酷薄

文字数 963文字

 程なくしてニブレットは戦場に戻った。死から死へ風が吹き、そのさなかの木の葉のように、ニブレットは鮮血を纏い舞った。一度(ひとたび)死したニブレットは、漆黒の剣を手に、誰より激しく戦った。ニブレットは死が怖くなかった。自分が何者でもないのなら、死など恐れるに値しない。むしろそれが訪れる日を、気付けば待ち望んでさえいた。このニブレットという自我が消える日を。

 現実感は日に日に薄れ、もはやどれほど人を殺したかわからず、どれほど部下を失ったかわからない。ニブレットはもはや何も感じなかった。ただ、オリアナとの間の恋が消えていく事だけが、彼女を苦悩させた。

 都から遠く離れた戦地で、ニブレットはある覚悟を決めた。月が冷たく満ちる夜だった。彼女は漆黒の剣を血でぬかるむ土に立て、ヘブが呼び声に応じるを待った。黙して待てば、戦火の神は崇拝者の周囲に、濃密な気配で以って現れた。

「我が神よ、戦火の神ヘブの崇拝者ニブレットは、やはり王の荒野にて、既に失われた」

 ニブレットの肉体は傅き、言った。

「私はもはや、この漆黒の剣を持つに(あた)う有能な信徒では御座いませぬ。剣を返上いたします。私を、灼熱の地獄の星へ、あるいは極寒の地獄の星へ、連行し囚えるがよいでしょう。この剣で魂を狩り取り、あなたの膝下に送りこむという約束を、私のほうから(たが)える事になりますゆえ」

「それには及ばぬ」

 ヘブは鷹揚な笑い声で崇拝者に応じた。

「お前は余に非礼を働いたわけではなく、また余と敵対する神を奉じたわけでもないのだからな。よって、お前が火と氷の星に囚われる必要もなく、剣を返上する必要もない」

「しかしながら、私は――」
「ニブレットとして生きろ」

 ヘブは崇拝者を遮り、諭すように言った。

「覚えておくがよい、我が崇拝者よ。魂の名は一つだ。その名を知った者だけが、人である事をやめ神になる。万一お前が神となり、我が敵対者となる恐れがあるのなら、余はお前を屠るだろう。だが、お前が、(すなわ)ちニブレットの名を持つ自我が、その名を知る事はないのだからな」

 剣が緋の色彩を纏う。色彩は、天に吸い上げられるように揺らいで消え、同時にヘブの気配も消えた。後には疲れた目をして傅くニブレットが残された。



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