桎梏

文字数 4,519文字

 珍しく、晴れ間が見える日だった。カチェンの執務室に入ると、大きな窓から入る陽光が、ニブレットの頬を染めた。部屋には連隊長カチェンと、三人の魔術師が集まっていた。

「私が来た、という事は」
 ニブレットは肩を竦めて言った。
「これで全員、という事か」

「五分の遅刻だ」
 老齢のコンショーロが、白髭に覆われた口を歪めて不愉快そうに言う。

「ベーゼがいないようですが」
 お調子者のビョーサーが口を開く。
「配置換えですかね?」

 カチェンは咳払いをし、眼前に並ぶ四人の魔術師の顔を見た後、暗い声でビョーサーを諌めた。

「将校の才がなくとも、魔術師の存在は貴重だ。今、我が国では魔術師が生まれにくくなっている」

 ビョーサーは冷たい笑いを浮かべた。カチェンは無視した。

「その件についてだ。芳しくない戦況はお前らの知っている通りだが、人材、特に魔術師の消耗の激しさについては看過できない状況だ。王国に魔術の能力を持つ者が少なくなっている事態に加え、才ある者らを発掘したとしても、その中で戦場に立てるほどの才を持つ者は稀。加えて将校としての教育を受けた後、実際によく兵を率いるほどの者は」

 魔術師たちは黙って先を待つ。

「君らは優秀だ。だが君らには後進がいない」
「して、我らへのご命令は」

 ニブレットに急かされ、煮え切らない態度のカチェンは諦めた表情で頷く。

「君らの中から魔術師を作れと、魔術総帥からの命令だ」
「作る?」

 隣のレプレカが眉を顰める。

「しかし、元となる人材がなくては……。魔術の才能は誰かに分け与えられるものではございません」
「渉相術の分野において高名な魔術師レンダイルを皆も知っているだろう」
「悪趣味なジジイだと聞くが」

「よせよ」
 ビョーサーがニブレットに囁く。
「あのジジイ、すげぇ地獄耳なんだぜ」

「そのレンダイルが、古の世に失われて久しい分魂術の復活に成功した」

 カチェンの言葉に、横目で見たビョーサーの顔から血の気が引く。

「忌まわしい事を! 何と忌まわしい事を!」
 コンショーロが頭を小刻みに震わせながら吐き捨てた。
「何ゆえ分魂術が廃れたか、何ゆえ分魂術が封印されたか、レンダイルが知らぬ筈がなかろうものを。魔術総帥は何故、分魂術の復活を認めた!」

「堪えろ、コンショーロ。セルセト国は手段を選んでおれんのだ」
「忌まわしい。呪わしい。この様な事態に立ち会うとは、どうやら私は長く生きすぎたようだ!」
「長生きついでだ。もう少し黙って聞け」

「その分魂術についてですが」
 今度はニブレットが口を挟んだ。
「無論、人間での成功例が既に十分にあるという認識で宜しいのでしょうかね」
「当然だ」

 次はビョーサー。
「実験に使われた……その……分魂術によって増えた人間は? できれば見せて頂きたいのですが」
「もういない」

 問いを聞いたカチェンの目が淀み、目の下に、隈に似た赤い縁取りが現れる。

「だが、君が見たいと望むなら、分魂術の成功の証はある。墓を教えてやる。暴くがいい。 恐ろしいものを見るぞ」
「や、結構です」

 自分たちに下される命令を、既に皆が充分に予測している。カチェンはそれをはっきりと言った。

「この中から代表で一人、分魂術を受けてもらう」

 四人は重い気分で沈黙する。連隊長は続けた。

「陰陽と調和の神レレナの御名において行われる術だ。男からは女の、女からは男の、魂を分け与えられた新しい肉体が生まれる。新しい魔術師だ」
「『この中』というのには、私も含まれるのか?」

 カチェンが目をくれる。同時にレプレカがニブレットを睨んだ。

「どうも、自分だけは特別だと思っている奴がいるようだな。お姫様とは気楽なものだ」
「そう思うなら、代わってやってもいいんだぞ?」

 ニブレットが挑発的な笑みを浮かべると、レプレカは舌打ちして顔を背けた。

「当たり前だ。この場にいる以上、王女ではなく我が連隊の魔術師として振る舞ってもらうぞ。それは私も同じだ。慰めにならんだろうがな」

 カチェンが机から、五枚の紙切れを出した。四枚が白で、一枚が赤。小箱に紙切れを入れ、激しく振った後、机に置いた。

「一人ずつ、紙を引きに来い。順番はお前たちで決めろ。私は余りもので構わん」

 四人の魔術師は互いの顔を見あった。一番若いビョーサーが、まず前に出た。細く開いた小箱の隙間に手を差し入れ、その手を固く握りしめて戻ってくる。

 次にレプレカが紙を引いた。彼女の顔は蒼白で、手は震えている。

 コンショーロとニブレットは顔を見合わせた。コンショーロは、顎で、先に籤を引くよう促した。そして、宣言通りカチェンが最後に紙を引く。

 全員で、一斉に手を開いた。

 赤い紙は、ニブレットの掌中にあった。

 ※

 今、ラピスラズリの荒野には、一人の人間が蹲っている。

「勝ったのは私だ」

 薄い革の鎧にマント。風になびく赤い長い髪。

「私はニブレットだ」

 若い女は縫い目だらけの体で、荒い呼吸をしていた。死したる体は魔力の熱を湛えている。マントを脱ぎ、革鎧も外して、衣服をはだけた。そうしながら、取り戻した筈の過去をゆっくりと反芻した。サルディーヤが生まれる前の記憶があった。それゆえ、自分はニブレットであると、女の体に宿る自我は考えた。

 サルディーヤはニブレットの死後、将校としての任を引き継ぐために作られた。ニブレットが健在であっても、後進の魔術師として十分に役に立つ。

 ではサルディーヤは何故、ニブレットを殺したのだ?

 ※

「あんたか、ニブレットの分身って」

 サルディーヤは、レンダイルの二つの石塔を繋ぐ渡り廊下で呼び止められた。振り向くと、ヴェール越しの視界の先に若い男女が立っていた。

「ビョーサーだ」

 男が言う。隣の女も名乗った。

「レプレカよ」

 気配で、いずれも魔術師だとわかった。サルディーヤは静かに答えた。

「サルディーヤだ。その不愉快な呼び方はやめていただきたい」
「喋り方までニブレットの生き写しだな」
「どうやら性格もね」

 サルディーヤは二人の顔を交互に凝視した。二人の言に苛立ちを覚えたが、彼は冷静だった。感情というものが、自分の中にはさほど無いようだ。もっとも、それは生まれて間もないため自我が弱いからだとレンダイルは言う。感情はこれから育つだろうと。思考力は十分にあった。魔術の才も知識も、ニブレットから引き継いでいる。眼前の二人にも引けを取らない自信と余裕があった。

「それより、この塔は現在私とレンダイル以外の一切の立ち入りが禁じられている筈だが」

 二人は強力な保護の魔法を受けている様子だった。気まずそうに目配せしあう。

「ちょっと、あんたを見てみたかっただけさ」
「ならば用件は済んだだろう。早々に立ち去るがいい。万一余計な物を目にする事があれば、レンダイルも容赦はすまい」

 淡々と語る様子に不気味な物を感じたのか、二人は表情に動揺を滲ませた。

「あんたこそ、ニブレットには気をつけろよ」

 去り際、ビョーサーが言った。

「どういう意味だ」

「あの姫様が、死後に自分の地位と役職をやすやすとあんたに譲るとは思えないね。姫様の魂にとってあんたの肉体は最高の器だ。乗っ取られないよう、あいつが死ぬ前に、自我を鍛えておくことだな」

 渡り廊下にサルディーヤを残して、二人の魔術師は去って行く。

 ※

「私はサルディーヤだ」

 ビョーサーやレプレカとの会話を、ニブレットは知らない。それゆえ自分はサルディーヤであると、女の体の中の自我は考える。

「勝ったのは私だ。私はサルディーヤだ!」

 死せる肉体は空を仰ぐ。月も星も飲み干して、雲が広がっていた。

 いつかニブレットを殺さなければならないと思った。サルディーヤは。その日から。この自我を守るために。得た体を守るために。その決意が自我を固め、また自我が決意を固めた。

 サルディーヤはニブレットの為に生まれさせられた。サルディーヤの肉体はニブレットの為にあった。

 しかし、逆転した。サルディーヤが戦場で彼女を殺し、蘇らせてから。

 ニブレットを蘇らせたのは、サルディーヤがサルディーヤの死後に利用する為だった。ニブレットの肉体はサルディーヤの魂の由来だ。覚えている。彼女が目論んだように、彼女を利用しようと。その為に、ばらばらになったニブレットの体をかき集めた。サルディーヤがニブレットの復活を目論んでいる事は、聖王の耳にも入った。聖王は、ブネがレレナから授かったという託宣を信じ込んでいた。

 逆転だと?

 意識の中で、女が冷たく囁く。

 そのような事が叶ったと、本当に信じているのか?

 ※

 ブネが白の間から出てきた。姉は妹の顔を見ると、血相を変えて硬直した。

「これは姉上、ご機嫌麗しゅう」

 ブネは顔を背けた。ニブレットは歩き出す。すれ違う時、ブネはやっと口を開く。

「分魂術によって栄えた国はありません」

 ニブレットは振り返り、姉の疲れた背中を見る。

「人の魂は神との契約のもと生まれ来るもの。人の手によって作られた契約なき生命は、大いなる災いをもたらすでしょう」
「その契約を、お前は、レレナとの間でどれほど果たしたと言うのだ? まともな託宣を受ける事もなく、王女としての公務も、巫女の務めを盾に放棄しているようなもの。そのくせ口先だけは立派ときたものだ」

 ブネの肩が震える。ニブレットは立ち去った。背後で、託宣を受ける白の間の扉が音を立てて閉じた。
 以来、ブネは白の間に閉じこもるようになった。

 ※

 覚えている。この出来事を、ニブレットとして記憶している。ブネとニブレット以外の何者も、その場にはいなかったのだから。

「何故、覚えているのだ?」

 生ける屍の冷たい腕が力なく落ち、ラピスラズリの大地に触れる。

「私は何者なのだ?」

 死者は頭を抱える。私はニブレットだ、そう思おうとした。ニブレットの肉体がある以上、そう考える方が賢明だとも思われた。あるいは、ニブレットでも、サルディーヤでも、どちらでも同じなのだと。サルディーヤの自我は、ニブレットの魂から分かたれたものなのだから。

 一方で、体の中に吹きすさぶ他者の息吹も感じずにいられなかった。それはサルディーヤのもう一人の作り主、レンダイルの息吹である。

「私は誰だ」

 私はレンダイルではない。少なくとも、レンダイルではない。死者の呼吸が早くなる。

 記憶が、過去が、まして未来が何を証すものか。

「私には今しかない」

 死者はふらつきながら立ち上がった。

「今しかないのだ」

 元通り、薄い革鎧とマントを身に纏った。いつ明けるとも知れぬ夜の下、死者は冷たい風が来る方へと、長い赤毛をなびかせて、彷徨い歩いてゆく。



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