車中霊

文字数 1,014文字

私の車には、いつも女の幽霊が乗っている。
10年以上前から、助手席に居座って離れない。
車を離れると、ついて来ることはないのだが、戻ると必ずそこにいるのだ。

これまで2度、車を乗り換えたが、結果は同じだった。
新しい車の助手席に、必ずその幽霊は座っているのだ。

車に乗るのを止めればいいと思うかも知れないが、私は仕事上、どうしても車を使わなければならない。
何故ならば私は、個人タクシーの運転手だからだ。
もう若くないので、今から転職する訳にもいかず、結局10年以上も助手席の厄介者と付き合っているのだ。

最初その幽霊を見た時は、それはそれは怖かったのだが、ただそこに座っているだけで実害がないと分かると、段々と気にならなくなった。
人間というものは、何にでも慣れるものなのだろう。

そもそもその幽霊が誰なのか、まったく心当たりがないので、余計に始末が悪い。
一度高名な祓い屋にお祓いをしてもらったが、無駄だった。

その幽霊はいつも無表情で、じっと前を向いている。
何度か話し掛けてみたこともあるが、まったく無反応だった。
仕事上差しさわりがないので、今では殆ど気にしなくなっている。

ある日のことだった。
夜の7時を回って、そろそろ回送にしようかと思っていると、先の方で手を上げている男が見えた。

――あの客を今日の最後にしよう。
そう思って男の前で車を止め、扉を開ける。
男は助手席の後ろに乗り込んでくると、左程遠くない行き先を告げた。

車を出そうとした私は、何気なく助手席を見て、驚愕してしまった。
幽霊が助手席の背もたれ越しに、後ろの客を睨みつけていたからだ。
その顔は、これまでの無表情と打って変わって、恐ろしいまでの怒りの形相だった。

私があまりの驚きに言葉を出せずにいると、幽霊は背もたれをすり抜けて、男に襲い掛かっていった。
男は何が起こっているのか分からないまま、激しく体を揺すって、もがき苦しんでいる。

やがて男は、ピクリとも動かなくなった。
声をかけても返事がない。

私は慌てて車を降りると、後部座席の扉を開け、男の体を揺さぶってみたが、まったく反応がなかった。
どうやら死んでいるらしい。
途方に暮れた私は、取り敢えず警察と消防に連絡を入れるしかなかった。

電話を終えて近くの歩道を見ると、幽霊が立っていた。
幽霊はとても満足げな笑顔を浮かべていた。

――もしかしたらあいつは、この男が乗って来るのを、10年以上も待っていたのか…。
やがて幽霊は、静かに消えていった。
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