凶ツ星ガ光ル

文字数 2,287文字

 暮れなずむ都市の騒乱の中を、ラプサーラはロロノイに手を引かれ急いだ。表通りにはペニェフの男たちが集められ、家族や恋人との別れを拒む者があれば、セルセトの兵士たちが強引に引き離した。何が起きているのか、ロロノイは急ぐばかりで説明しようともしない。

 戦勝広場には備蓄庫から出された食料が積み上げられ、それを飢えた市民たちが遠巻きに見ていた。兵士たちは急ぎ荷造りをしている。そして、戦勝広場から東一番通りへと、ペニェフの男たちの行列が作られていた。ロロノイは行列を遡り始める。ラプサーラは荷袋を抱えて空を見上げた。茜から紫へと変わりつつある空に、明星が光っていた。

「兄さん」

 ラプサーラは焦燥にかられて口を開く。

「兄さん!」

 答えない。

「どこに行くというの?」

 ロロノイは一瞬だけ振り向いた。目は殺気立っていた。

「北の港町の新シュトラトだ。安全地帯宣言が出てる。セルセトの治安維持が健全に機能しているのはそこだけだ。カルプセスに留まるより新シュトラトに逃げる方が生き残る可能性が高い」
「全員が連れて行かれるわけではないようね」
「さすがに守りきれん。民間人の中で連れて行けるのは兵役年齢に達した男性だけだ。そうでなきゃ行軍に耐えられない。あとは医業従事者、治世関係者とその家族。その中には女性や子供もいる。ラプサーラ、お前は耐えられるな」
「そうでない人たちは残されると?」

 ラプサーラは息を切らしなら質問を重ねる。

「誰がその人たちを守るというの!」
「同盟国タイタスから贈られたネメスの木兵隊がある」
「それで守り切れるというの? これだけの兵がいてもできない事が、木人形ごときに――」
「ラプサーラ!」

 ロロノイは叫んだ。

「俺たちの役目は一人でも多くの人を生き延びさせる事なんだ。少しでも可能性を増やす事だ。このままではどのみち全員死んでしまう! グロズナの軍事組織は虐殺を躊躇わない!」

 ラプサーラは泣き出しそうになり、歯を食いしばった。一人でも多くを生き残らせる。生き延びる可能性が高い人を連れて行く。ここでは人は数字でしかないのだ。

「兄さん」

 嫌な予感にかられ、尋ねた。

「何人ほどがカルプセスを出るの」
「二万から二万五千になる見込みだ。内六千はセルセトの部隊だ」
「ねえ、兄さん――ちゃんとした武装をしているのはその中の何割?」

 真横で民家の戸が開き、ラプサーラは飛びのいた。

「お願いだ! どうか!」

 男が兵士に引き立てられ、泣きながら戸口に手を伸ばした。

「その子はあさってで十三歳になるんだ! 兵役可能年齢なら連れてってもらえるんだろ!? 頼むよ! その子を――」

 通り過ぎる時、戸の向こうで、顔面蒼白になった女が呆然と立ち尽くしながら、少年の肩を抱いているのを見た。

「畜生! たった二日の違いが何だっていうんだ!」

 ロロノイは質問に答えなかった。ただ黙々と行列の先頭を急ぐ。横目で見る行列には、兄の言葉の通り、怯えた顔の女性や子供も混じり始めていた。

「連れて行ってくれ!」

 裏道からグロズナの男が飛び出して来て、兵士に縋りつく。

「確かに俺はグロズナだ。でもそれが何だって言うんだ? 俺が何したって言うんだよ!」

 ラプサーラは耐えきれず、目を背けた。

「連れて行ってくれ! お願いだ!」
「ラプサーラ」

 ロロノイが振り向いた。

「占星符は持ってきたな」
「ええ――」

 兄が腕を広げた。不意に抱きしめられ、ラプサーラは声を失う。革鎧の金具が頬に当たり、冷たい。

「過酷な行軍になる。食料も兵力も全然足りてない」

 無精髭の生えた顎が額に当たり、少しだけ痛かった。

「生きるんだ、ラプサーラ。それでも行け」
「兄さん――兄さんも来るのよね? そうよね?」
「俺には最後まで行列を形成する任務がある。大丈夫だ。魔術師のベリルも一緒だから――魔術師が一人いれば百人力だろ?」

 兄は妹への抱擁を解き、無理矢理に笑った。

「最後尾につく。少し離れ離れになるが大丈夫だ。明日の昼には最後尾の集団も出発できる見込みだ」
「明日の昼」

 呆然と言葉を返すラプサーラの手を取り、行列の先頭集団へと連れて行った。武装した治安特務隊長の姿もそこにあった。

「隊長、どうか……」

 ロロノイが両手でデルレイの手を取り、握りしめた。

「妹をお願いします」
「わかってる」

 隊長は頷き、空いている方の手でロロノイの背を叩いた。ロロノイは隊長から手を離して、背を向け走り去った。たった今、兄妹二人で歩いて来た道へと。

「兄さん!」

 ラプサーラは叫んだ。叫び、手を伸ばした。ロロノイは人ごみに紛れて、すぐに消えた。

 両目から涙が溢れ、止める事ができない。デルレイが歯ぎしりし、その後口を開く。

「列を作れ!」

 歴戦の将校の声はたちまち先頭集団の人々の目を集めた。

「この度の移動は静かに行われなければならない。次の合図以降、一切の私語を禁じる!」

 口を閉ざし、嗚咽を殺して、荷袋を抱きしめた。その中にある折りたたまれた星図と世界図、一束の占星符だけが、心の支えだった。後からついて来るという、兄の言葉を信じるしかなかった。

 日没、丘陵地帯に面した東の市門が密かに開かれた。行軍一日目は、夏の夜の闇の中、無言の内に開始された。

 門をくぐる時、ラプサーラは空を見上げた。(まが)つ星ネメスの狂おしい光点がそこにあった。


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