背の高い人
文字数 862文字
私が坂道を登っていると、前からとても背の高い男の人が歩いて来た。
多分あの日、私が煙突を見ていた時に会った人だ。
その人は、あの時と同じ礼服をきちんと着て、あの時と同じように、とても長いステッキを手に持っていた。
私がその場で立ち止まっていると、男の人は私の前まで来て立ち止まった。
「おや、以前お会いした方だね」
男の人は腰を屈め、私の顔を覗き込んだ。
その顔ははっきりと見えるのに、何故か曖昧模糊としていた。
老人のようにも見えるし、まだ若い人のようにも見える。
「あの後、大変だったね」
男の人は、とても悲しそうな声で言った。
そうだ。私があの煙突から出る、血のように赤い煙を見た後、この街に大きな災いが降りかかったのだ。
そしてあの時以来、煙突は見えなくなっていた。
「何故あなたは、そんな悲しそうな声で言うのですか?あの時は、あんなに嬉しそうな顔をしていたのに」
私は男の人を非難した。
「あの時私は、あの大きな災厄を連れて行こうとしていたのだよ。あれ程大きな災厄が去れば、しばらくの間、この街は平穏になると思ったのだが。残念だ」
「災厄を連れて行く?」
「そう、それが私の仕事なのだよ」
男の人は腰を伸ばして、私の頭越しに遠くを見る。
その顔は相変わらず曖昧模糊としていたが、とても悲しそうに見えた。
「あなたは災厄を連れて、どこへ行くのですか?」
「どこへも。ただ連れて歩くだけだよ。ずっと。ずっと。災厄が擦り切れて消えてしまうまで」
「今も連れているのですか?」
「ああ。私の後ろには、長い長い災厄の列が出来ている。君には見えないだろうがね」
そう言われて、私は男の人の後ろを見たが、彼の言う通り、何も見ることはできなかった。
「あなたのお名前は、何と仰るのですか?」
しかし私の問いには答えず、背の高い男の人は言った。
「少し長く止まりすぎたようだ。後ろで連中がざわつき始めた。それでは私は去るとしよう。もう会うことは、ないかも知れないね」
そう言って、男の人は坂道を降りて行った。
その後姿を見送りながら、私は思った。
ああ。あれからもう、30年も経ったんだ。
了
多分あの日、私が煙突を見ていた時に会った人だ。
その人は、あの時と同じ礼服をきちんと着て、あの時と同じように、とても長いステッキを手に持っていた。
私がその場で立ち止まっていると、男の人は私の前まで来て立ち止まった。
「おや、以前お会いした方だね」
男の人は腰を屈め、私の顔を覗き込んだ。
その顔ははっきりと見えるのに、何故か曖昧模糊としていた。
老人のようにも見えるし、まだ若い人のようにも見える。
「あの後、大変だったね」
男の人は、とても悲しそうな声で言った。
そうだ。私があの煙突から出る、血のように赤い煙を見た後、この街に大きな災いが降りかかったのだ。
そしてあの時以来、煙突は見えなくなっていた。
「何故あなたは、そんな悲しそうな声で言うのですか?あの時は、あんなに嬉しそうな顔をしていたのに」
私は男の人を非難した。
「あの時私は、あの大きな災厄を連れて行こうとしていたのだよ。あれ程大きな災厄が去れば、しばらくの間、この街は平穏になると思ったのだが。残念だ」
「災厄を連れて行く?」
「そう、それが私の仕事なのだよ」
男の人は腰を伸ばして、私の頭越しに遠くを見る。
その顔は相変わらず曖昧模糊としていたが、とても悲しそうに見えた。
「あなたは災厄を連れて、どこへ行くのですか?」
「どこへも。ただ連れて歩くだけだよ。ずっと。ずっと。災厄が擦り切れて消えてしまうまで」
「今も連れているのですか?」
「ああ。私の後ろには、長い長い災厄の列が出来ている。君には見えないだろうがね」
そう言われて、私は男の人の後ろを見たが、彼の言う通り、何も見ることはできなかった。
「あなたのお名前は、何と仰るのですか?」
しかし私の問いには答えず、背の高い男の人は言った。
「少し長く止まりすぎたようだ。後ろで連中がざわつき始めた。それでは私は去るとしよう。もう会うことは、ないかも知れないね」
そう言って、男の人は坂道を降りて行った。
その後姿を見送りながら、私は思った。
ああ。あれからもう、30年も経ったんだ。
了