こりゃ〜ラジカル過ぎやしはしないだろうか?。
 これが叶うのは特別な境遇だろうね。そんで自給自足で生活しなさいって…。
 まさにヨガ行者の生き方。つまりは矢吹駆の生き方、シンプルに生きること
 (ラ・ヴィ・サンプル)。

 なんでも性エネルギーを浪費せずに変容するのが真の目的らしい。
 特殊な錬金術的奥義が絡んでいる潜んでいるとかいないとかw。
 だから自己統制がでてくる。

 この辺は、Gが少しフラグメンツの中で説明してた。
 とにかくにもだ、性に関してならば男女ともに溺れやすいのは事実だ。
 獣性の由来のものとして、あまりに強力な影響力を及ぼすものだから。
 交尾を行わせる為の強制力。呪いだ。
 実際、若き日にこれを行うのは無理だろうね。

2-1.満足しなさい、してなさい。足るを知りなさい。
 

 今の現状、今あるものに満足すること。常に…。
 これはとても面白い。また獣では絶対にたどりつけない境地となろう。
 獣はまず分からんというか、満ちたりれれば、自動的にその時だけはそうなるw。

 あれがないこれがない。あれと違うこれと違う。
 ところがだ、全部、実は間に合っているのだ!。
 すべて揃ってる。それに気づくのが難しいだけ。

 少し変則的な、めんどくさい努力をせねばならないけどねー。

2-2.人生は、苦行、修行、ワークであることの自覚を。

 人生において、環境は、ドラマは、自動的に準備される。
 ならばだ、それらを機会として利用し、簡素たれるように努力するまで。
 単純、素朴、純真を体現すべくの契機としてそれらはある。与えられるのかも。
 ヒトにおいてのみ意識できる課題。


2-3.『汝、貪ることなかれ』。

 十戒のうちにもこれ入ってる。
 ”貪る”ってのはまたエゲツない表現なのだけど、これの方がピンとくる。
 ”浅ましさ”がぐんと引き立つ。これこそ獣性の最たるものだと思う。
 飢えておらず「食い物に恵まれる」は、滅多にないことだろうから。 

 腹八分目って諺もあるので、もう説明は不要ですよね。

 他人のそのさまにこれを思えば、自然と不快感がわき起こってくる。
 この感受性は魂からのものではないか?

 個人的に、未消化の課題が一つある。人間においては必要以上に欲するが、延々と続く。
 この理由、それの原因だ。この現象は動物には見当たらない。
 ヒトの出来上がりが増幅器としての使い用があって、背後に憑物が絡んでくるのでは?。
 どっかでこの妄想は突き詰めたい。
 

2-4.清浄に保ちなさい。


 体と心、そして居住環境を。
 心の場合は、嫉妬や嫌悪などの否定的感情が汚れとされる。
 では、清き心の現れとしてのその内容は?。よう書かんわ…。

 お風呂はいるの面倒くさくない?。
 脱いだ靴はちゃんと揃えてる?。
 使ったお皿を自分で洗ってる?。

 以外と大変。できないことばかりだ。毎日、延々、死ぬまでだぜ〜!。
 でもこれが自然と、当たり前に、勝手にできてしまうようになるんだ。 
 嫌がるエゴを無力化するに伴い。



2-5.学習、向上心
 

 伝統的に聖典とされているものに親しめって。読めって。
 だって身近には、だっれもいね~だろ~って。w 。
 ヒト種だけの内容、課題。


2-6.神への信仰

 信仰深くありなさいって。神ご自身の事業に参加/奉仕/献身しなさいって。
 動物はありのままでこれに適ってる。だがヒトの場合は求められ内容が格段に違ってくる。

 これねー、日々における変化ってやつに対する感受性だけで十分。
 気づきの細やかさ。そして理解力(これのために聖典には親しんどく必要があるんだが)。
 今のコロナなんか良い題材だ。タイミングから言って、これはもう間違いのないこと
 だろうね。現状が完全に偶然によるものなのか、すべてヒトのみが原因なのかの判断を
 してみるのがいい。

 現状は、「ぼくの「わたしの」〈何々の為〉がすべてのはず。
 他人のことなどかまっている暇は、余裕はない。
 そんで、回心のためのドラマが準備されてしまうんだが…。

3.坐法

 静かにただ座ってなさいって。これが行、方法になる。眠っちゃダメよ。
 

4.呼吸法・調気法が工夫の要。

 禅に詳しい。

以外に、こちらには頼りとできるものはない。唯一の武器。
 *(呼吸を意識する。焦点をあてることがね。)
 

5. 感覚の制御

 外に向かってのセンシング~。外の情報を取り込んで素早く反応するのが基本。
 これぞ動物の鑑。この探査、検知の向先を、内部へと折り返し、内界を対象としてみる。
 これが坐法の中身。これにおいて初めて自分に関しての現状を知ることができる。
 その情報の蓄積/それをもってのなんかの理解が繭を切り裂く刃となる。
 エドさん、懐かしいね~。

 
6.集中・精神統一 が課題よって。

 これに関しては無念無想の活劇がイメージされるので獣性も頼りになるんかもね。
 ただ持続とか突き詰めに関してはヒトだけに可能性がある。
 
 
7. 瞑想を奨励。

 これも二種ある。ゼロに至るように行うか、それとも一つのみをひたすら考え続けるか…。
 ヒトだけの可能性。
 
8. 三昧を最上のものとして、これに至れよ

 サマーディなんて言葉で語られるもの、状態。なんのこっちゃわからない。
 真面目にやって、それの数代経てからの話だと思うな。w。 』



次は六道輪廻の図象。これの考案者は仏教徒ではない。
取り込んだけど。

解釈は諸説あるのだけど、簡単にでいこう。

背後の鬼は”死”を表す。ヒトの一生は最後はこれに飲み込まれておしまい。
でっ、これが抱えているのが車輪。ヒトの一生を表す。
六つの世界を今生において循環させられる。

例えば、ビジネスに関わる時節は修羅、餓鬼界にある時なのかもしれない。
畜生界は子供の時。天界にあるのは家庭を構えて安定的な時節なのかもしれない。
これ、かってに言っている。考え方は色々…。

車輪は回転するもの。
でっ、この図象の肝となるのが中心部、車軸の部分。
回転を生み出す動力についてが描かれている。








は、むさぼり、底なしの欲求。鶏が象徴となっている。

は、怒り憎しみ、否定的な感情。
 これが”蛇”で表されているのが自分にはなぜか感慨深い。

は、分かってないこと。何が?。自分が眠っていることがだ!。
 ブタ君がそのことのアイコン。

脱線:

蛇はいいとしてもだ…
豚が、むさぼりだろうよっと思ふ。
そんで痴の鶏は、孔雀だろうよっと…。この場合は虚栄心が中核に据えられる。
かってな思い込み、自己幻想だけで生きているので痴の象徴として可能だと思ふ。
まあ、絵なんだから人それぞれでかまわないと思うんだが www。

閑話休題、
これらの動力によって動かされ、生かされていることから脱しなさいって。

って。

むさぼることがなくなれば、貪は消える。
怒ること憎むことがなくなれば、瞋は失せる
仕組みが解れば、もう痴ではなくなる。

よってもう回転の力は失われる。』

www wwwwwww・・・・


最後は仏教で在家に説かれたのが以下の五戒…

1.不殺生
2.不偸盗(他人のものを盗むな)
3.不邪淫
4.不妄語(その場しのぎの嘘を言うな)
5.不飲酒



おまけ:

カトリックの修道士に向けて説かれた七つの大罪は…

4世紀バージョン
貪食、淫蕩、金銭欲(強欲)、悲嘆、怒り、怠惰、傲慢、

5世紀バージョン
貪食、淫蕩、金銭欲(強欲)、怒り、悲嘆、怠惰(倦怠)、虚栄、高慢

6世紀バージョン
虚栄、嫉妬、怒り、悲嘆、強欲、腹の貪食、淫蕩、

順序の変更に、当時にどれを強調したかったがうかが窺い知れるのが面白い。

だが、個人的に思うのは傲慢としての『驕り、高ぶり、慢心』、
この一点のみが最重要の戒でしょう!。
これは旧約新約にて延々と強調されている神が最も厭う人の性。

以上です。


ここでのモチーフはあの嘘話を前提とするならば、他の戒律はどのようにサウンド
するのか?これの検証をしていただきたかったのです。

そのためには、読者が身近にどれだけ多く動物の生態と接してきているか、もしくは
ドキュメンタリーなどでそれらの実態を見知っているかも関係してくる。

でも、とにかくにも我らヒトも動物種なので、本能というデータバンクには実行プログラム
としてあらゆるすべて(の動物の)を完備しているのもまた事実。

なんとなくとも、何らかの反響は期待できるでしょう!。

そして、最後に強調しておきたいのは、浅ましさに対してヒトが持つの忌避の
感情なのだ。「畜生ー、ケダモノ!」っていう最低の罵倒表現があるじゃない…。

多分、他人の、そうゆう面を、客観的に認めたならば、自動的に、即座に、
拒絶の反応が、ひどい怒りの感情が掻き立てられてしまう。

この反応はなぜなんだろうか?
その主体は何なのだろうか?。
魂の本来性/天来性が故ではないだろうか?。

これがあることこそ、ヒトとしての健全さの証ではないだろうか?。



PS.グループ形成、群体となるのも動物の習性だ。
  そして群れの中では間違いなくによる権力闘争が起こる。必要となる。
  これも動物性由来の様式。動物ならば当たり前。だが…。

  低次の好き嫌い、快/不快の即物的な反射も動物原理でしょう。




おまけのおまけ:


哲学が単に語られるものではなく、まさに生きられるものなのだとすれば、
現象学的還元もまた思考上の操作であることから解放されなければならないのです。
このことなしに、現象学は難問(アポリア)を超えることはできないでしょう。

「還元を思考操作から解放する……。
 それは一体どういう意味だろうか?」(リビエール教授)

認識論的還元を超えて、私の生そのものの還元を企てること。
すなわち実存的自己還元の企て……。

「それはなに?」(ナディア)

簡素な、簡単な生活(La vie simple)を実行することです。
私から、あらゆる余剰を剥ぎとって、もっとも単純な形で生を露呈することです。
家族と職業と国家を、生活の中で無化してしまうことです……。』

『バイバイエンジェル』笠井潔著より抜粋。



ここで、超えがたき〈難問〉とされているのは、労働、家族、神話、叛乱、国家等。
カケルの語る、”La vie simple”は、天からの恵まれものとしてしか実現は叶わない。
できる訳がない…。
それはGの語った第二の河への移動を意味する。
これが為されたことの結果として、初めて”選択可能”となる。
その状況が整うのも天の采配でしかなく、ここでも驚くことになるだろう。
世界の現れが自動的に変化する。した。
どちらにしても失われうものはあまりに多い。
また新たな苦しみも登場してくる。
先は果てしなく、終わりは来ない…。
でも、心はいたく安定する。
全一者が座すことが確事になるから。
これって、最初からわかってはいたことではあるんだけどね…。


現象学はインドの古代哲学に似てると個人的には思う。サーンキヤ、ヴェーダンタ学派、etc。
フッサールは最誕させたのだ。


実はモーゼの十戒も本稿には入っていたのだけど、ある時、正体不明の畏れを感じて削除した。あれはまた別次元の戒律だわ。危なかった…。




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