翌朝

文字数 1,276文字


 ペシュミンはナザエの腕の中で目覚めた。薄汚れた毛布の中で母子共に抱き合う、いつもと同じ格好だった。目覚めて母親の腕と毛布からすり抜けた。この毛布は肌が痒くなる。全身の皮膚がぼろぼろだ。表通りではまだ押し殺した人の声と足音が続いていた。首を伸ばして窺うと、薄暗がりの中を歩く人々の影と鎧が見えた。

 ペシュミンはナザエを残して、表通りとは反対側の細い通りに行ってみた。取り残されたカルプセスの市民たちが所在無げに集っていた。

「野菜も果物も、全部持ってかれたよ」

 市場のエプロンを来た女が、疲れた声で言った。

「うちもだよ。干し肉も香辛料も、鍋の蓋までさ」

 主婦たちと、老人。グロズナの男たちも僅かにいる。人々が黙ると、表通りの足音がここまで聞こえてきた。

「うちの子は、今頃どこにいるだろうか」

 悲壮感が、悲壮感なる言葉を知らないペシュミンの胸にも満ちてきた。それは生まれた村にグロズナたちが押し寄せて来た時に感じたものであり、父親をはじめとするペニェフの男たちが彼らについてどこかに行ってしまった時に感じたものであり、ある朝母親から、家を出るよう言われ、二度と帰って来ないのだろうと予感した時に感じたのと同じものであった。

「なくなったものを嘆いたってしょうがないさ」

 と、女たちの中で比較的年配の、恰幅のいい女が沈黙を破った。

「あたしらの家族の事は、セルセトの人たちに任せておけばいいじゃないか。うまくやってくれるさ。あたしらは自分の生活の事を考えなきゃ。みんな、そのままでは食べられない物は家に残されてるだろ?」

 人々が顔を見合わせた。

「麦……とかなら」
「上等じゃないか。バターは? 砂糖は?」

 やにわに人々が色めき立ち、それならある、と口にし出した。

「うちにはチーズがまだ……」

 と、老人。

「私のとこなら果物の砂糖漬けがあるわ。床下の貯蔵庫までは調べられなかったから」
「よし、じゃあみんなでまずは食料を集めよう」
「あのさ!」

 グロズナの青年が立ち上がった。

「俺の家、パン屋だからさ。親父に言って家の竈を貸すよ。親父も賛成する。それで堅パンを焼こう! それなら日持ちもするし、皆に配ろうよ」

 青年は緊張しながら全員を見回した。

「俺はグロズナだよ。だけどこのカルプセスで生まれてカルプセスで育ったんだ。グロズナである以上にカルプセスの市民なんだ。……なあ、そうだろ? おばさん」
「もちろんだよ」

 隣の中年の女性が頷く。

「あんたはうちの大事なお隣さんだ」
「決まりだね」

 恰幅のいい女が言った。

「みんなの家から食料や使える物を持って来よう。一時間後にまたここで集合だ」

 集団が散った。大人たちの陰に隠れていた、建物の壁にもたれかかってしゃがんでいる少年の姿をペシュミンは見つけた。

「ミハル!」

 グロズナの少年は顔を上げ、ペシュミンを見つけた。頬に朱色が差し、ミハルが微笑む。
 彼が返事をしようと口を開いた時、遠い轟音が空を覆った。



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