生キテ行ケナク

文字数 988文字

 香の匂いが鼻に満ちた。ウラルタは目を開けた。やけに高い天井だ。温かい。目線を下に落とす。毛布が見えた。宿をとった覚えはなかった。呆然としながら記憶をたどった。

 階段から落ちたのだ。死者たちを追いかけて。次第に周りを見回す余裕が出てきた。ウラルタの左右にもベッドがあり、人が横たわっていた。どちらの人も老いていた。そしてベッドの列は、長かった。

 尼僧が歩いて来たので施療院だとわかった。尼僧はウラルタが目を開けている事に気付くと、歩いて来て、枕もとのベルを鳴らした。そして、無言で去った。

 間もなく下級神官が来て、
「君は誰だ?」
 立ったまま尋ねた。

「どこから来た?」
 ウラルタは具合が良くないふりをして答えない。神官は呆れたように溜め息をついた。
「イグニスのウラルタ。侍祭を務めている。そうだな」
「……何故それを?」
 だが、答えられなくてもわかった。旅券だ。下級神官は威圧的な口調のまま質問を重ねた。

「歳は」
「十四歳」
「イグニスから何をしに来た?」
 ウラルタは答えない。下級神官は首を横に振った。
「町に帰りなさい。子供とはいえ、民の務めを放棄した罪は重い」

「民……」
 ウラルタは、まだ眠い、ぼんやりした声で反発した。
「私たちに国はないわ。陸地が消えたこの世界で、私たちを庇護する国はない。あるのは、私一人いなくなったところで誰も困らない、小さな町だけ……」
「そのような事は関係ない。私たちは、ただ神の為にある民だ」
「何故そのような民が生まれたの」

 ああ、私は、何故、生まれたの。

「神を奉じる為だ」
 下級神官はウラルタの無知を憐れむように、膝を屈め声を落とした。
「神は我らに生きる事を許し、恵みを与えてくださるが、奉じる者がいなければ神ではなくなってしまう。我々は生きていけなくなる」
「生きていけなく――」

 ウラルタは弱弱しく呟いた。

「ただ生まれ……ただ生きて……ただ神の為に生きて……それが何になるというの……」
「何になるかは問題ではない。我々には信仰が必要なのだ」
 下級神官は、腰の飾り帯から鍵束を取った。そして、一本の太い針金を緩く、しかし決して抜けないように手首に巻き、先端をよじった。
「大人になりたまえ」

 針金には護送票が通されていた。
 護送票の宛先は、イグニスとなっていた。


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