舞首様

文字数 1,683文字

私の趣味は一人旅だ。
会社の休みを利用しては、あまり名前の知られていない所を、1人で見て回る。
そんな旅が好きなのだ。

連れがいるとそれなりに気をつかうし、どうしても行動が制約されてしまうので、気ままに自分の行きたい場所を、行きたい時に巡るのが性に合っている。

今回もあまり明確な目的地を定めずに、行った先で気の向いた場所を訪ねてみようと、取り敢えず北に向かう新幹線に乗った。
途中で在来線に乗り換え、バスに乗って行きついたのは、山の中腹にある、小さな温泉宿だった。

部屋が一杯だったらどうしようと思ったが、客は私1人のようだ。
ほっとした私を案内してくれたのは、フクさんという、50代くらいの、愛想のよい女性だった。

部屋に通されると、フクさんはお茶の支度をしてくれる。
「この辺りは、あまり観光客は来ないんですか?」
私が尋ねると、フクさんは私の方に湯飲みを差し出しながら柔和な顔を向けた。

「ここいらは、それは鄙びた所ですから。大分と前には、秘湯ブームとやらでお客さんも、ちらほらとお出でになったもんですがね。最近ではめっきりですね」
「そうなんですか。でも私は返ってその方が好きですけどね。あまり人が多い所は苦手で」
私が言うと、フクさんは少し驚いた様子だった。

「それはまた、変わっておいでですね」
「ええ、毎日人が沢山いる所で過ごしていると、何となく煩わしくなるものなんですよ」
「そんなものですかねえ」
そう言ってフクさんは、笑顔に戻って立ち上がった。

「食事はお部屋に運びますんで、ゆっくり湯に浸かって下さいね」
フクさんが部屋を出た後、私は早速浴衣に着替えて浴場に向かった。
浴室は大きいとは言えなかったが、正面の山に向かって大きなガラス窓が切ってあり、浴槽に浸かって眺める景色は、とても開放感があって気持ちよかった。

部屋に戻って暫くすると、フクさんが食事の用意を整えてくれた。
山の幸をふんだんに使ったご馳走に、私はとても満足した。

――この旅館、結構当たりだったな。
お腹が膨れた私が、そんなことを考えていると、
「お客さん。今日この後はどうされますか?」
と、フクさんが訊いてきた。

特に予定もないことを告げると、
「今日はね。村の社で舞首様の神事があるんですよ。よかったらご覧になりませんか」
と、親切に教えてくれる。

「舞首様ですか」
「ええ、この辺りの氏神様でね。田舎のことですから、大して面白いこともないんですけど、舞首様の神事は、村中こぞって行う祭りのようなものなんです。とても楽しい気分になりますよ」

他にすることもなかったし、興味も湧いたので、私はその神事を見てみることにした。
フクさんに連れられて社に向かうと、村のあちこちから人が集まって来ていた。

社の正面には舞台が設けられていて、白装束に白いお面をつけた囃子手の方が3人、既にスタンバイしている。
ヒロさんによると、舞台上で神楽舞の神事が執り行われるそうだ。

私たちは、舞台の前に広げられたビニールシートに座って、神事の開始を待った。
やがて笛や太鼓の音が鳴り始め、舞台の袖から、白装束に白の面、長い後ろ髪の舞子が躍り出る。
そして舞台上で、神楽の拍子に合わせて、軽妙な舞を披露し始めた。

私は神楽舞を直接目にするのは初めてだったので、ワクワクしながら舞台を見つめる。
その時。
舞子の首が、縦方向にくるりと一回転したように見えた。

――目の錯覚かな?
私が思った時、今度は反対回りに、首が一回転する。
そしてあろうことか、舞子の首が縦方向、水平方向に、くるくると回転し始めたではないか。

それに合わせて、舞台上の3人の囃子手の首も、くるくると回転し始める。
そして舞台を見ていた村人たちは、総立ちになって舞子を囃し始めた。

私が見回すと、村人たちの首も、舞子に合わせて、くるくると回転している。
私は呆然とその光景を眺めていたが、やがて何かに引っ張られるように立ち上がった。
そしてあろうことか、私の首も周囲の村人たちと同調して、くるくると回り始めたのだ。

何故だか首を回すのが、段々と気持ちよくなってきた。
その夜私は、神事が終わるまで、首をくるくると回し続けた。
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