第53話  TE解説その序。

文字数 11,889文字

まえがき:

今回のこの稿は先のT.E.の解説を目的としたものだったんだけんども〜わけのわかんない話しを混ぜ込みすぎて〜肥大化してしまったので〜稿を別立てることにした。それも更には二部構成としてのものに!。既に「

何処(どこ)()った〜?」(ちゃんミオ)の世界でしかない…。

では、結局、なんの話しなのん?」ってことにおいてともなれば、それは


 その危機的状況においてのお話し、その本質についてだってことにはなるわな〜……。


すでに、どっかでやった、やってもたるの話しさ、その復唱にしかすぎないんだが〜、繰り返します。自分の結論をもう先にここで言ってしまえば〜、ことの要旨のみをここで言うならば〜、

にされて〜の、

にされてしまっての、も〜ての……、オブラートに包んでの表現を採択するならば、良くってゆでガエル…、悪くハッキリ有り体に言っちまえば、民衆そのだれそれみなが、夢見に落ちてしまってて、現状に関しての認識がまったく足りていない。まったく分かっちゃいない、単なる○○?……。



       国家丸ごとコレとしての、国民すべてがこういった状態にある。



やがてにおいてともなれば、総発狂、総白痴化の状態へと至るのがもはや避けがたくしてある、その状況だ。既にいろいろと始まってしまってるではないか…。少なくともパニックと背合わせのあたふた慌てふためいてるだけの緊張状態、そのことの直後にては、意識朦朧茫漠喪失状態へと、やがてには、確実に、すべての皆が、なってしまうことだろう…。(あのゾンビ映画の世界に限りなく近くなる。)←介護難民の高齢者、もしくは新天地を夢見ての移民者たちの成れの果てがあれ…。


追記:
条件が揃えば、整えば、こうならざる得ないってことの理由を、その原因を、表すのが本体においての課題になってる。ある意味、環境と歴史においての制約だってことでもある。…あと可能であれば、八対二の法則において、その残り二としての者たちが、どうなるのか?、どうあれるのか?について。こちら側に、属してあるのが唯依だ。唯依姫だ。状況条件が悪ければ悪いほど、ことの認識において、奮闘への意思を固め、その実際の行為行動において、進化していってしまう……。ことの状況そのものが推進力となってしまってある。スゥイング・バ……。



   さて〜、まずはスタートして、ここで、ことの最初に〜、今更だとは思うんだが、
       あの「進撃の巨人」ってやつを、振り返ってみたいと思う。
 なにせ、TEと世界線を共有するMuv-Luv

の創作だったらしいんでね…。


パラディ島としてのその世界は、四方を、海と城壁によって囲まれるをもって成り立っている。作者は日本人なので、もうこれは確実に、彼自らが住まう

、念頭においてのお話しなのだってことが分かる。なんと彼が後で語ろうと言おうともだ。この事実からは逃れられない。




国家としての明確なる区分、これにおいてどんなどこの国住もうと、そこの住人はアイデンティティーを構える。このことに作者は大変自覚的だ。壁は当然にエゴとしてのその殻、自身を護る為の、その鎧だって事も言える。



この壁は、巨人ってやつが群れをなしてで造られている形成されているんだてことに設定ではなってる。なんのことはない。これは武力だってことでしかならない。攻守を重ね持つべきものとして。それらにおいての肝心となるは、ことは、軍事力

だってこと…。



    これは、他国を、その軍事力をもって、侵略している〜その様子に他ならない。



それこそをもってのみ、相手方の壁を、破壊することができる。境界面をなくすることができるんだってことの訴え。この即物的なる事実を、現実を、もう飽き飽きするほどまでのこの世のあり姿を、作者は描いて見せて訴えてる。なにを?。希望たるものはこの世のどこにも、ないんだってことを……。

そんで、自国の外の様子その状態を知った主人公としてのエレン(作者)は、エレンたち、パラディ島に生きている者たちは、絶望するんだったっけ?。どこもかしこも結局は同じなんだ、おなじではないかーっ!ことで。そこに、救いは、救い手たるものは、存在しなかった。存在はしてくれていなかった…。そこにはそこで、また違った類の、別の”壁が”、ある、あったるまでだったのだから…。自由たるものは、この世には、「どこにもないではないかー!」っと、絶望としてしまうまで。そんで絶叫としての悲鳴を、上げることになる……。そして、狂ってしまうんだ。主人公までもが…。

あの発想そのものが性急にして、いたく平板にして子供。幼児か、お前は?!。

ちょっと端折ると、この作者の間違いは、外の世界を、人の手によってなる世界に

限定したことにある。神秘的な、超自然的なる力、

作品内に、作品世界に、持ち込み、組み込み、利用してで、いておきながら、その神秘としての圧倒的な力を、その設定を、採択しておきながら。結局、最後まで、その力そのものの源泉としてものに、向き合うことはしなかった。できなかったんだろう。逃げたんだ。わけのわからん気色悪い虫を登場されるだけをもって。「大地の悪魔」との契約の部分のことを言ってる。

神たるものが自分はわからないから。今一、確信が持てないから。よって語り得ないものに関しては、ただ黙っているのが得策だったのだろう。結局は、インチキ、詭弁としてのその扱いにしかできなかった…。読解力のあるものらにとっては、多大なる欲求不満を、いやむしろ怒りを、残すばかりとなった。



それならば、あの奇跡のような、それとしての力を作中には持ち込むなよと……。ほんとよくない。作者は結局救済としての、その物語の収斂を見出すことができず、ただワールドワイドにおける名声と巨万の富を獲得したまで、なのだから。回答にかなりの至近距離まで肉薄しておきながら、それへの到達、貫通するを、逃すことになった。なってるって…。

補記:

では何故にあの少女ユミルは大地の悪魔と呼ばれてあるその超越的な存在から力を与えられてあったのだろうか?。そもそもあれは

?。その答えは「神」にしかならない。だから、ならばだ、その理由は

でしかなかったはず。それは弱きものを見捨てるようなことは決してされないのだから……。



それを表す暗示するにおいてはあの宇宙樹であってもかまわないと思う。ならばだ、あのユミルは、神と同体としての存在とならなければならない。あの樹魔における少女ディエンヌが成り果てたるの、人間としてのこだわり/執着等の一切から、開放されてしまってある存在となっていなければならない。もし、その神聖にして偉大なる力を彼女自身が自由自在に振る舞えるならば〜だ!。……それがもし、エレンらと邂逅したならば、彼女はなにを、彼らに伝える、教えるのであろうか?。この辺に関しては自分は語らない。皆さんでその想像力を働かせるべきなのだ。

でも…イエス系で往くならば、とりあえずの窮地たるのをその神聖力において打ち破って、「死に至るまで信仰厚くにてありなさい」か…。もしブッダ系でゆくならば、同じく奇跡をもてその窮地を救って、微笑んだままに、そのまま黙ったままにて、ただ消え去る。なにも言葉は残さない。不文律の、それとしての教え。かき消えたかのようにしてその所在は分からなくなってしまう…ってなところかな〜……。

基本、自分においてのその考えの前提としてあるのは、この宇宙の完全性なのだ。何一つとして無駄はなく、無駄なことなど一切しないのだ。よって、ユミルへの力の供与があったれば、その彼女への監視も怠り無しなのだ!。彼女は変えられる、変わってゆくにしかない。この辺があの作者において突き詰められることがなかったのが誠に惜しい。(樹魔は読んどらんのだろうね…。)ことは自身の肉体のその万全性完全性のことを思い、それとの比較において大宇宙についても考えられるべきなのだ。相応関係にあることはもう絶対に、確実なのだから。

国家を主格として、それが備える巨大スケールにおいてのエゴこそが巨人、ネフィリム…。それにおいての自然と、もうどうしようもなく、勝手に、必然的に、備えられてきてしまう力が、軍事力。よってそれはネフィリムにおいての属性としてのものになる。それにしかあらないのだ。ことは、圧倒的な暴力、世界へのへ滅的なる破壊力、人類全てへの殺傷力、生存環境そのものに対しての荒廃力としてのとして結実し、また機能するもの、その力!。そこに、超自然な霊的な力なんてもんはまったく関係などしていないんだ。

作者は、巨人としての、それにおいての力の解釈に、どっかで道を間違えた。勘違いしてしまった。よけいなロマンを持ち込んでしまった。安易に、軍事テクノロジーに先行する、超自然力の担い手、それらにおいての体現者として、あれら、巨人を、その登場を、採択してしまってたのだ。味噌糞にしたが為に、ことの本質を間違えたその展開になってしまう。このことも必然としての成り行きだったのだ。

もし、心幼きものらのみが持つ、そのロマン性を生かさんとするならば、エレンではなく、ユミルこそを主人公に持ってこなければならなかった。彼女が変化、進歩、進化するに従って、あの巨人の力も大いなる変化、その表現を変えてゆくだ。それとしてのお話しがもしあったれば、究極的なそのお話しのメッセージは、されど、なれども、この世は素晴らしい。まったくもって美しいになるはず。

それとなるべく、それへと至るべくしてのドラマを、現在の日本に生きている皆様は、紡いでいかなければならない。あのドラマにおいてことにおいての決定的な救済策は見いだせはしなかったが、皆様においてはそれこそをご自身の人生において見つけ、また達成するを、果たさなければならないんだ……。



進撃の巨人におけるミカサは、アニメの方なんだが、自分が出会っった女性キャラとしては最も美しい存在になる。とにかく声がすばらしい!。エレンもこころより最愛の人として、彼女を愛してた…。ならばだ、彼エレンは、彼女と伴に、生き延びなければならない!。これは作品としての絶対命題だったのだ。それをだ、どこでどう間違えたのか、極端にいびつにして皮肉な展開を、それを、作者は良しとしてしまってたんだ…。ミカサがエレンの首を刎ねるをもって、ことにおての幕を下ろすのところね。本来は、あそこの課題は、ミカサがエレンを救うにしかあり得ないんだ。だがそれは、死を与えるをもってでは絶対にないはずんだ。それでは絶対にダメだし違うんだ……。

どっかでボタンを、筋道におけるその構想を、間違えた。

エレンが死後、地獄行きになるような展開だけにはしてはならなかった。

ミカサに、エレンを殺させるような真似は、彼女の為にも、絶対させちゃいけなかった。

どっかでプロットの組み立てを間違えたんだろな〜…。

何故だ?。

作者は、キリストのことを、理解してなかったからだ。

救いのない世界に、キリストが何故に来られたのかを。

ほんとうには、なにも、その真実の意味を、理解してなかったから……。

あのドラマを、真にあったこと、リアルなるドラマであったるを、まったく認識していない。


もしそれを認めて受け入れたなら、もはや描けるお話しはなくなってしまう?


ただ単に、自分は、漫画家として、社会的に、成功したかっただけだとでも?。


このままでは作者もまた死後、地獄行き、地獄送りになるんでは?。

実は、作者もまた

存在を実在を、とうに分かってる。知ってるはずなんだ。
意識下においてのことにはなるが…。だからこそ、あの超越的なる力を、モチーフとして、
取り込んであったんだ…。

文化伝統の中には、たとえそれが、大部において既に形骸化を迎えてしまっていても、
かって、それが意味していたもの、ことが、実在していることに、変わりはないんだ。
日本においてとするならば、あの天やお天道様、神様仏様ってことにはなるわな〜。









             蛇足としてのつけたり……。おまけ…。





   契約としてのその内容は絶対に

ならない。何故に作者はそれをホゴにした?。
       その答えは簡単、既に

破綻してしまっていたからだ。
      物語たるものは、背後にては、

、映し出していなければならない。



すべての登場人物は作者の分身でしかないのだけれど、あらゆる表現作品においてそう、
エレンの他に、極端に作者としてもであるのがこの初代フリッツ王。次いでともなれば……




                  エヴィン団長


          この二人は、おんなじ存在としてものでしかない……。


    このユミルこそが、作者が現実において味わったことへの、その思いなんだろう。


物事の道理を、その善悪を、ちゃんと、深くには、理解していない、幼き限りの若者が、その馬鹿ものが、もし権力たるものを握ったら、手に入れたなら、(自身の作品世界内において)、なにをするのかが、よっく、描かれている。あくまでも平板なる二元論に凝り固まっての、そのあげくの無茶を、そのデタラメを、その阿呆〜を、やるにしかなくなるのだ。幼子が砂場で遊んでるにしかないんだ…。それもいたく癇癪持ちの自意識ばかりが高い、その幼子が……w。

そういった、そうしてなるラジカルなドラマは、世間に、悪影響しから与えない、残さないのに……。世の人々は、この彼の奮闘努力に対して、興奮をもっての喝采を、声高らかにして、送るんだ。


        このことは、なにを意味する?してあるのか?。


         みんな未だ幼いままだってことでしかない。


        この、あの〜、あれら、類似の作品からは、目を背ける、
        唾棄してあるものらのみが〜、正常……唯一、まとも‥。



                How about you?




                ……つづく……






       おそらくは、生涯においての、

…、
          ほんと、稀なるチャンスで、あったるものを……


、あれに、あの展開あの構成においてでしかチャンスは与えれてはいなかったんだろう。



ではその賄い役としての主格は、それとしての真の存在は、誰なのか?誰だったんだろうか?


                   講談社?

             この作品においてのその編集さん?


    これもまた、

、この世界におけるその王だったってのが真相さ……。





RE: 移籍させたもの。

あれの完結編をアニメで見た感想だった。
元はエノク書の中に入れてました。
ちょっと脱線が過ぎると思いますので、ここに移します。








  このエレンの表情が曲者
    なにかズルそう...
   

潜んでる。悪魔!

         「ぼくたちが行きたかったところ」つまりは【Hell】だ。

どう考えても、始祖ユミルが、フリッツ王を、

ってところがまずあり得ないんだ。両者ともに作者の分身であるはずなんだが…。自分としての本質が、それでも自分のエゴを、それも、それこそが、真の

信じて愛しているとでも?。もしこれが真相なら、自己を人格から分離する作業がされていない。その行程が見失われてしまっているのだ。終わり。



 さて、では、西の方の大海とはなんなのか?。それは日の沈む海だってことでしかない。
           ちょっとジャンプするならば死後の、死を表す世界。

  では、その西の海と地続き、同体、同じ領域であると思われる(d)はどうなるのだ?。
まず注目すべきになるのは「命の水」が湧きて流れだすところ…ってあること。そしてまた、
   太陽が没するところ「西の火」のところとあること。この「西の火」ってなんだ?。

 この誕生、もしくは永続永生を叶わしめるところの「水」と、この西の火は関係するのか?

              

ドない

?!」


 無事スベったところで、どうも、エジプティアンとしての、そのあのこのの神話が念頭に
  上がってくる。死と復活は連続するもの、させることが、できるもんなんだよっと…。

   水は流れ散り再び集まってくる変動性流動性永遠性としてのそのメタファーとして。
また落陽は己が存在を一旦失するをもって再び活力をもって生まれ変わってくるものとして。


【火の川】はPhlegethon。失楽園 でミルトンは、地獄の川の 一つとしてフレゲトンについてを語っている。この川は、サタンの、地球へ失楽が始まるそのタイミングで、大胆な冒険をもって悪魔たちがこの川を探索してる。ミルトンはステュクス川、アケロン川、コキュートス川についても言及してる〜。 レテも冥界の川に数えられている〜。

ラヴクラフトもこの河をレトリックとして一度利用してる。短編『The Other Gods』において、登場人物の一人が、外なる神たちが発する声に接して、「無縁の悪夢のプレゲトン以外では誰も聞いたことのないような叫び声」だと称している…。


















先の掲載において二人は無事地獄へ下るのだが、ありゃ〜、あのシーンは、まったくのペテン...だ。そもそもからして、ただの見学で、済むわけがない。もしその展開が本当ならば、溶岩の中に沈められなければならない。肉体が焼け崩れるその痛みを体感するのだ。それでも死ねない‥何度もその苦しみを、もはや永遠に体験し続けるのだ。これが地獄に落ちること……。

あとで追加したこのエレンとアルミンの抱擁のシーンこの件もペテン。まったくのデタラメ…

そもそもからして、この展開はありえないのだ。あのアルミンが地獄ゆきなどになる訳が、はずが

。当人がどう思おうと、神さんの審判はまた別!。またエレンも進撃の巨人である以上は、その魂が摩滅し尽くすまで止まることはない。永遠に自由を求めて、これこそを求めて、前進し尽くして、前進し続けなければならない。

彼にとっての本分であるところの呪い(せい)

ミッションであると、いってもいい…。

エレンはただ一人で戦わなければならなかった。なにと?。すべての人類がかけられて
しまっているその呪いとだ。ならば、ある種、力をもって戦うイエスとして彼は描くべき
だった…。他にモデルはいないんのだからw。

超大型巨人の群れをもって為される【地ならし】は、超国家規模における武力侵攻に他ならない。これの手先、リーダーとしてあることは、実はエレンには似つかわしくない。なぜならばこれこそが壁を生み出し、形成し、強化しているものの正体なのだから。

革命におけるその課題、難問は、戦うべき相手、打倒さなければならない体制と、まったく同種の、同じものへと、その闘争において、自らが変質してゆくことこそにある。また、救われるべきものは誰なのか?、果たしてそのものたちが救われるに足りる人間たちなのか?!。この仲間、同胞、民衆としての存在への不信が絶望がその英雄としてあらんとする人間の、その魂を蝕むことになるのだ。みんな、おなじく、屑ではないか…。立場が変われば、

敵として現在あるその彼らと、同じに、同じ有様、同じ有り様に、なる…。「今度は、俺たちが、甘い汁を吸う番だ」と…。「しんどいこと、めんどくさいこと、つらい仕事は懲り懲りだ…」、「楽して、濡れ手に粟となる金儲けがしたい…」、「とにかく組織のお偉いさんら連中の仲間入りだ」、「税金で贅沢がしたい。いや、なにか気持ちいいことをしようじゃないか!」、「与党になれば、それとしてあれれば、ルール変更なんてもんは、どうとだってできるじゃないか!」。戦いの中で敵そのものへと自らが変じてしまう。圧政暴力強制に反旗を掲げて、その挙げ句にやってることは同じ抑制制圧暴力による支配…。

これは背理だ。理想をもって社会を(会社を)変えようとすれば、確実に、間違いなく、これとしての難問に突き当たることになる。そして当人等、首謀者等は絶望することになる。虚無がそのこころに巣食うこととなり、その魂を蝕まれることになってゆく。スタヴローギン…。

だから、エレンは、ただ一人でゆかなくっちゃならなかったんだ。彼のラスボス、それこそが【地ならし】としての超大型巨人の群れ…。ことこの事態においてはチートとしてのその能力付与が必要になる。たとえば、無尽蔵のスタミナ。そして即時の再生能力。そして、無尽蔵の雷撃を操る能力。このチートとしての能力をどうやって、どうして手に入れるのか?、入れたのか?が、最も重要なメッセージになるであろう。視聴者らに向けての刻印であり呪いとなるべくしてのもの。ことは簡単で、大旦那の関与、その尽力に賜われるようなること。禁じ手としての『神』を物語の舞台上に導入する。ではそれは如何に?。ここは始祖ユミルが使える。使えたのだ。元々からしてどうしたものなのか彼女は超常の力、その源泉と関わりが持たれている。このことの何故を追求する必要があった。なぜにそれはこの哀れな限りの少女に力を与えたのか?。物事の起こりに偶然はない。この少女を、

理解して、救うことを通して、神の威光を、その偉大さを、この世に、改めて認知させる。この筋書きが、実は背後にてはあったのだ…。

それは大したことではないんだ…。この浮かばれない彼女の魂を、ただ哀れに思い、我が生命を投げ出してでも、救わんとする、その勇気の証だけ。それだけがきっかけだっだ。かなり肉迫はしていたが、ちょっと、どっかで頓珍漢な方向へとズレていってしまった……。

作者は、いじめかなんかにあった手酷い経験があんだろう…。でも一人で、孤独であっても、生きることが難しかった。ことの経験の消化が、宙ぶらりん…。もしこの仮説が正しいとするならば、作者はユミルに自分を投げかけるのみならず、ちゃんと直接的に救ってあげなければならない。ならなかった。この実務は当然エレンが行う。このユミルを利用することとは別ラインでこのことは果たされなければならない。(この辺がミステイクだっと思う)。始祖ユミルはエレンが成仏させてあげる〜。そんで、そのことのお返しとして、

超越存在が(神が)介入をしてくれるのだ…。そんでチート展開になるっとwww。

じゃないとさ〜…死んでいった仲間が、仲間たちが、可哀想、浮かばれないじゃん。



ちょっと別のはなし:
もし、神いるならば、また悪魔もいる。両者はセットだ。
キング・ジェームスが悪魔学の権威でもあったことをご存知か?
神に関してを曲りなりにも知るものあれば、その彼は、当然に悪魔に関しての理解もある。
両者ともに、あなたにとって身近な存在であることを、この私は願うっと...。
















ここが、この戦鎚の巨人との戦いのシーンが、最も作者が天啓に恵まれて、ノリノリで作画が適ってたシーンだと思う。最高のインスピレーションによってのその創作だった。そしてまた、この物語における決定的な分水嶺…。とにかく強調しておくべき、おきたいのは、ミカサのそのあまりに美しくまた格好いい戦闘シーンだ…。それは敵地マーレのど真ん中においての奇襲作戦だった。まさに美しき野獣としての運動能力、その発現、その披露、その表現…。この原動力となっていたのがエレンを思う気持ち「救いたい」だ!。彼を真に愛して、大切に思ってあるがあまりの能力の全開放だった!。この真に感動するにたりる展開において、ほんとに感動してたのは、実は物語にはなんのならんら関係ない、欄外場外にいるところの観客らのみ…。

エレン当人においてでは、そこにある奇跡において感動している様子は、余裕はまったくない。ことはあたかも当然かのような目線ではないか…。そんな思いを持ってる場合ではないのだが、ことはあくまで、俺のプラン通り、期待通り、シナリオ通り…。俺の計画通りの展開、進行で、まずのとりあえずは満足、まだ先があることに対しての安心…。

ドラマ展開は最高の見せ場ではあったのだが、ここにある各個人の絡みがもうめちゃくちゃ、バランバラン…。これではミカサ自身が救われない。最も気高くして、尊く、美しくしてものが、その存在が、自身としての立脚点を完全に、現実的には、失ってしまってる。エレンが、彼女自身が知るその存在では、もうなくなってしまっているからだ。エレンにはこの時点に於いてでは憑き物が入ってる。自分の考え自分の計画のことしかもう頭にはないんだ…。

 実際は、こんなふうに、こんな状態に、エレンは、作者は、なってしまって、あんだ……



作者は道を踏み間違えたのか?。そこにある彼ら、エルディア人等における都合やら理由は、実は

でまかせ。また、これは所詮は人によってなる想像のお話だとすることはできない。自分の前提においては、すべての表現物は、なんらかの現実を代弁するべく出現してきているからだ。だから、ここにある問題に関しては、物語内に入ったものらすべてが解決に当たらなければならない。じゃないあと、それとしての状況が整えば、確実にエレンや作者に憑いたものが、否応もなく憑くことになる。この作者、諫山創なる人物が如何なるものであるのか?が各自において追求されねばならない…。




       この幸せそうに満足気にしてあるその姿、その顔に腹が立つ!。




彼は確実にこれ読んでる。ならばだ、せめてディエンヌとしての展開の

ミカサを描くべきだった。なぜに神化したディエンヌを始祖ユミルとして別立てにしたのだ?。またエレンが辿る道筋もイオと同じであるべきだったのだ…。

こうして、良き先達等によって残された尊き奇跡としての作品が、それとしての遺産が、その宝としてのメッセージが、後人等によって、グロテスクなまでに違うものへと、変質が、変貌が、為されていってしまってる。その彼らの背景において、このトレンドを、この作用を、用意しているある存在に、我々は注意を払わなければならない。売名、飽くこと無くしての金儲け、それも組織体として、これらによってのおいての欲望が、毀損のドライブ。











        大掛かりな脱線にはなっているが、分かる人には分るっと。

  ちょっと原状復帰を目的としてもう一件、

関連としてのものを……。

        https://www.youtube.com/watch?v=LKL8F1lfRWw

        https://www.youtube.com/watch?v=lQKiKr_nxK4 ver.taiyakikun

        https://www.youtube.com/watch?v=kdt8iCjbUDE

        https://www.youtube.com/watch?v=RpS05vdh1RA ver.TV

        https://www.youtube.com/watch?v=iIMoUoIyV6c







            進撃と比べるならば、一千万倍すばらしい。

           これらの主題歌聞くだけで、も〜感涙!涙ぼろぼろ......

        https://www.youtube.com/watch?v=4hPSLQqbG_M ED

               また追加します....エノク書の方を!










前にね〜どっかで、金持ちになるには二つの方法論があるって言ってたでしょう?。その一つはね〜、この彼に、与することにおいてなんだ。彼の求めに、その願望に大いに役立つことができたなら〜、貴方は不思議なことに大成功するよ。そして、これもまた言っておくべきことであろうが、どうしたものなのが、驚くべきやる気を、どこにこんな情熱があったのかと驚くほどまでの執念を、そして、ことにおいての完遂の意思たるものを、持ってしまうことになる…。

彼が背後にインスピレーションを与えてくれるんだ……。




もう片方に関しては、自分は、語らない。

って云うか〜、ここにあることの陰画としての、その事態、その内容にしかないからだ。

あらない、あれれないから……。

それとしての貴方は、なぜか出会う人の誰も彼もに全部あげちゃって〜、

結局は元の黙阿弥、ただの一文無し……

いや正確には、もってても、もってないも同然なのだ。

でも、もう、それも、そのことも、気にはしてない、気にする必要がないんだ……

機会があって、もってるならば〜使うし、

なけりゃ〜我慢してあるまで。

でもね、これが一番肝心なんだが、やりがいのある仕事に、

それにそれらに不足することはまずない。


宵越しの銭は、おいら〜持たねぇんだ!


さて、最後この思いとしての、この啖呵は、何故に生まれてきたのでしょうか?。


粋だね〜の、この粋は、何を意味してあるのでしょうか?。


このことには、どういった価値があるのでしょうか?。













               答えへんのか〜ひぃ!


    お前、日系アメリカ帰りやから、ことの真相分かっとらんのとちゃうかーー!



















                  もうええって!

                 へたな天丼すな〜〜〜!









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