人間ラシサトカ文化トカ

文字数 4,397文字

 草の海を夕暮れが統べる頃、新シュトラトに向かう特務治安部隊本隊は、後続集団の救出に出向いていた別働隊と合流した。

「ただいま! ドミネだよ!」

 子供と見紛うほど小柄な赤毛の女が手を振った。そばには、それとは対照的な背の高い男がいる。兵士たちの間に興奮したざわめきが生まれ、二人の魔術師を歓迎する。(くさむら)に座りこんでいたベリルが立ち上がった。

「お前ら! 心配したんだぞ!」
「時間ぎりぎりまではぐれた人達を探してたからな。それよりベリル、大活躍だったじゃないか!」

 三人は互いに歩み寄ると、両腕を広げ、それぞれの肩を抱いた。ラプサーラは妙な悔しさに満たされて、泣きそうになり、俯いた。

「大丈夫ですか?」

 兵士が来て座った。平原を渡る時、前を歩いていた兵士だった。

「……大丈夫なわけないっすよね。申し訳ないっす」

 ラプサーラは無言で首を振る。

「何か話しましょうか。黙ってると、気が滅入って堪らなくなりますよ。あ、自分、アーヴって言います」
「ラプサーラ」

 会話が途切れた。

 ラプサーラとアーヴは焦燥感に駆られ、会話の糸口を探す。

「……兵士になって長いの?」
「十四の時に志願して、今四年目です。でもここまでしんどかったの、今日が初めてっすよ」
「四年間カルプセスに?」
「いえ。カルプセスには半年前に着任したんすよ。それまで山奥の方にいました。グロズナ寄りの……」
「グロズナって、ひどい連中ね」

 それが差別や偏見に過ぎない事は、ラプサーラにもわかっていた。特定の民族が残虐なのではない、戦争が残虐なのだという事は。それでも憎まずにはいられなかった。憎む方が楽だった。

「自分、もともと本国の生まれなんすよ。ナエーズに配属になって、初めて戦争を目の当たりにして――」

 アーヴは夕刻の風に草がなびく様子を見つめている。

「自分がいた所、グロズナとペニェフが川隔てていがみあってるような所で、ペニェフがグロズナの男たちが狩りに出払ってる間に村を襲ったり、グロズナがペニェフの大人たちが収穫に出てる間に村を襲ったりしてて、そんな時、駆り出されて仲裁に入ってました。グロズナとペニェフの間の事を、自分らセルセト人が誰が悪い、これが悪いって判断して、それがやっぱ当事者たちには不満で、全然、そういう応報が止まらなくて……」

 アーヴは生えている草をむしり、手放した。草は風に煽られて、少し離れた場所に落ちた。

「そんな時、自分の上官だった人が、グロズナとペニェフの間で交換処刑をしろって言ったんです。三人ずつ相手の村に差し出して、殺せって。それで満足して、少なくとも一年はもうこういう事するなって」
「実行したの?」
「はい。自分、ペニェフの村で、殴られてボコボコにされたグロズナが三人、絞首台に吊るされてるの見ました。ペニェフの子供たちがその死体の横で、横木にぶら下がって遊んでるんすよ。自分、それ見て、何かもう……何かもう、耐えられなくって……」

 ラプサーラは奥歯を噛みしめた。

「何だろう……。自分、語彙貧弱なんでこういうの、うまく言えないけど……なんかな、死は死なんだなって。どんな死でも、それが惨いとか残酷とか、そういうのは全然なくって、ただの死でしかないんだって。だから、これで束の間でも平和が手に入るとか、協定が守られるとか、そういうのも別になくて、あの六人の死には結局意味なんかなくって……人間らしさとか文化とか、ここはそういうの以前の場所なんだって……」

 ざわめきが起きた。

 道に民間人が群がり、何かを凝視している。

 藁と縄で簀巻きにされた人物が、藁束から頭を出した状態で運ばれてきた。兵士たちがそれを三人の魔術師と、やって来たデルレイの足許に投げ出した。

「交渉材料が来たな」

 アーヴは話をやめた。ラプサーラは膝立ちになり、何が起きるのか見る。

 デルレイが藁越しに、簀巻きにされた中年男の腹の辺りを軍靴で蹴った。男は激しく咳きこみ始めた。不自由な姿勢のまま腹筋で身を起こし、のたうち、血を吐いた。血と一緒に長い髪を吐いた。喉に絡まっているようで、苦しげに咳きこみながら髪を吐きだすのをやめない。

 ベリルは男の前に立ち、冷酷な目で、呪詛をかけた相手を見た。彼が吐き出すベリルの白い髪は、血で真っ赤に染まっている。ベリルはしゃがみ、顔を近付けた。

「リデルの鏃の筆頭、カルムだな?」

 男は充血した目でベリルを睨みつけた。その顔に唾を吐く。

「やめとけよ」

 ベリルは小瓶を取り出し、男の唾を採取した。

「唾だって呪いの道具に使えるんだぜ。血や髪ほど強くないけどな」

 一際大きな何かを喉に詰まらせ、男が目を見開く。顔が紫色に変色していき、えづき、ついにその何かを吐き出した。

 血で染まった髪の束。その中に、一糸纏わぬ姿の小人達がいる。小人達はわらわらと、男の口から吐き出され続け、彼を取り囲むと、きぃきぃ喚き始めた。

「おお、出てきた出てきた。てめぇがこれまで殺してきたペニェフ達だぜ」

 その数は、二十、三十……ラプサーラは吐き気がしてきて、数えるのをやめる。ようやく吐くのをやめた男が言葉を発した。

「何をするつもりだ」
「二、三質問させてもらうだけだ。痛い目見たくなかったら正直に答えるこったな」
「俺を拷問するつもりか!? 貴様、緑の界の魔術師なんだってな。(りょく)の界を統べる神マールは慈悲の神だと聞くけどな!」
「だからって俺が慈悲深くある必要はないんだぜ?」

 デルレイの合図を受け、二人の兵士が簀巻きの男を持ち上げ、奥の天幕へ運んで行く。

「ここからは見ない方がいいっす」

 アーヴに言われ、ラプサーラは場を離れた。闇が濃く煮詰まってくると、身の毛もよだつ悲鳴が天幕から聞こえてきた。

 魔術師に善人はいないと思えと、兄に言われた事がある。奴らはあまりに幼い内から特殊な環境に隔離され、偏った教育を受けるからと。つまらない偏見だと思った。実際、兄に魔術師の友人を紹介された時には、肩透かしをくらった気分になった。だが、ベリルの思いもよらぬ残忍な表情を目にし、案外兄は正しかったのだと思い直した。

 口に詰め物をされたのか、悲鳴はくぐもった声になった。聞かされるのは不快であった。星が天蓋を覆い、声は止んだ。叢で呆然と胡坐を組んでいたラプサーラは、自分の前に誰かが立つのを感じた。カンテラに照らされた顔は、デルレイとミューモットだった。

 ついて来いと、デルレイが手で合図をした。

「星占をしてくれ」

 人々から離れたところでデルレイが囁く。ラプサーラは星図を出し、半透明の世界図を重ねる。占星符を切った。

「何を見ればよいでしょう」
「ナエーズ全域の星の支配状況を。そして星占に付随する幻視の内容を教えてくれ」

 ラプサーラは世界図上に並べた占星符を捲り、星図が示す神々の力の均衡に乱れがない事を確認する。
 東座に位置するは根と伏流の神ルフマン。ラプサーラはルフマンに伺いを立てた。豊かに実る秋の麦の穂が、額の内に幻視された。水は富み土は豊か。農作に励むのならば、今年の豊作は間違いない。励むのならば。それだけだった。ルフマンはそれ以上を教えない。何故ならペニェフとグロズナの戦争に関与しないから。

 西座に位置するは狩人の神リデル。ラプサーラはリデルに伺いを立てた。恵みに満ちた森、肥え太る動物たちの姿が幻視された。欲望から森を破壊したり、獲物を独占したり、狩りすぎる事さえなければ、恵みは確実に得られるとの事だった。リデルはそれ以上を教えない。何故ならペニェフとグロズナの戦争に関与しないから。

 南座におわすは車輪の神アネー。ラプサーラは幻視する。ある者は古き階層から、ある者は別の相から、様々に姿を変えて己が因果をぐるぐる廻り、今生この相に来る。鹿、石、土くれ、草、穀物、麻、イノシシ、多くの魂がこの相にあっては人間の姿となり――町を追われ、死の山を彷徨い――そして、もういない。実に多くの魂が、既に収相から失われた。

「あの峠の手前ではぐれた人達はもう生きておりません。グロズナ側から人質交換を持ちかけられても、それは偽りです。応じる必要はございません」

 震える声で告げた。

 北座を占めるは猫神ミドアフ。もたらされる幻視の中で、ラプサーラは都市を俯瞰する。燃える都市。大きな大きな猫が、都市を見下ろしている。人々は身を焼かれ、黒い塵になり、空に舞い上がる。人々は巨大な猫に祈っている。助けてください。助けてください。けれど猫は何もしない。猫は興味深く見るだけ。

「消えていきます」
「何が?」
「何もかも全てが」

 呼吸が早く浅くなっていく。

「人が、世界が、消えていく――」

 確信を得る。

「滅びはすぐ」

 確信の根拠を探る。

「この収相へと――相が迫ってくる――」

 集中力が切れた。全身の力が抜け、ミューモットに寄り掛かる。

「それだけじゃないだろう。他に何が見えた?」

 ミューモットが支えながら聞いた。

「見えない」

 瞼の闇の中で、ラプサーラは答える。

「未来が見えない」

 ラプサーラは自分が座っているのか、寝かされているのか、喋っているのか、喋っていないのか、一切の感覚が曖昧模糊となり、もう全くわからない。

「私には見えない――」
 気を失った。


 ※

 ラプサーラは気妙な気配で目を覚ました。何かが顔を撫でている。目を開けると、カンテラの火に照らされるベリルの真剣な顔が間近にあった。

「動くなよ」

 ベリルは囁く。彼はラプサーラの顔から指を離した。指先からは血が出ていた。その血で模様を描くように、ラプサーラの顔をなぞる。しばらくその作業を続けてから、一息つき、指先を舐めた。

「あんたに目印を付けたんだ」

 ラプサーラは無言のままベリルを見つめた。

「洗い落としても消えない。これであんたに何かあった場合、俺にはわかる」
「どうしてそんな事を?」
「遠くに行くことになったんだ」
「どこに?」

 ベリルは微笑み、ゆっくり首を横に振る。カンテラを手に立ち上がった。彼は最後に言い残した。

「ロロノイの事はすまなかった。あんたは無事でいろよ」

 これは夢かしら。

 ラプサーラは、自分の中から現実感というものが失われてしまった事に気付く。

 行かないで、と言いたかった。言うべきだと思った。けれど、あまりの疲労と眠気で、もう唇さえ動かない。

 ベリルの足音が聞こえなくなると、たちまち深い眠りの闇に沈んでいった。


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