第4話  N.86、未知なるものは、 その⓸。

文字数 5,012文字

Q: As I am here, looking at you, I cannot locate the event in space and time.
私はここにいて、あなたを見つめています。
すると...今ここで起こっている事柄が、いったい何処でのことなのか、
また、いつの時のことであるのかが、私には、分からなくてなってくるのです...。

There is something eternal and universal about the transmission
of wisdom that is taking place.
悟りにおける知恵の伝達には、何か永続的なるもの、そして全世界的なるものが、
伴うのかもしれません。それが(今)この場を占めてます。

Ten thousand years earlier, or later, make no difference --the event itself is timeless.
一万年前のことなのか、それとも後のことなのか、その違いに意味はありません--
この事柄そのものが、時(の概念の適用)は無意味なような..。

M: Man does not change much over the ages.
人間は万古を経たとしても、さほど変わり映えはしない。

Human problems remain the same and call for the same answers.
人の問題は(かってと同じ状態に)留まり、そして同じ回答を(又改めて)求めて、
(彷徨っ)ているのだ。

Your being conscious of what you call transmission of wisdom shows that
wisdom has not yet been transmitted.
あなたが呼ぶところの知恵の伝達、あなたが今意識しているもののことだが、
このことが、知恵は、まだ伝達されはしなかったことを表している。

When you have it, you are no longer conscious of it.
あなたがそれを得たなら、あなたはもうそれに意識的ではなくなる。

What is really your own, you are not conscious of.
あなたが”本当に”所有しているのなら、あなたは(もうそれを)意識することはない。

What you are conscious of is neither you nor yours.
あなたが意識するものとは、
(実は)あなたでもなければ、あなたのものでもないのだ。

*ここ難しいので、簡単な例入れとく。例えば、内臓だ。
 日常、意識することはない、当然に意識して動かしている訳でもない。
 しかし最高度の効率で生存に奉仕してくれている。
 これは「意識は肉体に対して超越している」という表現になる。
 マインドも、ゆくゆくは、(本来は)、このように仕えさせる様にできる...。

Yours is the power of perception, not what you perceive.
あなた(自身)のものは、「知覚の力」そのもの、
(しかし)、あなたが知覚するもの(対象)ではないのだ。

It is a mistake to take the conscious to be the whole of man.
意識(だけ)をもって、それを人間の全体像と見なすのは間違いだ。

Man is the unconscious, conscious and the super-conscious,
but you are not the man.
人間は、「無意識、意識、そして超意識」である。
しかし...あなたは(まだ)”人間” ではないのだ。(*)

Yours is the cinema screen, the light as well as the seeing power,
but the picture is not you.
あなたのものであるのは、映画館のスクリーン、(投影)光、そして見る力。
だが(映し出され変化する)映像は、あなたではないのだ。(あなたとは無関係なのだ)

Q: Must I search for the Guru, or shall I stay with whomever I have found?
私は師となる方を探すべきでしょうか?
それとも、誰であろうと、見つけた方と一緒にいるべきでしょうか?

M: The very question shows that you have not yet found one.
そんな質問が、あからさまに、
あなたがまだ師を探し出せていないことを物語っている。

As long as you have not realised, you will move from Guru to Guru,
but when you have found yourself, the search will end.
実現化できてない間は、あなたはグルからグルへと渡り歩く事になるだろう。
しかしだ、あなたがあなた自身を見つけたなら、捜索は終わりになる。

*(yourself は真なる私、分離され精錬された本体のことだろう。
  やがては、これが私を導く)

A Guru is a milestone.
師とは、道を/道程を、知らしめるもの(道標)なのだ。

When you are on the move, you pass so many milestones.
あなたが”動き”の中にあるとき、あなたは非常に多くのこの存在に出会う。

When you have reached your destination, it is the last alone that mattered.
あなたにとっての終着点(本当に信頼できるグル)にたどり着けば、
本当に重要なのは、その「一人」

になる。

In reality all mattered at their own time and none matters now.
実際として、すべての(師たち)は、(あなたにとって)各々の時に意味があった。
そして「今は」...... 誰も、なんの用もなさない。

Q: You seem to give no importance to the Guru.
あなたは、師の存在に、重要性を与えていないように思えるのですが...。

He is merely an incident among others.
彼との逢瀬が、他の大勢のものの内の、単なる一つだと言わんばかり...。

M: All incidents contribute, but none is crucial.
すべての出来事には意味がある。しかし決定的なるものはないのだ。

On the road each step helps you reach your destination, and each is as crucial as
the other, for each step must be made, you cannot skip it.
道における歩みの一歩一歩が、あなたが最終地点に辿りつくのを助ける。
そして、それぞれの一歩は、他の一歩と同じくぐらい重要なのだ。
各々の一歩が「なされなければならない」ものだった。
あなたは、どの一歩といえども、飛ばすこと/省くことはできない。

If you refuse to make it, you are stuck!
もし(どれかを)拒否すれば、あなたは(結局)行き詰まることとなる!。

Q: Everybody sings the glories of the Guru, while you compare him to a milestone.
皆はグルの栄光を歌う。しかるに、片や、あなたは彼を〈道標〉などと比べる。

Don’t we need a Guru?
我々には、師は必要ないのでしょうか?

M: Don’t we need a milestone? Yes and no.
我々に道標は必要であるのか?、ないのか?。
...... イエスでもあり、ノーでもある。

Yes, if we are uncertain, no if we know our way.
もし我々が不確かなのであれば、答えはイエスだ。
もし我々が行くべき道が分かっているのなら、答えはノーだ。

Once we are certain in ourselves, the Guru is no longer needed,
except in a technical sense.
確信たるものがあるのなら、師は、もう必要とされない。
ただし、テクニカルなセンスを除いてだ。

Your mind is an instrument, after all, and you should know how to use it.
あなたの心(マインド)が(コックピットにおける)表示/操作機器なのだ。
そしてあなたは如何にこれを使うかを知るべきなのだ。

*(Gも同じ例えをする。とんでもなく複雑にして精巧なつくりの instrument であるらしい。
ジェット機の操作盤に等しいとな。)

As you are taught the uses of your body, so you should know how to use your mind.
体には、上手な使い方があることを教えられたように、
あなたは、あなたのマインドをどのように使えるのかを学ぶべきだ...。



〈続く〉





つけたり:


上記の『あなたは(まだ) ”人間” ではないのだ。』において。(*)

*すべての垣根、敷居がなくなって、三つまとめて一つになって、初めて、
 真実、人間と呼べるものとなる?。真実の意味での覚醒、その実際。
*エヴァンゲリオン劇場版における描写で、大いに誤解を招く表現がある。
 LCLへの液化シーンだ。そうなってもアイデンティティは実は失われはしない。
「殻/器」は、副次的なるもの。適宜、その状況/状態に合わせて
 改めて析出されるものなのだから。
*マハラジ の存在自体がこれなのだ。かれは〈真実の人間〉。



付録:


Re: G の立ち位置。

問い:「あなたの体系は、ヨーガ業者のものとどこが異なりますか?」

答え:『彼らは唯心論者で、われわれは唯物論者である。私は懐疑主義者である』
研究所の壁に記された最初の禁止命令は、『何も信じるな、自己さえ信じるな』である。
私は統計的証拠があって初めて信じる、つまり、繰り返し同じ結果を得て、初めて信じる。
私が研究し、仕事をするのは導きを得るためで、信じるためではない。


これは重要な声明なので公開しておきます。
ただし、言葉通りに受け止めては

とも思う。
心をも、物質性(ただしメタ)の範疇で整理しているだけなのかもしれない。

彼の使徒としては、なによりも、実践に重きをおくことが肝要になります。
理論だけに、哲学だけに、耳学問だけに傾くことは忌避されねばならない。
虚弱な学者君にしかなれない。

また、『

』に行ききることを、危ぶむ内容もどっかにあった。
行ききっては

と...

(理由はね〜人間くさい話し)

これはシュタイナーも注意されていたことであったと記憶する。
N.マハラジは行き

存在なのだと確信しています。
直感的な選択が求められる

が何処かにあるのだと思う。

Gが吸収した教えの源泉において、
ヒンドスタンが拠点の一つであったことは間違いないでしょう。






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