魔女
文字数 1,013文字
背後の湿った足音で、ウラルタは我に返る。
よく知った臭いがした。吐き気を催す腐臭。海藻の臭い。つんとする潮の臭い。
ウラルタは振り返った。
水死者が、戸口に立っていた。
黒い、腐術師の紋章が刺繍された法衣を纏っている。
言い伝えによれば、ネメスの大聖堂図書館には腐術の魔女が住んでいる。死者たちは魔女による慰めを得るために、翼を得てネメスへ向かうのだ。
「腐術の魔女」
ウラルタは立ち上がり、魔女と向き合った。
「あなたが私を呼んだの?」
魔女の顔も手も、法衣から覗く体は真っ赤に変色し、ふくれている。両目は今にも顔面から押し出されそうなほど飛び出しており、ウラルタを見てはいない。
「そうなんでしょ」
ウラルタは吐き気をこらえて一歩踏み出した。
「どうしてなの? 私を歌劇場に連れて行くの?」
法衣にも、指にも、首筋にも、長い海草が絡みついている。よく見れば肌が斑になっている。乾いた潮がこびりついているからだ。
魔女はゆらゆら揺れていた。ウラルタを見ずに立っていた。
「私は生きる事を選んだの」
ウラルタは畳みかける。
「私はおじいちゃんについて行かなかった。一緒に死ぬよりも、希望を探す方を選んだのよ。だから旅に出たの。あなたが旅立たせたのでしょう? あなたが私を呼んだんでしょう?」
魔女は立っているだけだ。ウラルタに一切、興味を示さない。
「答えて!」
ウラルタは癇癪を起こした。
「答えてよ! 私は何の為に来たというの! 何故生きてここまで来たというの!」
ウラルタは魔女を凝視して、その右目の下の、右耳にかけて大きく裂けた傷に気付いた。自分の右目の下に手を当て、そこにある同じ傷を指でなぞってみた。
死者の頭の、ほとんど抜け落ちた、僅かに残っている毛髪が栗色で、自分の髪と同じ色である事に気付いた。
ウラルタは慄 き、後ずさる。魔女の体が一瞬にして白い粒に覆われた。魔女は法衣ごと塩の塊となり、床に崩れ落ちた。
ウラルタは悲鳴を上げて部屋を飛び出した。
「何故!」
そのまま建物を出た。
「どうしてなの?」
青い空に尋ねた。
「ねえ、どうして!」
足の下に広がる陸地に尋ねた。
「私はどうすればいいの?」
遠い山並みに尋ねた。
「ねえ!」
青空は答えなかった。
陸は答えなかった。
山並みは答えなかった。
よく知った臭いがした。吐き気を催す腐臭。海藻の臭い。つんとする潮の臭い。
ウラルタは振り返った。
水死者が、戸口に立っていた。
黒い、腐術師の紋章が刺繍された法衣を纏っている。
言い伝えによれば、ネメスの大聖堂図書館には腐術の魔女が住んでいる。死者たちは魔女による慰めを得るために、翼を得てネメスへ向かうのだ。
「腐術の魔女」
ウラルタは立ち上がり、魔女と向き合った。
「あなたが私を呼んだの?」
魔女の顔も手も、法衣から覗く体は真っ赤に変色し、ふくれている。両目は今にも顔面から押し出されそうなほど飛び出しており、ウラルタを見てはいない。
「そうなんでしょ」
ウラルタは吐き気をこらえて一歩踏み出した。
「どうしてなの? 私を歌劇場に連れて行くの?」
法衣にも、指にも、首筋にも、長い海草が絡みついている。よく見れば肌が斑になっている。乾いた潮がこびりついているからだ。
魔女はゆらゆら揺れていた。ウラルタを見ずに立っていた。
「私は生きる事を選んだの」
ウラルタは畳みかける。
「私はおじいちゃんについて行かなかった。一緒に死ぬよりも、希望を探す方を選んだのよ。だから旅に出たの。あなたが旅立たせたのでしょう? あなたが私を呼んだんでしょう?」
魔女は立っているだけだ。ウラルタに一切、興味を示さない。
「答えて!」
ウラルタは癇癪を起こした。
「答えてよ! 私は何の為に来たというの! 何故生きてここまで来たというの!」
ウラルタは魔女を凝視して、その右目の下の、右耳にかけて大きく裂けた傷に気付いた。自分の右目の下に手を当て、そこにある同じ傷を指でなぞってみた。
死者の頭の、ほとんど抜け落ちた、僅かに残っている毛髪が栗色で、自分の髪と同じ色である事に気付いた。
ウラルタは
ウラルタは悲鳴を上げて部屋を飛び出した。
「何故!」
そのまま建物を出た。
「どうしてなの?」
青い空に尋ねた。
「ねえ、どうして!」
足の下に広がる陸地に尋ねた。
「私はどうすればいいの?」
遠い山並みに尋ねた。
「ねえ!」
青空は答えなかった。
陸は答えなかった。
山並みは答えなかった。