第15話  N.77 、偽りの観念。 その②。 

文字数 6,310文字

Q: There are people whom I love. Must I give them up?
 愛する家族がいます。私は彼らとの関係をも断たねばならないのですか?

M: You only let go your hold on them. The rest is up to them.
 They may lose interest in you, or may not.

あなたは、彼らに対する固執(こしつ)を手放すだけだ。後は彼ら次第だ。
彼らは、あなたへの興味を失うかもしれない。
もしくは、そうはならないかもしれない。

Q: How could they? Are they not my own?
 彼らがどうして?… 彼らは私の家族ではなかったのですか?

M: They are your body’s, not your own.
 彼らは、あなたにとって、血縁者としての存在であり、
「あなた自身」の所有物ではない。

Or, better, there is none who is not your own.
もしくは…、もっと良いことを教えよう。
あなたでない他人など、何処にも、誰も、いないのだ。

Q: And what about my possessions?
 私の持ち物は、どうなのでしょうか?

M: When the ‘mine’ is no more, where are your possessions?
「私の」がないのなら、あなたの所有物とやらは一体どこにあるというのだ?

Q: Please tell me, must I lose all by losing the ‘I’?
 教えてください。「私「という意識を無くすことによって、
 私はすべてを失くしてしまうべきなのでしょうか?。

M: You may or you may not. It will be all the same to you.
 そうなるかもしれないし、そうはならないかもしれない。
 結果がどうあれ、あなたにとって、それは同じことだ。

Your loss will be somebody’s gain. You will not mind.
あなたの損失分は誰かの得になる。
あなたはそれをもう気にはすまい。

Q: If I do not mind, I shall lose all!
Q:それを気にしなければ、私はすべてを失います!。

M: Once you have nothing you have no problems.
 何も持ってはいないのであれば、あなたに問題などありはしない。

Q: I am left with the problem of survival.
 私には、生存の問題が残されます。

M: It is the body’s problem and it will solve it by eating, drinking and sleeping.
  There is enough for all, provided all share.

それは肉体にとっての問題だ。
その問題は、食べて、飲んで、そして寝れば、解決すること。
皆が分かち合うならば、十分、すべての人間にとって足りている。

Q: Our society is based on grabbing, not on sharing.
 私たちの社会は、共有するではなく、[横取り/略奪]に基づくものです。

M: By sharing you will change it.
 共有することによって、あなたはそれを変える。

Q: I do not feel like sharing. Anyhow, I am being taxed out of my possessions.
 私は共有などしたくありません。いずれにしても、
 私の資産は課税によって、少なからずお金はもって行かれています。

M: This is not the same as voluntary sharing.
Society will not change by compulsion.
It requires a change of heart.

それは自発的な、自由意志からの共有と呼ぶものとはまた違う。
社会は強制によって変わるものではない。
その為には、(構成員たる人々の)心の変化を必要とするのだ。

Understand that nothing is your own, that all belongs to all.
Then only society will change.

あなた自身のものなど何も、何処にもないことを理解しなさい。
すべてのものが、すべてのものに属していることを。
あなたがこのとを理解すれば、社会は変わる。

Q: One man’s understanding will not take the world far.
 人間一人の理解で、世界が大きく変わることなどありません。

M:
The world in which you live will be affected deeply.
It will be a healthy and happy world, which will radiate and communicate,
increase and spread. The power of a true heart is immense.

あなたが生きる世界が、深く、影響を受けることは間違いのないことなのだ。
それは健康的で、ハッピーな世界。
それは放射し、通じ合い、混じり合い、増殖する。
そして、やがては(遍くへと)広がってゆく。

真心の力とは計り知れないものなのだ。

Q: Please tell us more.
 詳しく教えてください。


注)

ここからのマハラジの言葉は、最大級の関心と注意をもって読まれるべき内容です。
なので、既存の邦訳も、掲載させていただきます。私のは意訳に走ってますので!。
理由があって、下段に置きます。
その理由は、私のが連想を活性化させるべく幅を広げ、
最後に正解をもって落とし込むの役目を託したいからです。


M: Talking is not my hobby.
Sometimes I talk, sometimes I do not.

話すことは(なんら)私の楽しみからではない。
時に私は話し、時に私は何も話さない。

*話すことが私の専門ではない。
*時に私は話し、時には話さない。


My talking, or not talking, is a part of a given situation
and does not depend on me.

私が話しをする、もしくは話さないのは、
これは、与えられた状況の一環でしかない。
そして、これは、私個人に由るものではないのだ。

*私が話すか話さないかは与えれれた状況の一部であって、
*私に依ることではないのだ。

When there is a situation in which I have to talk,
I hear myself talking.
In some other situation I may not hear myself talking.
It is all the same to me.

私は、話さなねばならない状況があるとき、私は自分が話すのを聞く(だけ)なのだ。
他の状況においては、私は、私が話すのを聞くことはない。(何も出てこない)
どちらであっても、私には同じことなのだ。

*話さなければならない状況では、私は私自身が話していることを聞き、
*別の状況では、私は私が話していないことを聞くのだ。
*それは私にとってみな同じことだ。


Whether I talk or not, the light and love of being what I am are not affected,
nor are they under my control. They are, and I know they are.

 私が話そうが話すまいが、私の存在、まさにそのものであるところの
〈光〉と〈愛〉が、影響を受けることはない。
 それらは、それらが在るがままになのだ…。
 そして私は、それらがそういうものであることを知っている…。

*話をしようとしまいと、存在の光と愛である私は影響を受けず、
*それらは私の制御の内にあるのだ。
*それらはある。そしてそれらがあることを私は知っているのだ。

There is a glad awareness, but nobody who is glad.

喜びの自覚はあるが、喜ぶものは誰もいない。

*そこには喜ばしい気づきがある。
*だが、誰も喜んでいる人はそこにいない。

介入:
「何がいない?」 表出としての個の人格/意識では…。
「では喜びの源泉は?」下意識、無意識まるごと?。LCLの海との一体化?
        神聖と一体となればの特徴なんでしょう。ブラフマーでしょね。

Of course, there is a sense of identity,
but it is the identity of a memory track,
like the identity of a sequence of pictures on the ever-present screen.

もちろん、アイデンティティーは保持されてある。
しかし、それは、記憶のわだち(トラック)としてのアイデンティティーだ。
常在するスクリーン上においての、(未だ)投影され続けている映像、
その登場人物のようにして…。

*もちろん、アイデンティティーの感覚はある。
*しかし、それは一連の記憶のアイデンティティー、
*不変のスクリーン上の画像の連鎖とのアイデンティティーのようなものなのだ。

Without the light and the screen there can be no picture.
To know the picture as the play of light on the screen,
gives freedom from the idea that the picture is real.

光とスクリーンがなければ、映像はありえない。
画面上の映像が、光の遊びであることを理解すれば、
それが(映像が)本物との思い込みから、自由になれる。

*光とスクリーンなしに画像はあり得ない。
*画像がスクリーン上の光の戯れであるとしることは
*画像が実在だという観念からの解放を与えてくれる。

All you have to do is to understand that you love the self
and the self loves you and

あなたが行うべきは、あなたが、あなた自身を愛していること、
そして、あなた自身も、あなたのことを愛している…
このことを理解するだけなのだ。

*あなたは自己を愛し、自己はあなたを愛しているということだけだ。

介入:(ここは単純に、本質としての私と人格としての私でいいと思う。)

and that the sense ‘I am’ is the link between you both,
a token of identity in spite of apparent diversity.

そして「私は在る」という[感覚/自覚/正覚/認識]が、
あなたとしての両名の、[つなぎ/連結部/リンク]となる。
(それらの)外見上の多様性にかかわらず、アイデンティティの[印/表象/証拠]なのだ。

*そして「私は在る」という感覚は、あなたと自己との連結部であり
*外見の多様性に妨げられないアイデンティティの象徴なのだ。

Look at the ‘I am’ as a sign of
love between the inner and the outer,
the real and the appearance.

「私は在る」を、
内に向けてと外へと向けての、(内観と観察)
また、真なるものと外見として表されるもの、(内面とペルソナ)
それらの間にて渡される、〈愛〉の表出であるとして見てごらんなさい。

*「私は在る」を内面と外面の間、実在と現れとの間の、
* 愛の象徴としてみなさい。

Just like in a dream all is different,
except the sense of ‘I’, which enables you to say ‘I dreamt’,
so does the sense of ‘I am’ enable you to say ‘I am my real Self again’.

(そうすれば)正に、夢の中でのように、すべてが違ってくる。
[私]の感覚を除いてだ。これはあなたに「私は夢を見てた」と言わしめるもの。
「私は在る」の感覚ならば、「私は真実の自分自身と再びなった」と言わしめる。

*夢の中では「私」という感覚を除いては全てが異なっている。
*その「私」が「私は夢を見た」という感覚が、
*「私は真我だ」ということを可能にするのだ。

I do nothing, nor is anything done to me.
I am what I am and nothing can affect me.
I appear to depend on everything, but in fact all depends on me.

私は何もしやしない。また何であろうが、私に対してどうすることもできない。
私は「在るとしての私」であり、私に影響を与えるものは何もない。
私は、すべてに依存しているかのように見えるが、
実際は、すべてが私に依存している。

*私は何もしないし、私に対して何もされることはない。
*私は私であり、何も私に影響を与えることはできない。
*私は全てに依存しているように見えるが、
*事実は、すべてが私に依存しているのだ。


〈続く〉


最後の抜粋には介入をせざる得ない:

どエライこと、ここで言ってるよね...。
世界そのものだとさ。
そりゃ〜どないしようもないわなーーーwww。

マハラジは妄想にはいない。
全くの正常であることは語られた言葉からわかる。
すべて彼にとっての真実が語られている。

また、それらの言葉の奥行きは神憑りレベルと呼べるほどのものなのだ…。








この第15話には、もう少しコメントを差し込みたく思います。
でも、少しみなさんの消化が済んでからにします。
この場所で、そのうちやります。

草々
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