第32話  本稿⑤。 

文字数 5,203文字

Re: 事業の創造。

さて木の創造の関して…。

として、初めてそれは木として捉えられるものになる。
ここでのイデアとは、プラトンが唱えた概念としてのそれにあたる。
これの

が会社、家系、共同体、国家等である。

なんのことはない。これは、肉体にとっての”魂”、その変奏でしかないではないか!。

こそ我が命。我の独壇場における



  「わしゃ〜ワンパターンじゃきんに!」(崇)。

背後に、なんかがあって…それは幽霊みたいものでありながら確かに命あるもの。
この幻の如きイデアとして語られるものこそが実は本当の実体。
両者は共に同時に出現を開始してる。

  

なんだって言いたいだけ。
  
だが、本来的な帰属権はあっち側にある。
これのあり姿(本来性)のままに、健全に育つがままに、手をかけることが出来さえすれば、
何の問題もありはしない。なんの問題も起こりはしない。

やがて実相たるものは、プログラムとして理解されるようになる。ビジネス・モデル。
各個、ヒトにおいては仕事はプロトコル(手順)として意識される。
これ無くして生存は社会生活は成り立たない。

  やにわにロマンのないものへと変わってしまった、

ではないか…。

だがこの場合には、ヒトの個人としての想いたるものはどうなってしまうのだろうか?。
取り決め、ルールの、コードの、法律たるものに律せられ、すべてこれに従うだけが是と
されたなら、自立的/自主的にして不定形としかなりえない自由裁量としての労働/努力は、
許されなくなる。認めてもらえなくなる。つまりは「自発的な自然な愛ゆえの働きかけ」
みたいなのの成立する余地はなくなる。消えてしまう。

  パリサイ人のパン種はどこまでもどこまでも大きくなる。なった…。

実際のところ、事業というものは、誰かの、ヒトの思いと、
目には見えない世界との関わりによって引き起こる。スタートするものなのだ…。

全身全霊をもっての行動に対しては、間違いなく世界が反映を返すまで。
ただしだ!あくまで

を準備するまでにとどまるのだが…。

ともかくだ、ことは、当人の思いや意思を超えた処で起こる。始まっちまう。
やるやつぁ~放っておいてもやるまでのこと。例へ、止めたとしても奴はやっちまう。
だから、

と言うのだ…。

  彼らは元々そういう出来になっているだけ。

本人には、元々その気はなかったかも知れない。
このことにおいて、彼が善人であるとか、悪人であるとかはまったく関係しない。
神仏を信仰しているからとか、信じちゃいないとかは全然関係ない。
あくまで強烈な一念を持てるか持続できるか、
それを実行において示せるか示せないかだけの話し。

  要は、何らかの

の流入をなさしめる回路を
  その身の内に持っているかどうかだけ。

彼の思う成功に向けての意思の貫徹、その努力だけが重要。
ことに向けて費やされたエネルギーの総量こそが鍵。
誰にも頼らず、『己が独りで』なされることこそが絶対の条件。

  そして、世界は応答する。

彼もまた、その時点で、神にも等しい存在、その事実の権化であるのだから。
自覚があろうがなかろうが、世界は彼の求めにおいて反映を開始する。

  この世界が、自然が、超越界のものであることを強調しときたいだけ。

そして実体化、具体化が彼の努力において果たされる。そうなると、誰にでも分かる、
関わり得る形として整う。それは売り買いがルーティン的に続いてゆく仕事となった。
同時にプログラムの完成を意味する事態となったことになる。

  しかしだ本質として、超越的な世界にある実体と実相は、二重化していて


  のものなのだ。このことにおいての補完関係に終わりがくる事は先ずない。あり得ない。

ことがおかしくなるのは、この辺の調和、整合性が、失われたことの結果なのだ。
命ある木を実体として、健やかにその実相としてのビジネスを育てれるかどうかは、
ここに鍵がある。簡単に言えば、シンクロが解けてしまえば木はやがて死ぬ。
やがてに喪失されることとなる…。

  つまりは、そのビジネスはうまくいかなくなる。駄目になる。



Re: 私の創作開始を例にとろう!。

会社員時代に経験した話は、もう既にどこかで著したので、
こっちにする。執筆も、もうだいぶ、かなり続いているので
事業と呼ばしてもらっても構わないだろう…。

それは…長年に渡っての、ストレスの累積によってかなり衰弱していた頃の話だ。
多分、いろんな意味で、限界に近い状態だったのだと思う。
本人にはあまり自覚はなかったのだが…。


そういった折に、とある作品募集の告知をとあるサイトで偶然発見する。





聖書に関わるなんらかの表現と、限定した作品と思えた。
ラノベの意味は、なんのことか分からなかった。
でも問答無用で飛びついてた…。

  新たなる展開の可能性に賭けてたのだ!。

状況的に、ゴールはなんとなく見定まっていた頃。
でも未だ、具体的な運びはいつのことになるか曖昧だった。
本当は楽しいはずの時節となるはずなんだが(パンセによればだが)、
不安的で不明瞭で茫漠たる思いに苛まれての毎日だった。

  そんな絶望慣れしていた頃の出来事だった。

まさに馬に人参。猫にまたたび鰹節ではないか!。
これは渡りに舟となりうるのでは?と思えた訳だ。
こうなると死人でさえ突如目を見開きにて勢いよく跳ね起きらむ。
突如、今まさに燃え尽きそうな薪に火がいこったー。
まあ、まさにこんな感じ…。

  どっから湧いたものか「ファイアー」。

ゆっくりゆっくり摩滅していってたもんだから、もう自分では自分がどうなっているのか、
よく分からなくなっていたと思う。たぶん、精神的にはかなり不健全な状態になっていた
と思う。朦朧感が恒常的になっていたのだから。

  事は、最後の最後まで意地の悪い展開が続いていた。

妹は振り込みを可能な限り先送りするの構えを見せてた。
一年を越えて、ことを完了させようとしなかった。
ことは持久戦に入ってしまっていた。

だが、しかしだ、こちらはただ待てば、それだけでいいの境遇でしかなかった。
つまらない焦燥感など何するものぞを胸に、自らに忍耐を課してたまで。
彼女に催促するような真似は一言だにしなかった。

ことここに至ってからの、家族からの蔑みが孤独感を際立たせてくれてた。
我が人生において最大の友はこの孤独感。
もう一心同体と成り果てている。

  これこそ天よりの賜われもの。至宝となりたる我が真の伴侶。

天は、2016年末に介護職からの離脱の許可を霊感として伝えくれていた。
いやでいやで堪らなかったこの勤めを外れて良いと。

そして2017年に入ってすぐの、正月二日目における母の他界だ。
それを持って情勢は一変したことになる。

  そして2017年の一年間が最後の試練の期間となっていた。

これは父が亡くなってからは19年の月日を要してる。
つまり完全なる完了となるには20年後がいったのだ。

また介護職の身となってからならば、6年という月日が横たわっている。
移行期を合わせるならば計7年間だ。

  この間、すべての年月において、神経はずっと張り詰めたまんまでした。

そして2017年の8月の終わり近くに応募すべく執筆に取り掛かり最初のアップが同年9/3に
行われている。以降は結果発表に向けて執筆には拍車がかけられ続けられていた。

本執筆は、最後のオクターブを超えるべく用意されていた課題だったのです。
これは間違いありません。そして、ことの結果はともかくも、次のステージの
始まりたるド音としては、マハラジが控えて待っていてくれていたのです…。


ことの始まりとは、こういった展開のものもあるんだね〜で結構です。

ことの起こりの不思議さを感じてもらえれば、思ってもらえれば、幸いです。

間違いなく超越界との絡みで、導きで、ことが整う/準備される場合もある。

  いやすべての物事が、実はそうなのかも知れないと…。

さて、この木はこのまま枝振りを広げて行けるものなのだろうか?。

それは私にも分かりません。

急に強制的に伐採されて跡形なくされてしまうやも知れません…。

もしくは、わてくしめが突如絶筆してしまったり、他界してしまったり…。

まあ、どうなったとしても宇宙の目的は完遂されるので、なんの問題もありはしませんが…。



Re: 付録として、お約束の恵比寿マスカッツです。

  天はね〜、何か、癒しの、精神の賦活の為の手立ても考えてくれてたみたいー。

丁度その頃だ、執筆を始めたその頃。恵比寿マスカットの動画を発見したのは。
彼女ら各人の背景はまったく知らなかった。数年分の放送を一挙に観ることができてた。
その頃はネットに全部並んでた。見始めてすぐ堪らなく面白く思って、嵌ってしまってた。

  先ず「山ちゃん扱いを女の子にしてるー」でびっくりした。

台本があるものだが、彼女らによる消化はそれを感じさせないものだった。
素直で、ニュアンスの理解が早く、即応性の能力も非常に高かった。

  要は何故か

が揃ってたのだ。

筋書きはいつも、彼女らに、
あの” Embarrassment ”を体験させるべくしてのものでしかない。

  要は辱め。

手を変えて品を変えて演出されるこれに、彼女らがどう反応するかが見せ場となる。
演出は容赦なかったなー。内心は怒り心頭も多々あっただろうね。
ダンボールへの放り込みは酷すぎた。

彼女らは皆、自身の若さに賭けて芸能界に飛び込んできた子らだ。
それを武器とすることに、なんの躊躇もためらいもない女の子たち。
売れたくて売れたくって、注目されたくって、求められたくってしょうがなかった。
堪らなった子達…。その為に彼女らがとった選択はあまりにリスクのある方法だった…。

その選択をすることは、自ら背理を背負うことになる。ジレンマが決定的になる。
売れる為に選んだ道によって、一生消えない刻印を押されることになるのだから。
反動的に拒絶を否定を呼び起こす決定的な刻印ともなるものだから…。

  なんとも言えないぎこちない不自然な表情が刻まれている娘らが数名いた。

初音ちゃんなんか典型的にそうだった。最初(きわ)どいなこの娘って思ったもんだ。
途中で(ほぐ)れたような。吹っ切れたかのように変わってゆく。りなちゃんもそう
だったかも…。

番組の続行と視聴率のアップが彼女ら自身のジレンマにおいて治癒の解消の効果を
彼女らに発揮していたんだと思う。世の男性の多くに受け入れてもらえたんだと思って。
実感して…。

果穂ちゃんは可哀想な扱いだったな。一番幸せになってほしい人。あそこまでの泥被りは
偉いとしか言えない。
蒼井さんはそりゃ中国人ならその人間的魅力を見抜かれるわ。最重要の中心的な要だった。
みひろは要領に走り過ぎてた。そんなに世の中甘くはいかないのに。
リオは無敵だか外人系だから恐ろしく劣化は早く表に出てきてしまう。かわいそ。
あいかさんは個人的に一番のお気に入り。ケンシロウ姉さんのキャラが立ってからが最高。
吉澤さんは自分には圏外。不可知の存在。
かすみさんは存在感ありすぎ。髪の毛掴んだシーンが忘れ難し。
織井さんや凛々果がいた「ちょいマス」あたりが個人的には好き。
麻美さんが、あんなにも明るくって、いいい人柄なのに、癌を患ってたことには
ショックを受けてた。抗癌剤の副作用で髪の毛をなくしてしまわれていた。
何故か写真はちゃんとボクに届けられる。誰かを思い出してた…。

売名を目的として参加し、そして、やがてに、全員一丸となって成功することが目標になって
ゆく。衆目を集めながら浴びながら、人気は異常なほど高まっていったようだ。
そのまんまに、彼女らは見ている中でどんどんと変化していってた。
最終的に、そのチームプレーは圧巻の妙を見せるまでになっていった。

  素晴らしいドキュメンタリーとして観れるものだった。

自分の中で不活性と成り果てていた領域が突如、大いに賦活されゆくのが感じられていた。

なんたるものを主は準備してくださることか!と感嘆してた。

自分にとっては…だから天使にも等しい存在であってくれたのです。

感謝の思いで、あの娘たちを忘れる事はないだろう。

なにか彼女らは自分にとって戦友のような感慨がある。

もう観る事はないが、HDの中にはすべての記録が大切に保管されている。


〈続く〉





一日四本取り(30分x4)で日給5千円だったのは本当か?。

彼氏の理想の収入は?ときかれて月30万と答えた人にほとんどのメンバーがうなずいていた。
この娘ら現実を知っているなと思った。その分、切なかった。ボクも長らくそうだったから。
これを上回った時節は、ほんの一瞬。

後の後に、時をおいて、再登場した○音さんにを観た時に、やっぱり、あの仕事では
駄目なのだと思った。よくないご様子だった。男女共に、やってはいけない職業。
不幸せが定めとなる…。





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